一度くらい彼女のために命をかけてみろ
役に立つか、なんて……。
ハンナはときどき、まるで自分が道具みたいなことをいう。
それだけ翼人によってつけられた傷は根が深いということだろう。
彼女が許したとしても、私が彼らを許せるわけがない。
アレクは完全に力が抜けてぐったりとしたハンナの体を抱え上げる。
顔色は白に近く、いつもは熟れたように赤い唇も青ざめていた。
含有量の枯渇、しかも深刻な部類のものだ。
もともとハンナは膨大な含有量を誇り、当然のように力をためておく器自体が大きい。
だからこそ急激に失われた場合に肉体が受ける負荷は平均的な精霊師とは桁違いなのだ。
そう、このレベルではまさに命に関わるくらいの……。
「アレク様、これを!」
自身の護衛官であるクライドが寄越した呪術薬を飲ませる。
ハンナ特製のこの薬は器を保護し、体内に満ちる力を補うもの。
力を極端に失った際の応急処置に使われる。
アレクのためにとハンナが持たせていたのだが、まさか彼女自身に使う日がくるとは思わなかった。
作用する強さは体質によって異なるため、効果が低いものを数本持っておいて状態をみて加減する。
一本目、二本目では反応はなかったが、三本目でようやく唇に血色が戻り頬に赤みがさしはじめた。
動かせると判断したアレクはクライドと同じく専任の護衛官であるシリルに指示を出す。
「ハンナを連れて帰る。通信機で医師を呼ぶようにと伝えて」
「はっ!」
「では私は馬の手配をしてきます」
馬を調達するために駆けていった兵士と入れ違うようにしてルオが駆け寄ってきた。
「ハンナさんを城に運ぶなら私が! 空を飛んでいく方が早いに決まっている!」
「……触るな」
「は、アレク様?」
「触るな、と言っている」
喉の奥から唸るような低い声が出た。
普段ならもっと柔らかい言い方を選んでいただろう。
だが、意識のないハンナを抱くアレクの内心は荒れ狂っていた。
「おまえたちに触らせるわけがないだろう。ハンナから今度は何を奪うつもりだ?」
「ち、違います! わたしに、そんなつもりは!」
「翼人の国では彼女から名誉と権利と体内に満ちる力を、地上に降りてからは彼女の時間と労力を。そして今この場では命懸けで尻拭いまでさせている。それでも無害だと言えるのか?」
「そ、それは……」
「一度くらい彼女のために命をかけてみろ。そうしたら考えてやってもいい」
ルオは伸ばした手を力なくおろした。
震える手が拳を作り、きつく握る。
せっかくの好意を無にしたと腹を立ててでもいるのか?
もしそうなら、所詮はその程度の人間ということだ。
早々に興味を失い、ルオから視線をそらす。
とにかく一刻も早く城へ戻らなければ。
そんな苛立ちを隠せないアレクの耳が、この上なく不愉快な言葉を拾った。
「……あれが、本当に役立たずだったレンカなのか?」
「見た目だけが似ている別人ではないのか?」
振り向けば、視線の先にいたのはタンガの父だ。
それだけでなく、その場にいる翼人達が皆同じような表情をしている。
あまりにも衝撃的で、目の前の光景を信じたくないという顔。
他人事のように語り、流れた血の跡が不愉快だと眉を顰める者すらいた。
一瞬にして沸点を超えたアレクの体から闘気があふれ出す。
ギョッとした表情で、翼人達は一斉にアレクへと視線を向ける。
主人の怒りを感じ取った護衛はアレクとハンナを守るように剣に手を添えた。
「さすが親子だ、彼女を貶める台詞もそっくり同じとは……血は争えんな」
「いや、そういうつもりは……!」
「ならばどういうつもりがあって役立たずだと?」
「こ、ここではともかく翼人の国ではそう呼ばれることが多かったために、つい癖で……」
「おまえ達は常々言っていただろう、名を変えようが中身は変わらないと。おまえたちの言うことが正しいのなら翼人のレンカは、白精霊師のハンナとなった今も中身は昔と何一つ変わっていないということになる。だというのに、どうして変わらないと言ったおまえ達が現実を受け入れられないでいるのか? 私は昔の彼女を知らない。だがもし昔も今も変わらないというのなら、彼女は最善を尽くために努力ができる献身的な女性だったと断言できるぞ?」
舞台にすら上がらせてもらえないと、そう言っていたから。
ハンナの代わりにアレクは戦う。
彼らが舞台に上がることを拒むのは、自分達の無力を思い知らされるのが怖いから。
ならば引きずり出してやる。
役立たずと呼ばれ、不当に蔑められてきた少女の名誉を取り戻すために彼は、もう少しだけこの場に留まることを選んだ。
「おまえ達は国を失った。それなのにいまだ過去の栄光に縋りついている。神に愛されし翼人とは現実から目を背け続けるほど愚かな存在なのか?」
「!」
「昔も今も変わらない、かつて役立たずと呼ばれた女性。彼女は今まで誰のために戦っていたと思っている?」
「そ、それは……」
「おまえたちのように無力な領民を守るためだろうが!」
アレクは鋭い口調で叱責する。
兵士達はハンナを守るためにいつでも抜剣できるよう身構えた。
アレクだけでなく彼らもハンナが辺境伯領のためにと力を尽くす姿を知っている。
翼人が相手であろうと同僚の名誉を守るためであれば一歩も引く気はなかった。
今や神の恩寵と正義が、どちら側にあるのか明白だから。
「鷹だか雀だか、鴉だろうが関係ない。ハンナを役立たずと呼んだ者は私が直々に相手になる。よく覚えておけ」
そう言い放ったアレクはハンナを抱きかかえながら惜しみなく彼らに闘気をぶつけた。
ふらふらと膝をつく者、怯えたように目を閉じて視線を下げて恐怖をやり過ごす者。
不甲斐なくも、気を失って倒れた者もいた。
アレクは皮肉げな表情で唇の端を歪める。
「不甲斐ないことだな、はじめて会ったときハンナは私の闘気を浴びながら涼しい顔で受け流していたぞ?」
己が命をかけてまで手を差し伸べてくれる女性を可愛げがないと謗る翼人の気がしれない。
彼女のように強くて健気で、愛らしい人はほかにはいないというのに。
『……努力すれば、いつかあなたの隣に並ぶことはできますか?』
精霊師となる覚悟を問うたアレクを見返すハンナの瞳。
彼女の瞳には煌めく星のような、唯一無二の輝きがあった。
……その瞳に宿る意志は希望、もしくは可能性。
瞳に星のような輝きを持つ女性を心から欲しいとアレクは願った。
あのときから、アレクの特別はハンナだ。
どれだけ調べても過去の記録が全くない彼女を訝しんで隣国からの潜入を疑ったこともあったが、こんな過去なら消して当然。
精霊師の頂点に立つ彼女が愚かな翼人に搾取されていた過去など、これから歩む輝かしい未来には必要ない。
貪欲に、狡猾に、レンカであったころのハンナを追い詰めた翼人達。
だからアレクは容赦なく彼らの反抗心を砕いていく。
「翅を失い、翼人とはもう呼べないようなハンナがおまえたちの代わりに対処したのはどうしてだと思う?」
「……」
「翼の有無など関係ない。ただ自身の誇りを貫くためだよ。翼の種類に固執するあまりに国を滅ぼしたおまえたちに代わって太古の神々へ自分の価値を示すためだ」
私は役立たずじゃない。
誇り高き彼女はこれが神々の試練だと気がついて、タンガという試金石に挑んだ。
「彼女は命をかけて試練に打ち勝った。さて、神々にとって役立たずだったのは誰だろうな?」
「……」
「どうしても認められないというのなら、自分達で止めてみるか? 彼女が願えば神自らが破壊と暴虐のかぎりを尽くしてくれるだろう」
「そ、それは……!」
「いまだハンナを役立たず呼ばわりするおまえたちの誇りにかけて、彼女の代わりに狒々を仕留めてみるがいい。命の恩人にそれだけ尊大な態度が取れるのだ、できないとは言わせないぞ?」
ハンナは試練に打ち勝ち、神々に彼女の価値を示した。
翼人全体へと向けられた恩寵は今や彼女の頭上にある。
彼女が願えば神は迷わず手を差し伸べるだろう。
まるで太古の昔、地上に存在したとされる聖女と同じように……。
だからハンナの騎士でありたいアレクは彼女のために戦う。
彼女の隣に立つにふさわしいと認めてもらえるよう、己が価値を示すために。
「今はもう、役立たずはおまえ達のほうだな」
役に立たない賢者に代わり、ハンナが神と人とをつなぐ役目を負った。
そのことにようやく思い至った翼人達は羽の種類に関係なく青ざめる。
全ては自分達が蝶の翅を持つ者の価値を見誤ったから。
太古の神々が与えた一匙の恩恵を自らの愚かさで切り捨てたからだ。
「さて翼人達よ、あらためて問う。我々の庇護を受けるか、それとも運命に逆らうか?」
もし彼女を奪う気なら、跡形もなく燃やし尽くしてやる。
聖女を守る騎士のように、優美なる金の獅子は威嚇した。
立ち尽くす翼人達。
やがて皆が揃ったように項垂れ……ついにはアレクのまえに膝を折った。
「ハンナを侮辱することは二度と許さない。翼人としてだけでなく人として自分達の下に見ることも、だ」
「アレク様、馬の用意ができました」
「クライド、私と共に城へ。シリルは残りの者と共に待機。この場に変化があったら通信機で知らせを」
「承知しました、それで彼の身柄はどうしますか?」
シリルの視線の先には怪我は癒えて意識もあるものの、疲れ切って身じろぎ一つできないタンガの姿があった。
まるで祈るような眼差しでアレクと彼に抱かれたハンナを見上げている。
アレクは冷ややかな眼差しでタンガを見下ろす。
このまま捨て置く気はない。
けれど、この男を守る気持ちもさらさらなかった。
「万が一に備えて、力を奪う呪具を付けさせたまま城外にある隔離施設へと運ぼう。ハンナ手製のものだから多少は効果が見込めるだろうから。王城への報告が済み次第、身柄を王都へと移送することになるだろう……辺境伯領の一部を損壊した罪人としてだ」
「そんな、タンガはどうなるのです⁉︎」
彼の父と母が不安そうに表情を揺らす。
その情を欠片でもハンナに向けていたら多少は配慮してやったかもしれないのに。
彼らには見えない角度で、アレクは唇を歪めた。
「さあ? 我々には黒精霊師の存在を国に報告するという義務がある。王都へ移送されたあと、どのように取り扱われるかはタンガ次第だ」
破壊と暴虐の神の愛し子。
神に愛された者へ危害を加えることはないだろう。
だが一方で王族や上位貴族には国を守る義務がある。
タンガが力を抑えることができるならばある程度選択肢は与えられるだろう。
でももし力の抑制ができなければ……。
さまざまな今後の可能性を脳裏に浮かべて両親や親族は顔色を悪くした。
「……いい、それでかまわない」
異様に掠れた声がぼろ布のような塊から響いた。
心から安堵したような声はタンガのものだ。
「俺のせいで、誰も傷つかないのなら、それで……」
両親や親族は啜り泣いて、ルオや賢者候補達は力及ばずと項垂れた。
そしてタンガの台詞が心からのもだというのがわかるからこそ、アレクは呆れ返った。
本当に、呆れるほど自分勝手な男だ。
誰よりも人のために尽くしているように見える彼が、本当のところは自己満足のために人々を振り回している。
そしてそんな彼の弱さと脆さがいつまでもハンナを縛り付けるのだ。
独善であろうと、彼の善意により救われた彼女は彼を切り捨てられない。
これ以上奪われてたまるか。
ハンナの優しさにつけ込んで翼人の持つ闇へと引き戻そうとする男には絶対に渡せない。
彼女が白精霊師でなかったら、こんな不毛な戦いになど巻き込む気すらなかったというのに。
二度とタンガには会わせないようにしよう。
ハンナを抱えたまま軽やかに馬を駆って、アレクはそう心に決めた。




