30話:介護
夜、病室へと続く廊下の照明が柔らかく灯る。
私は一度、家に帰り自分の支度を整えると再び、智也君がいる病室へと戻ってきた。
白いベッドの上に横たわる智也君の腕と足には、変わらず包帯が巻かれ、松葉杖がそっと立てかけられていた。
「智也君……夜ごはん、食べられそう?」
彼は寝ていたのか、夕食は豪華な部屋のテーブルに置かれたままだった。
「……うん」
寝起きの声と無防備な姿、痛む右腕、右足を庇う動きに、私の母性本能が高まる。
「動かないで。私が起こすわ」
そっと上半身を抱え、私に寄せる。
彼は真っ赤な顔でプルプルと震えていた。
「んっ!?どこか痛むの?」
「ち、違います……ちょっと、すずさんの……」
小さく呟く声に、ピンときて思わずイタズラ心が芽生える。
そして、そっと耳元で優しく囁く。
「元気…出た?」
智也君は私の囁きに、今度は耳まで真っ赤に染めて俯いてしまった。
お盆を手に、病院食を運ぶ。
「利き手、使えないでしょ?私が食べさせてあげるわね」
コクンと可愛く頷く彼を見て、微笑みが自然と浮かぶ。
小さなタオルを横に置き、腕に添えてスプーンを口元に運ぶ。
「……こうして支えてもらえるだけで、安心する……」
智也君の声に胸がじんわり温かくなる。
「そう? じゃあ、もっと支えてあげる」
微笑みながら、そっと体を密着させる。
「す、すずさんっ!?近過ぎませんか!?」
距離が近いどころか触れているのだ。
感覚全てを共有しているかのように。
智也君は動揺しているが、でも私は引かない。
「街で智也君を見掛けた時、不安になった」
そう幼馴染とタンデムしている時だ。
「…事故は間違いだって、願った…わ」
智也君は静かに私の独白を聞いている。
「電話が繋がらなくて、ニュースサイトで記事を見た時、生きた心地がしなかった…」
あんなにも泣いたのにまた私の目からは涙が溢れていた。
「すずさん…」
私は智也君の肩に顔を押し付けていた。
「…いなく…ならないで」
私の声は掻き消えそうなほど、小さかった。
「俺ならここにいます、すずさんの隣にずっと…」
腰に力強い腕がまわされ、さらに引き寄せられた。
腕の強さに、言葉よりも確かなものを感じた。
智也君は小さく笑い、私は泣き笑いで視線を合わせる。
腰に回された腕の強さが、まだ残っている。
それでも私は、確かめるように聞いた。
「……夜は寂しくなかった?」
囁くように聞く私に、智也君はうなずいた。
「昨日は麻酔が効いてたから」
「じゃあ、今は?」
「すずさんがいてくれるから、平気」
その言葉に、指先へさっきよりも力を入れた。
髪を耳にかけ、手を握り直す。
窓の外の街灯が差し込み、オレンジ色の光が包帯に反射する。
静かな病室。二人の呼吸だけが響く。
外の騒音も、澪の存在も、一瞬だけ遠くなる。
「……ありがとう、すずさん」
弱々しい声に、私は微笑む。
「私がいるから。安心して」
肩に触れる温もり、手を握る力。
夜の病室に二人だけの時間が生まれる。
時計を見ると、もう夜も遅い。
「今日は……私、泊まって看病するね」
自然に口から出た言葉に、彼は少し驚いたように目を見開く。
「え……すずさん?」
「実はさっき廊下で、智也君のお父さんに会ったの」
「ま、まさか…親父のやつ」
「…うん、息子をよろしくって」
「え、でも、すずさんにそこまで迷惑かけるわけには…」
「……嫌だった?」
「それはない!だけど…」
「だって、動けないんでしょ? 退院するまでの間は私がそばにいるから、大丈夫」
手を握り直すと、智也君は小さく息をつき、緊張したように肩に力が入った。
ベッドの横に折り畳みベッドをくっつけて、私は同じ枕を使うような距離で横になる。
緊張で固くなっているのをほぐすように彼の胸に手を置く。
「夜は寒くない?」
「うん、すずさんの体温……温かい」
更なる温もりを求めるようにギュッと手が握られた。
光は薄く、外の街灯が優しく差し込む。
静寂の中で、手のぬくもりと呼吸のリズムだけが、二人を包む。
「眠れる?」
「……うん」
彼の胸の上で手を握り合ったまま、智也君の瞼が重くなる。
私も手を握ったまま、目を瞑る。
もう離れる理由はない。
夜の病室に、二人だけの安心と静かな親密さがゆっくり広がっていく。
(最後に隣にいるのは、私――それだけでいい)
隣にいる彼の体温と私の体温が混ざり合うように溶けていった。
ブックマーク、★評価よろしくお願いします。
励みになっています。




