第20話:甘くない
土曜日の午前中、少し前の予定ならすずと旅行に行くことになってた日。
あれからも俺のメッセージに既読がつくことはなかった。
……どうしてこんなことになったのか。
彼女に会えないことが俺たちの時間を完全に止めてしまった。
「智也!お待たせ!」
梅雨時期の久しぶりの青空。
澪の笑顔は初夏のように淡かった。
両手には二人分のクレープ。
俺は近所の公園のベンチに座り、彼女は移動販売車から走ってくる。
ここは、俺と澪が幼き日によく遊んだ場所。
そして、すずと初めてのデートでの待ち合わせ場所。
ある訳もないのに車を探して思わず、公園横の道を見てしまう。
……ある訳がないのに。
視界を遮るようにクレープが差し出された。
「はい、こっちチョコね」
「ありがと」
クレープを受け取ると澪は肩が触れ合う距離で座る。
こんなにも距離が近いのは、幼かった頃か、タンデムの時だけだった。
クレープの甘い匂いに混じって、柑橘系の香りがした。
……違う。
誰と比べた?
……分かってる。
クレープを一口、かじる。
甘い。
ちゃんと甘いはずなのに――何も、残らない。
「……どう?」
隣で、澪が少しだけ身を寄せてくる。
覗き込む距離。
不快じゃない。
でも、どこか違う。
「……うん、美味い」
そう答える。
嘘じゃない。
でも。
味の記憶が、残らなかった。
喉の奥に落ちていくだけで、何も引っかからない。
……もの足りなさ。
視線が、勝手に逸れる。
公園横の道。
あの日と同じ場所。
同じ時間。
――違うのは。
「……ねぇ」
不意に、澪の声が近くなる。
「今も、あの人のこと考えてる?」
息が詰まる。
言葉が出ない。
否定も、肯定もできない。
沈黙が、そのまま答えになった。
「……そっか」
小さく笑う声。
責めるでもなく、ただ受け入れるような。
それが、余計に刺さる。
肩に触れていた温もりが、少しだけ強くなる。
「でもさ」
一拍置いて。
「今は、私といるんだから」
逃げ場を塞ぐように、距離が詰まる。
近い。
「ちゃんと、……私を見て」
その瞳は、病室で宣言してきた日と同じ強さをしていた。
すずの優しい瞳とは違う。
覚悟が滲む目。
近いはずなのに――どこか、遠い。
あの部屋では、ちゃんと残ってたのに。
梅雨の隙間に晴れた貴重な日。
私は智也と公園に来ていた。
ここは昔、私たちがよく遊んだ公園。
智也は覚えていないかもしれないけど、私たちが初めて出会った場所。
そこから毎日のように遊んだかけがえのない空間。
あのブランコにも、スベリ台にも、このベンチにも私の記憶は残ってる。
ベンチに座る彼は心ここにあらず。
理由は分かってる。
でも、同情なんてしない。
私は夢見た瞬間を過ごしているのだから。
それがあの女の不幸だろうと、彼の気落ちの原因だったとしても、譲れない。
譲りたくない。
それくらい、私は智也が好きだ。
智也があの女に惹かれてることを知った時。
私は生まれ変わった。
覚悟を決めた。
なのに……。
届いているはずなのに、届いた気がしなかった。
――いや、違う。
届いてないのは、分かってる。
それでも――やめるつもりなんてなかった。
私は、そっと手を伸ばした。
彼の指に、触れる。
――今度は、離さなかった。
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