あきれるほど何も知らないのだな
完全に音が消えた。
しめやかな空気が流れて……せっかく盛り上がったところでしたのに、ご愁傷様です。
普通の人間には翼がない。
何を当たり前のことを言っているのという顔をした、そこのあなた。
彼らが当たり前すぎる前提条件の確認を怠ったがために、今のこの混沌があるわけですよ!
種明かしをすると、トウカ達が建国記念の式典に乗り込んでくるのは承知していた。
しかも情報の出どころは他国にいるタンガからだ。
彼は他国において行方不明の翼人達の行方を探っていたのだが、その過程でトウカらしき少女がブンデンベルグ辺境伯領からほど近い場所にあるジギリス公爵領にいるらしいという情報を掴んだ。
彼らは翼人の国を捨てたあと、最初は他国に降り立ったらしい。
ただあの勝ち気な性格が災いして上手くいかず……背中の羽を出して逃げている姿をちょうど通りかかったオスカー様に見られた。
単純なもので、話を聞いているうちに神の使いだと思い込んだオスカー様。
彼と共にワムシャリア王国へと戻り、そのまま公爵家の領館に居候してオスカー様との仲を深めたのだとか。
個人的にはそのまま幸せになっていてくれれば面倒も少なくていいものを、たまたまアレク様の話題が出て、私がアレク様の婚約者となったことを知ったらしい。
それで憎しみの感情が再燃し、ついには盛大に断罪することを思いついた、とかなんとか。
馬鹿だよなぁ。
ちなみにこの情報を携えてきたのはルオだった。
『ここまでくると腐れ縁というやつですね』という言葉から推測できるように、彼は賢者候補の何人かと一緒に他国へと移住するタンガに同行することを選んだ。
タンガと一番仲がよかったし、そういう仲間が近くにいることは彼にとっても心の支えになることだろう。
彼との闘いを繰り広げた日に死にかけた私のことを心配して、申し訳なかったとタンガのぶんまで謝罪されたが、もう過去のことだと答えた。
とはいえ、そこまで気にするならばと代わりに依頼したのが、翼人達の行方を知らせてくれることだった。
領に近い場所にいるのなら保護するかなんて話していたのだが、なんとその網にトウカが引っかかったのだ。
そのトウカと両親が近々公爵家の馬車で出発すると聞けば、建国記念の式典でやらかす気なのは想像がつく。
事前準備があるのとないのでは、ずいぶんと心の余裕が違うというものです。
「……翼がない、だと?」
意識を正面に戻すと、公爵家子息がポカンと口を開けている。
秀麗な顔が台無しになるような間抜け顔です。
「…………ふっ」
堪えきれずに噴き出すような音が聞こえた。
生温い視線を隣に投げる。
「アレク様?」
「ごめん、ちょっと限界を越えてしまって」
眉間に皺を寄せて必死に耐えているが肩が小刻みに震えている。
まあ正直なところ、私もまさかこの程度で動揺しちゃうのとは思ったけどね!
情報を掴んだ私達はトウカ達に絡まれる未来を想定して、ルオも交えて対応策を何通りか考えていた。
ただどんなシナリオをたどっても、最終的に着地点はここへたどり着くのよ。
そう、私の背中には翼人であった証拠となる翼がないのだということに……。
すると領の収支報告書を眺めながら器用に耳だけを私達の話に傾けていたアレク様がこう言った。
『出鼻をくじく意味でも最初に親子関係をすっぱりと否定してみたら?』
『あ、それもいいですね。人違いですって押し切る作戦ですか!』
『そう。ハンナの戸籍自体に問題はないし、両親も揃っている。そもそも辺境伯領で生まれたことを否定する根拠が何もないのだから、堂々と別人ですと言ったらすんなりいくと思わない?』
『いやいや、アレク様。さすがにその程度では終わらないと思いますよ! 一応相手には父もいますし、それなりに頭キレる人のはずですもの!』
『あ、いやそうでもないかも?』
『へ? ルオは父のことを何か知ってるの?』
『ああまあ、なんというか……鴉から賢者候補を出すじゃないですか。だからわりと鴉同士ってお互いの評価は辛口なんですよ。で、辛口でも結果を出して評価を受けている人物を最終候補として残すのです』
『ああ、なるほど。候補と名がつくまえに仲間内でふるいにかけられるということか』
『それでも、あとから選別に不平不満を持つ者が一定数いるので、不正などがないか一応確認するため、賢者候補以外の評価も処分せずに残しているのですよ。ちなみにタンガは歴代最高点でした!』
『……うちの父は?』
『歴代の……下から二番め』
『うわあ』
『伸びしろを考慮すれば、今のハンナなら余裕で勝てそうだね』
だから鴉の群れの中では卑屈な態度だったのね。
家では鴉だから頭がいいのは当然みたいな扱いで、私も父から何度も物覚えが悪いと貶されていたっけ。
泣きながら何度もタンガにお願いして勉強を教えてもらった。
そしてトウカは同じようにできなくても怒られることはなかったの。
できなくても鷹の羽を持つから嫁入り先には苦労しないということで、彼女はすくすくとさまざまな知識が欠けたままに育っていた。
役立たずらしく、トウカができないことはおまえが補ってやれとか理解不能なことを言われていたものね。
その父が、体を震わせながら私を怒鳴った。
「ふざけるな、翅はなくともおまえはレンカだろう!」
こだわるわね。
なら、新たな一手を。
「では、レンカさんの身体的特徴を教えてください」
「は?」
「身長は? 体重は? ああ、私と同じ黒髪に黒目というのは除外してください。この場には黒目黒髪をお持ちのお嬢様方や侍女の方々も含めると結構な数がいらっしゃいますので。たとえばもっと特徴的なもの……癖やほくろの場所、そのほかに目印となるものが身体にあれば、それを」
家族ですもの、当然ご存じですわよね?
そう言い切って、私はにこやかに微笑んでから口を閉じた。
家族は視線を交えて何かを言いかけたけれど……結局は沈黙する。
そうでしょうね。
だってあなた達は私の翅しか見ていなかったのだもの。
翅がなければレンカだと判断がつかないのだから、癖やほくろの位置すら怪しいでしょうね。
するとイライラした様子で公爵家子息が父に囁いた。
「小さなころの怪我とか、大きな怪我の傷跡とかはないのか⁉︎」
そこでトウカがようやく思い出したらしい。
私の背中に何があったか、を。
「たしかに姉の背中には翼がありません。それは姉が国外追放される原因となった事件を起こしたせいなのです!」
「事件だと? それは一体どんな事件だったのだ⁉︎」
「傲慢な姉は自分が一番でなくては気が済まない性格でした。気性も荒く実力もないのに、狩人達が必死になって追い立てた害獣のまえに勝手に飛び出して邪魔をしようとしたのです。不用意に飛び出した姉に刺激された害獣が暴れて、たまたま近くにいた私も巻き込まれ、害獣に殺されそうになったのです……」
「なんとひどいことを!」
「そうです、姉が妹を殺そうとしたのです!」
「ですから国外追放になったのですわ!」
トウカが、よよと泣き崩れ、公爵家子息がそれを支える。
父と母も支え合うようにして泣き崩れる。
いやもう嘘ばっかりなのだが、演技派だな。
そして父がきっと私を睨みつけた。
「レンカの背中には、そのときに受けた醜い傷跡が残っています! 爪でついた深い傷跡による引き攣れと毒で爛れた一度見たら忘れられないような醜い傷。まるで天罰、神の怒りを受けたような傷跡こそがあの女が罪人である証、我が娘であり神をも愚弄する大悪女レンカである証拠なのです!」
翼人達は、白精霊師を睨みつける。
公爵家子息が皮肉げな笑みを浮かべながら白精霊師へと迫る。
「もう諦めるのだな、さあその背中にある神の怒りとも思えるような醜い傷跡を晒してもらおうか!」
不躾にローブへと伸ばした手を、誰かが掴んだ。
ハンナを守るように、眼光を鋭くした金の獅子が牙を剥く。
「我が婚約者に手を触れる、そんな蛮行を私が許すと思うか?」
「罪人を庇いだてする時点でおまえも同罪だ! 辺境伯家は王家を愚弄したとそう判断されるぞ!」
蔑むような態度で公爵家子息は詰め寄るも、金の獅子は動じない。
ただ冷ややかに見下ろすだけだ。
揺るぎなく立ち塞がる金の獅子の肩を、白魚のようにたおやかな指先が触れた。
「敬愛する我が主、私はかまいません」
白精霊師は柔らかく笑って、猛る獅子をなだめる。
その愛情あふれる表情と仕草に、人々は緊迫した状況を忘れたように魅入られる。
そして金の獅子と恐れられている男が人目もはばかることなく愛おしげに彼女の髪をなでたのだ。
「君がかまわなくとも私が嫌なのだ。布越しでさえ君の肌を人目に触れさせるのは不愉快極まりないというのに」
「ふふ、そのお気持ちはとてもうれしいです。ですが、それではいつまで経っても平行線のままですわ」
辺境伯家子息の溺愛と呼んでもいい態度に、人々は呆然として言葉を失う。
彼の腕を外した白精霊師は玉座へと視線を向けた。
そして厳しい表情を浮かべる王へ感謝の意を込め膝を折ったのだ。
「この場は本来なら我らが偉大なる王のもの。慈悲深き王の大切な時間をこれ以上瑣末なことで奪うことは私にとって本意ではございません。建国記念の式典が行われるこの場を一刻も早く王の御許へとお返しするため、速やかに終わらせてしまいましょう」
人々は魅入られたように白精霊師の言葉に聞き入る。
腕輪は反応しない、つまり視線が惹き寄せられるのは術式によるものではなかった。
彼女の容姿、彼女の声、彼女の仕草、彼女からあふれる体内に満ちる力そのもの。
白精霊師の全てが人々の視線をさらい、片時も離さない。
あざやかに咲き誇る花のような白精霊師の隣で、金の獅子と呼ばれる辺境伯家子息は公爵家子息へ静かに吠えた。
「もし勘違いであれば、公爵家としてどう責任を取るつもりか?」
「ふん、もちろん全責任は私が負う」
「そうか、その言葉覚えておこう」
「強がりを言っても無駄だ、神がつけた傷を人間ごときが癒せるはずはない!」
「あきれるほど何も知らないのだな」
「な、なんだと⁉︎」
激昂する公爵家子息の視線の先で白精霊師がするりとローブを脱いだ。
ローブの下にまとうのは辺境伯家子息の瞳を想像させる青を主体としたドレス。
昼の会ゆえに背中を見せるデザインではないが、下品にならない程度に襟ぐりは大きく取られていた。
色香匂い立つような背骨の曲線、滑らかで白く澄んだ真珠のような肌が陽光のもとに晒される。
そして彼女の背には傷一つなかった。
「まさか、そんなはずはないわ!」
トウカの悲鳴にも似た金切り声が響いた。
静まり返る会場に一転、ざわめきが起こる。
呆然とした顔で公爵家子息がつぶやいた。
「そんなバカな!」
再びローブを羽織った白精霊師は皮肉げに唇を歪める。
無知とアレク様を批判したのは誰でしたっけ?
そもそもの話、白精霊師であれば害獣に付けられた傷くらい余裕で治せるというのに。
城に来る以前に……正確には誕生日の宴会でドレスを着る前には消し去っていた。
だって私にはもう必要のないものだから。
でも家族にとって私は役立たずのままだから、背中の傷を治せるわけはないと思い込んでいたわけね。
念のため、城の侍女に着替えを手伝ってもらいながら体に傷ひとつないことを確認させておいたけれど、彼女達の証言すら必要ないくらいにどっぷりと策にはまってくれたわ!
これでもう、誰も彼らの言葉を信じないだろう。
顔色を失った公爵家子息に、先ほどまでとな異なる批判的な視線が集まっていた。
「さて、痴れ者よ。気は済んだか?」
冷ややかな声は王のもの。
目線と手の動きで近衛兵が彼を捕らえようと動き出す。
「おいトウカ、どういうことだ! 話が違うじゃないか!」
公爵家子息は救いを求めるようにトウカへ手を伸ばしたが引きずられるようにして連れ出された。
その場には三人の翼人が残される。
彼らは顔面蒼白、窮した彼らの目線がハンナへと向けられた。
三人はまるで媚びるように薄らと歪んだ笑みを浮かべた。
「な、なあ助けてくれるだろう? 我々は家族じゃないか」
「そうよ、役立たずなのに今まで育ててやったでしょう?」
どこまでも自分勝手な人達ね。
震える声で父母が助けを求めるも、ハンナは冷ややかに見下すだけ。
彼らの隣に並ぶトウカが、懇願するように声を上げた。
「助けて、姉さん!」
運命を変えた日と同じ言葉を、声を、耳にした。
瞬間、わき上がった怒りを無理矢理おさえこむようにしてハンナは目をつむった。
害獣の呼吸、獣の匂いに、むしられた翅……。
さまざまな負の記憶が瞼の裏によみがえる。
トウカったら、あの日と同じ言葉を選ぶなんて私に殺されたいのかしら?
ゆらりと揺れて、体内に満ちる力が膨れ上がる。
ならば、いっそのこと……血が滲むほど深く手を握りしめた。
その手を、ふんわりと誰かの手が優しく包む。
「落ち着け、ハンナ。彼らは君の家族ではない。家族を騙るニセモノだ」
パチリ、と夢から覚める。
それもそのはず、アレク様が耳元へ囁いたのは事実だったから。
設定でも嘘偽りでもなく、真実、ハンナにとってこの人達は家族ではなかった。
そうよ、だから落ち着いて。
「申し訳ありません、どこまでも家族のふりをされるのが腹立たしくて我を忘れてしまいました」
人に聞かせるように、わざと声を張り上げる。
そして声を張り上げたまま、トウカに向かって首を傾げた。
「ねえあなた……もしかして本当のお姉さんにも今と同じように助けを求めたのではないの?」
「えっ?」
「そして助けにきた姉を押さえつけて、わざと害獣に襲わせた」
「ち、違うわ!」
「ならどうして、お姉さんは背中に傷を負ったのかしらね?」
「……っ!」
「あなたの説明したように害獣と戦うために飛び出したのなら、害獣と相対するはず。つまり普通は体の正面、顔面や胸に傷を負うものでなくて?」
そう、深く傷ついたときのあなたのようにね。
そのときのことを思い出したのか、トウカは真っ青な顔でガタガタと身を震わせる。
どうやら刺激が強かったみたい。
でもね、私の負った痛みはこの程度ではすまないわよ。
「あなたのお姉さんは、背中に傷を負った。つまり目のまえには守るべきものがあったわけね? では一体、何を守っていたのかしら?」
トウカから決して視線をそらさない。
あなたが、そらせるはずもないわよね?
そう、私はあなたを守ったのよ。
「なんてひどい人かしら? 守ってもらった実の姉に罪を被せたのね」
「ちが!」
「ならばなぜ、かばったほうが国外追放されたのかしら?」
瞳の奥、暗い闇のさらに奥にある彼女の心をのぞき込んだ。
そこには、あなたの罪の記憶がたしかに残っている。
私は誰よりもあなたの罪を知っているの。
恐怖に怯えるトウカが現実から目を背けるように顔を両手で覆った。
容赦なく彼女を追い詰める。
「ねえ、もし今あなたのお姉さんが目のまえにいたとして、それでも自分は間違っていないと言えるのかしら?」
さあ、言ってごらんなさいな?
トウカは沈黙した。
そして沈黙は、ときに肯定となる。
やりとりを聞いていた誰もが、この少女は姉をはめたのだと理解した。
ハンナは次に、両親へと視線を向ける。
未知の恐怖に怯える二人は身を寄せ合い、びくりと肩を揺らした。
「……おまえは、誰だ? レンカではないのか?」
父親はうろたえたような顔で、不安に声を震わせている。
彼の記憶に残るレンカは、諦めたように空の果てを眺めることしかできない無力な娘だった。
誰よりも地味で醜い、無能で哀れな娘だったはず……それなのに。
この女はレンカではないのか?
天罰により翅を奪われたはずの残骸が、こんなにも光輝く存在となれるはずがない。
それなのにどうして。
どうして我々よりも神に愛されている?
「ですから最初に人違いですと、そう申し上げておりましたでしょう?」
白精霊師は、ただ呆れたような顔で苦笑いを浮かべた。
そう、どれだけ懇願しても無駄なのよ。
だって名実ともに他人である私が、あなた達を助ける理由は何一つないのだから。
すっと書き終えたので続けて投稿します。お楽しみいただけるとうれしいです




