第18話:音
既読がついたことで指は完全に止まった。
でも、全部壊してしまいそうで――
画面を、見られない。
震える手でスマホを伏せた。
息が、浅い。
胸の奥が、痛い。
今、返事が来たらどうするの。
何を言われるの。
怖い。
……見たくない。
――それでも。
数秒。
数分。
どれくらい経ったのかも分からないまま、そっとスマホを手に取る。
画面を、点ける。
通知が、増えていた。
『大丈夫?』
『落ち着いて』
『ちゃんと話そう』
優しい文字。
視界が、揺れる。
……なのに。
既読が、つかない。
指が、止まる。
――できない。
これを見たら。
これを読んだら。
もう、誤魔化せない。
自分が何をしたのか。
どれだけ、間違えたのか。
全部、はっきりしてしまう。
「……やだ」
かすれた声が、部屋に落ちた。
スマホの画面は、明るいまま。
なのに、私は――何も、見れていなかった。
スマホを、そっと伏せた。
見ない。
……今は、まだ。
触れればいいだけなのに。
それだけで、届くのに。
指が、動かない。
画面が暗くなる。
もう一度、つける。
ほんの少しだけ期待してる自分がいる。
でも、開けない。
それを、何度も繰り返して。
気づけば、部屋の明かりだけが浮いていた。
……今、見たら。
ちゃんと、向き合わなきゃいけなくなる。
逃げられなくなる。
「……今は、無理」
小さく呟いて、目を閉じる。
私はスマホから手を離した。
きっと――今は何を言っても、傷つけあってしまう。
……そう、思うことにした。
重い扉が音もなく閉まる。
背中にはすずの視線を感じていたが、引き止められることはなかった。
彼女を信頼していた。
彼女から信頼されてると思ってた。
水の中を歩いているように足が重い。
高速エレベーターは考えがまとまる前に地下へとつく。
自分のバイクのエンジンをかけると、エキゾーストが反響し、誰かの叫びに聞こえた。
今、俺はどんな顔をしているのだろうか。
ヘルメットで表情が誤魔化せるのが唯一の救いに感じた。
いつもと変わらないはずの夜の光景から、色が抜け落ちてしまったように薄っぺらい。
クラクションの音が、やけに遠くに聞こえた。
実家に帰り、バイクを停める。
なんて言おうか……。
両親の顔が、頭に浮かんで――消えた。
無言で家に入ると2階の自室に籠る。
音で気付いたのか、母親が声をかけてきたが今は知られたくない。
バレない訳がないのに……。
久しぶりのベッド。
俺ひとりでスペースが埋まる。
そこに彼女の場所はなかった。
コンコン
ドアのノックにも、今は反応する気が起きない。
向こう側から戸惑った気配がする。
「智也、ちょっといいか?」
親父の声だと分かって、余計に動けなかった。
ソファーの上、膝を抱えてうずくまる。
広い部屋が余計に孤独を呼ぶ。
何をしたらいいのか、わからない。
でも、頭の中はひとつのことで拘束されている。
……何も出来ない。
ただ、動けなかった。
そう思うたび、彼との思い出が蘇る。
……何も出来なくなる。
あれから、スマホは一度も震えない。
彼との関係は断たれたのかも……。
動けなかった。
「智也、開けるぞ」
ゆっくりとドアが開かれた。
布団に顔を埋めたまま、なんとか耳だけは立っている。
「すずさんと喧嘩したのか」
部屋の中には入ってこない。
親父の言葉が、うまく頭に入ってこない。
喧嘩だったのか……それだったらどれだけ楽か。
「あんなに素敵な人はそうはいないぞ」
知ってる。
誰よりも俺が知ってる。
知ってる、はずだった。
「もし、喧嘩したならお前から謝ってやれ」
親父の隣に母さんがいるのがわかった。
俺の指先がピクリと動く。
「……」
「それだけだ。今日はゆっくり寝ろ」
親父は母さんに背中を叩かれながら、ドアを閉める。
階段を降りる二人の足音が、やけに遠く感じた。
――たったひとつの“違和感”から
全部が壊れ始めていた。
ブクマ、評価いただければ励みになります。




