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貞操観念逆転世界で100分の1の出会い(年上女性と年の差恋愛)  作者: くろのわーる
第一章

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35話:第3戦

 


 澪はあの女が病室にいなければ、いいのにと思いながらゆっくりと扉に手をかけた。


 休日の穏やかな光が病室に差し込み、不穏な影を作っていた。


 白い壁に移る影は、痛いほど鮮明でありながら、感情までをも宿した陽炎のように、揺らめいて見える。


 病室の角に置かれた小さな観葉植物は今から何が起こるのか分かっているのか、怯えたように葉をしなだれさせている。


 窓の外からは、平日とは違い、車の走行音や人々の足音も、どこか見守るように潜んでいるのか届くことはない。


 鳥のさえずりが遠くで重なり、時折、子どもの笑い声がかすかに響く。


 だが、この病室は外の世界とは異なる時間を持っていた。


 そこだけが、少しだけゆっくりと、そして密やかに流れている。


 澪は秘策である小さな紙袋を手に持ち、そっと扉を開ける。


 足音は最小限に抑えられ、まるで病室の空気に溶け込むように滑り込む。


 その動作は自然でありながら、心の中では短時間で最大限の印象を残す計算があった。


 紙袋の中には、智也が昔から無邪気に好きだと言った甘いお菓子が入っている。


「智也、これ……差し入れ」


 声は控えめだが、目の端には小さな光が宿っていた。


 智也は反対の手でぎこちなく受け取る。


 利き手は骨折しているため、添えられず、動作はやや不安定だ。


「わっ……! これ、覚えててくれたんだ!」


「智也、これ好きだもんね」


 喜びが自然に顔に浮かび、反射的に指先が澪の手の方に伸びる。


 その一瞬、すずがすっと手を添え、智也の手ごとお菓子を包む。


「じゃあ、ちょっとだけ、食べさせてあげるね」


 声は柔らかく、指先の温もりも同時に伝わる。


 普段はいつもしてもらってるのに、人前でやることに智也の頬が自然に赤くなる。


 目を細め、差し出されたお菓子を口元に運ばれると、息を止めるような反応をしてしまった。


 澪はわずかに眉を寄せる。


 “効いた……けど、こんなはずじゃない”


 瞬間火力で揺さぶるつもりが、すずの安定感に柔らかく吸収され、逆に自分の存在を意識させられる感覚に、焦りと悔しさが微かに混ざる。


 すずは微笑みを崩さず、智也の手を支えながら、自然に肩にも手を添えた。


「智也、ゆっくりね」


 穏やかで落ち着いた声が、彼の心を包み込む。


 智也は手を握られたまま、どちらに視線を向ければいいのか迷い、呼吸が少し早くなる。


 心は自然に二つに引き裂かれ、胸の奥が熱くなる。


 澪はその無防備な反応を見逃さず、心の中で小さく息を吐く。


 ――まだ、終わりじゃない。


 紙袋からもう一つ菓子を取り出し、差し出す。


「ほら、こっちも食べて」


 一見軽やかな仕草だが、智也の微細な動きや表情の揺れを最大限に観察している。


 すずは笑みを浮かべながら、軽く手首を握り、智也に口元まで運ぶ。


「はい、あーん」


 智也はほんの少し頭を後ろに引くが、結局すずの手に委ねてしまう。


 その瞬間、指先の温もり、手首の微かな圧力、そして唇の近くに触れる柔らかさ――すべてが胸の奥に小さな波紋を広げる。


 澪は悔しさを飲み込みながらも、内心では微かな手応えを感じていた。


 “無意識で揺れる……それでも、少しだけ心を刺激できた”


 一方、すずは智也の反応を見逃さず、軽く微笑むだけで、彼の胸の奥に安心感を刻み込む。


 智也は目を閉じ、息を整えようとするが、呼吸はすでに早く、胸の奥は複雑に熱を帯びていた。


 視線は澪とすずの間で揺れ、手はすずに支えられながらも、無意識に澪の菓子に触れる。


 温かさと熱、安定感と瞬間的な刺激――二つの感覚が彼の胸の中でせめぎ合う。


 智也は視線を澪に向けかける。


 その瞬間、手先に触れる柔らかさが全てを語った。


 すずの手は微かに力を込め、しっかりと智也の指先を包み込む。


 逃げられない。


 戻る場所はここだと、身体が自然に知っている。


 呼吸が少し速くなる。


 鼓動が耳の奥で小さく響く。


 一瞬、心が揺れる。


 澪の存在も、香りも、指先の感触も、全てが胸の奥で波紋を広げる。


 だが、視線をそらしても、手は離れない。


 手首を握る温もりが、揺れる心をそっと支え、逃げる道を閉ざしていた。


 ――ちゃんと向き合わなきゃ。


 言葉にはまだできない。


 だがその小さな決意は、胸の奥で確かに灯った。


 今、ここで立ち止まり、逃げずにこの温もりを受け止めること。


 それが、二人で歩む未来の第一歩だと、無意識が理解している。


 澪は微かに眉を寄せ、でも何も言わない。


 わずかに揺れた瞬間に手応えを感じ、胸の奥で小さく息を吐く。


 ――まだ、終わりじゃない。


 窓の外、冬の光は少し傾き、柔らかい影が床に落ちる。


 その静けさの中で、三人の時間は、ゆっくりと、しかし確実に刻まれていった。


 そして智也の胸には、小さな約束の光が射す。


 事故にあっていなければ、既に達成していた二人でのキャンプ。


 ――その夜の星空の下で、言わなきゃいけないことがある。



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