第4話:天然
大学正門前に停まる真っ赤なスーパーカー。
見た目もそうだがそれ以上に、普通車とは違うエンジンの音に周囲の視線が、一斉に集まる。
助手席から降りてきたのは、"若い男"。
男は希少で、しかも――左手の薬指には光る指輪。
運転席から降りてくるのは、すず。
ハイブランドのスーツに身を包み、完璧な立ち姿。
今年、卒業を迎える学生たちにとって、すずの名前はネットニュースやSNSで何度か目にしたことがある、今をときめく若手社長の顔でもある。
その名は一瞬で耳に残り、存在は一目で理解される。
学生たちの目は、自然と彼女から男へと向かう。
彼は、いつも通りの服装、いつも通りの背筋。
しかし、周囲の羨望と緊張が彼の存在を特別なものに押し上げていた。
自分達とは違う世界の住民。
智也の手を取り、指を絡めるすず。
指を絡めるその動作はさりげなく、しかし確実に周囲の注目を集める。
智也も慣れたもので、すずから目を離さない。
彼女のことしか、見ていない。
「終わったら連絡して。迎えに来るわ」
声は穏やかだが、その視線は周囲の女子大生を静かに射抜く。
牽制。警告。――そして、心配。
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないのが、この世界よ」
すずが残った手で頬に軽く触れてくる。
彼女の温もりに手を重ねる。
視線が交わる僅かな時間。
息を呑むような静寂。
周囲からも小さなざわめきが漏れた。
スーパーカーが走り去ると、周囲のざわめきは瞬間的に静まる。
智也はすずの車を見送ると希望と期待、それから少しの緊張を伴って歩き出した。
彼の周りには3メートルの空白と緊張。
誰もが声をかけたくても、かけられない。
すずの残像が放つ圧力に気圧されていた。
しかし、講義室に入ると別の緊張が待っていた。
(ねえ、声かけてみようよ)
(やめときなって、あの指輪見えるでしょ)
耳に届くひそひそ声。
スマホの通知音がちらつく。
誰も正面から目を合わせようとしない。
理由は明白だ。
希少種すぎて近寄れない――そして、この指輪。
クラスメイトたちは遠巻きに、興味と恐怖を混ぜた視線を向ける。
(やばっ、めっちゃかっこいい)
(あの指輪って、パートナーリング?)
数人がスマホを手に取り、さりげなく写真を撮ろうとするが、指輪の光に気づき、慌てて視線を逸らす。
国が支援するパートナー法。
下手に手を出せば、法律的にも社会的にも葬られると囁かれる。
結婚した男性を守るシステム。
その法的保護に恐れを抱かない者は少数だ。
孤立感と誇らしさが入り混じる――智也は小さく息を吐いた。
(思ったより、きついな……)
でも、すずの配慮が彼の背中を押す。
もし彼女がいなければ、この世界はもっと冷たい。
講義室は檻のようだが、守られている安心感も同時にあった。
前方の教授が声をかけてくる。
「白石君だったわね、席は空いてるところへどうぞ」
俺は少し迷いながらも、空いている最後列に歩を進める。
その背筋に、周囲の好奇の目がずっとついてくる。
すずが車を降りる前にちらりと振り返った光景――周囲の女子学生たちの嫉妬と羨望、そして牽制の視線――が、今、頭をよぎる。
俺は小さく笑みを作り、椅子に腰を下ろした。
心臓はまだ早鐘を打っているが、講義は受けなければならない。
タブレットを開くと決意を抱く。
この世界での本当の第一歩が、今、静かに幕を開けた。
講義が終わっても、遠巻きに見てくるだけで誰も俺に声をかける人はいない。
まるで俺だけが透明人間になったかのようだ。
本人は気付いてないだけで智也の情報は既に出回っていた。
想像していたキャンパスライフとはかけ離れた現実。
これならリモートの方がマシかとさえ、思えてくる。
次の講義まで時間があるので俺は学内にあるベンチに腰を掛ける。
逃げ場のない視線の中で、ただ座っていた。
楽しそうにグループで過ごす人達。
でも、何処か視線はこちらを見ている。
仲が良いのか、芝の上に座る2人とはチラチラと目が合う。
そのたびにきゃっきゃっとはしゃいでいたが片方がスマホを確認すると目が合わなくなった。
俺の居場所はここにはないのか……。
今なら、すずが戸惑っていた理由もわかる。
初日から暗雲が立ち込めるキャンパス内を歩き、次の講義に向かう。
講義室に入り、静まる空間。
……またかと思ったそのとき。
「ねえ、それってパートナーリングだよね?」
隣に、何の躊躇もなく座る女子。
明るい声。
無邪気な目。
光の加減か、少し淡い色の瞳。
「え?」
「友達が話していたけど、ニュースで見たことある。あの若手女性社長とパートナーなんでしょ?」
距離が、近い。
周囲が凍る。
彼女は気づいていない。
この世界の“空気”に。
「私、真白・レイン。同じ経営学部。……あ、真白でいいよ」
天然。計算ゼロ。
希少男子への遠慮も恐れもない。
ただ純粋な好奇心――もしくは文化圏の違いか。
距離の取り方が大胆。
それでも明るい声に、心の奥底で小さな安心が芽生える。
俺は、少しだけ肩の力が抜けた。
「俺は智也。よろしく」
初めて、大学で“普通に話せた”。
これまで下がっていた口角が自然と上がった。
「でもさ、指輪してるからって話しちゃダメって、ちょっと変じゃない?」
自分に似た価値観だと思った。
「選ぶのはあなたでしょ?」
その様子を、少し離れた場所から見つめる視線がある。
長い髪を揺らし、静かに目を細める女。
智也がしっかりと女の顔を見ていたら、気付いたかもしれない。
つい最近、すずの会社で出会ったことのある人の身内であると……。
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