第3話:確保
地下駐車場から出ると清々しい朝日に照らされる。
朝の忙しない雑踏を嘲笑うように2人の乗ったバイクは駆けていく。
想像すらしていなかったシチュエーション。
この世界で男性に送ってもらったことがある女性など、果たして何人いるのか。
すずは自身の幸運を噛み締めるように彼の背中に身を預けた。
すれ違う雑踏からの視線が現実に引き戻してくるが、それが返って夢の時間のように錯覚させる。
だけど、永遠に続いて欲しい時間は呆気なく終わりを告げた。
「すずの会社って、ここでよかったよね?」
「えっ!?」
私がトリップしている間に目的地である会社に着いてしまっていた。
当初は会社の近くまで送ってもらうつもりだったのに浮かれて、言うのを忘れていた。
そして、不味いと思った時にはもう遅かった。
「おはようございます、社長」
「おはようございます!社長!」
智也のバイクを遮るように立つ小林。
逃げ道を塞ぐように立つ森田。
「お、おはよう。2人とも」
挨拶で私の知り合いと察した智也が2人に挨拶を返す。
「初めまして、白石智也です」
彼の礼儀正しい挨拶に2人は戸惑うが、その瞳の奥が光ったことをすずは見逃さなかった。
小林はすかさず、森田にアイコンタクトを送る。
森田はアイコンタクトを受け取ると背中越しにスマホを操作して、社内チャットを飛ばす。
森田:社長の配偶者確保
社員:!?!?
森田:これより社内に誘導する
社員:!?
森田:これは最重要案件である!
社員:了解しました!
森田:全員速やかに準備に取り掛かれ!
社員:後、30秒で配置完了します
布陣が完成しつつあることなど、露ほども知らない智也は相変わらず、小林と森田に笑顔を向ける。
「じゃあ、俺はここで……」
「智也、送ってくれてありがとうね」
この場から逃げてと暗に願い込めて言うが、小林が見逃すはずがなかった。
2人の言葉を遮るように、小林が軽く腕を伸ばす。
その瞬間、森田が小さくハンドサインを送る。
すると、社内チャットで次々と反応した社員達が、ビル内から現れ花道を作り、誘導線を示す。
彼女らの耳に充てられたイヤホンからは「配置完了!」の声が飛び交う。
智也はまだ何が起こっているのか理解できず、少し戸惑いながらもにこやかに笑う。
しかし次の瞬間、後ろから「こちらへどうぞ!」と手を差し伸べる森田の誘導に、足が自然と前に出てしまう。
「え、ちょ、ちょっと待って!どこに行くの?」
だが、周囲を囲む社員たちは完璧な連携プレイで、智也の逃げ道を一切塞ぐ布陣を完成させていた。
小林が指示を出す。
「私は社長の右側に回って、軽くサポート。森田は前方を確認」
智也はまるで知らぬ間に軍隊式の「護送ルート」に導かれ、オフィス内まで歩くことになる。
途中で、小林の耳には社内の一部社員から「お祝い用の花束確保」「カメラ準備完了」の報告が入る。
「ちょ、ちょっと待って、俺、部外者だから会社に入るのはちょっと……」
「大丈夫ですよ。社長の配偶者は当社の最重要保護対象です」
智也の焦り混じりの声にも、小林を筆頭に社員たちは笑顔で返すだけ。
すずは半ば呆れながらも、内心では「やっぱりこの人たち、面白すぎる…」と微笑むしかなかった。
そしてついに、オフィス中央のスペースに到着。
そこには、すでに社員たちが整列し、智也を囲むように待機していた。
普段はデスクがあったはずの場所は綺麗に片付けられ、オフィス内は一新されていた。
この短時間でここまでやった社員達にすずは戦慄しながらも逃げ場はないのだと悟った。
「はい、こちらで社長と智也さんのご対面式を開始します!」
智也は深く息を吸い込み、「まさか、こんなことになるなんて…」と苦笑い。
すずは隣で「まあ、予想はしてたけど…」と小さく笑う。
こうして、智也は完全に「社長の配偶者保護ミッション」の中に取り込まれ、オフィス内の視線に晒されることになった。
小林が一歩前に出ると口上を述べ始める。
「社員一同、普段から社長にはお世話になっていますので是非、お2人をお祝いしたいと思っておりました」
「そうなんですね。僕も皆さんに祝ってもらえて嬉しいです」
その一言で、社員たちの視線が一斉に智也へ注がれた。
聞いていた以上の素直さ、これはイケると思わせてしまったのは智也の失態だ。
智也は目をぱちくりさせ、口を開こうとするが、すぐに「質問の嵐」が始まった。
「智也君の趣味は?」
「社長に決めた切っ掛けは?」
「デートはどれくらいしていたんですか!?」
「社長は家ではどんな感じなんですか?」
次々と飛び出す質問に、智也は混乱しながらも答える。
「趣味は…キャンプとバイクです」
「最初は憧れで…でも一緒にいると安心して…」
智也の答えを聞く度に社員の目は輝いていく。
「デートは…ほぼ毎週…」
「えっと…家では…ちょっと甘えん坊かな」
社員たちは聞き逃すまいと、前のめりになったがそれが裏目に出る。
あまりに甘い答えに悶絶する者が続出した。
すずは横で苦笑い。内心では「ちょっと待って、なんでそんなことまで答えちゃうの…!」と焦る。
小林は冷静に智也を観察しながら、質問をコントロールする。
「落ち着いて聞きましょう。順番に聞きますから」
しかし、森田はつい興奮してしまい、つぶやくように質問を重ねる。
「智也君は、どのくらい社長に夢中だったんですか!?」
智也の顔が赤くなる。
すずも目を丸くして、慌てて手で口を押さえた。
「そ、それは…」
しかし、社員たちの期待と好奇心は止まらない。
すずは内心で「これが選ばれた者の洗礼なのね…」と呟きつつ、智也の腕を軽くつついて聞く。
「…私も聞きたい」
この後の智也の発言で大いに自爆するとも知らず、すずの期待は膨らむ。
こうして、智也は「社長の配偶者保護ミッション」の中で、社員たちによる優しいが圧のある質問攻めに晒されることになった。
すずは横で見守りつつも、時折笑いをこらえながら、社員たちの熱量に圧倒されていた。
智也は質問攻めに圧倒されながらも、これまで誰にも言えなかった感情や言葉を聞いてもらえて、少しずつ表情が和らいでいった。
社員たちの熱意と期待は凄まじいが、どこか温かい空気も漂っている。
「えっと…正直、こんなに歓迎されるとは思わなくて…」
小声で言ったその言葉に、社員たちから柔らかい笑みが漏れる。
森田がにっこりと頷きながら言う。
「だって、尊敬する社長の旦那さんですから!みんなで祝わないわけにはいかないですよ!」
智也は照れくさそうに頭をかき、すずに視線を向ける。
「すずって、会社のみんなにこんなに慕われてるんだね」
すずは軽く肩をすくめて笑う。
「まあ…私一人の力じゃないけどね。でも、こうして皆に祝ってもらえるのは嬉しいわね」
その言葉に、社員たちが一斉に歓声を上げる。
拍手、笑顔、控えめな小声の祝福――オフィス内は一気に温かい雰囲気に包まれた。
「じゃあ、みんなで乾杯!」
森田が冗談めかして言うと、全員が小さなグラスを取り出し、微笑みながら乾杯する。
智也は肩の力を抜き、少しだけ自信を取り戻した様子で、社員一人ひとりに笑顔を返す。
すずも隣で微笑みながら、智也の緊張が少しずつ解けていくのを感じた。
小林が穏やかに言った。
「これからは、社長と智也さん、二人三脚で会社も家庭も支えていくんですね」
智也は深く頷き、すずの手をそっと握った。
「まだ学生だけど、将来は一緒に頑張っていきたい」
社員たちはその光景を見て、さらに微笑む。
すずは心の中で呟く。
これからが…私の“本当の洗礼”なのね…と。
そして小さく笑い、智也の肩に寄り添った。
こうして、智也は質問攻めの洗礼を乗り越え、社内全体の祝福を受けながら、新たな一歩を踏み出すことになった。
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