本当に欲しいものは手に入らないのよ
翼人の国に乗り込んだ日から一年が過ぎた。
ゆっくりとだが、翼人達は辺境伯領に馴染んでいる。
私達と同時に地上へと降りてきた鷹の羽を持つ者達は、兵士となるための訓練を受けていた。
元々戦闘には慣れているし、戦闘行為に対する忌避感は薄い。
だがアレク様は彼らを広大な辺境伯領を繋ぐ連絡手段の一つとすることを考えているらしい。
彼らは害獣とは戦ったことがあっても、人間を相手にしたことはなかった。
戦場で人を相手にするのは精神的に厳しいだろうというアレク様の配慮だ。
最大の課題となるのは忠誠心だが、ある時期を境として急に彼らはアレク様へ従うようになる。
鷹は野生において縄張りを持ち、単独で狩りをしているような生き物だから、その気質を羽とともに引き継いでいると思われる彼らも同じように自尊心が強く、誇り高い。
種族も違うし、手懐けるのは難航するだろうなと思っていたが意外とそうでもなかった。
今や誰もが大人しくアレク様の指示に従っている。
しかも表面上だけではないようで、キラキラとした眼差しでアレク様を見つめていることも……ナニアレコワイ。
男性独特の空気感……憧れとでもいうのかな?
ちなみに鷹の羽を持つ者は全員が男性だった。
もちろん、トウカはいない。
「アレク様、魅了の精霊術でも使いました?」
「いや、術は解けるものだから不確定要素になるし使わないよ。効果的なのは飴と鞭かな?」
「……まさか拳で語り合ったりしていませんよね?」
「それもある」
あるのか。
弁のたつアレク様でさえこれなのだ。
やさぐれた顔で愚痴をこぼすルオの気持ちがわかる気がした。
「雀達はどうしている?」
「愚痴と文句は絶えず聞こえてきますが、仕事自体はちゃんと進めていますよ」
雀の羽を持つ者達は、ひとまず賢者候補と共に回った候補地の一つに落ち着いた。
まとまって行動することを好む雀だからそれはいい。
まずどこに誰が住むかで揉めた。
あの家族の隣は嫌だ、もっと景色の良い場所がいい、担当区画から近いところに住みたい、などなど。
ピーチクとまあ、姦しいこと!
困窮したところを救ってもらったとか、他国の一角を借り受けて住まわせてもらっているという認識もないのかと、何度キレかけたことか。
しかも私には相変わらずの上から目線でものをいう態度……よく耐えた、えらいよ私。
それがなんとか片付くと今度は担当する区画で揉めた。
あっちのほうが土壌がいいだの、日当たりはこちらがいいからここがいいとか、地に降りた瞬間からここは俺の場所だと決まっているとか、意味がわからない。
ルオではないが、余計なことしか言わない口をもいでしまいたいと何度思ったことか!
と、まあ……とにかく色々あったがなんとか住む場所も担当区画も決まった。
今は農作物を育てながら手先の器用さを活かした工芸品の製作に励んでいる。
農作業はさすがに手慣れたもので、詳しく教えなくても小麦は育っているし、それ以外の野菜や果物も近隣の農家の人に教えてもらいながら難なく育てている。
そのときついでに様々な工芸品の作り方を教えてもらったのだが、やはり性格に合っていたようだ。
しかも出来が良く、高値で売れて良い収入になる。
それがわかってからは皆で大量生産できる環境を整えたそうだ。
……もしかすると真っ先に地上の暮らしへ馴染むのは雀達なのではないだろうか?
そう思わせるほど順応力は高かった。
「そういえば、移住してきた者の中にはマイラの両親も混じっていたそうだね?」
「はい。マイラ以外は家族全員雀の羽を持っています。先日、娘に会いたいと言われましたがそれは断りました」
「当然だね、事情があったとしても子供を捨てた事実は変わらない。親には二度と会わせるつもりはないよ」
アレク様はきっぱりと言い切った。
幼くも賢いマイラは自分が捨てられたことには薄々気がついていたようだ。
寂しくて泣くことはあっても、家族の名や父や母と呼ぶことはなかった。
そのことがまた、ハンナの胸を深く打つ。
……私とは違って強い子なのね。
夢うつつに両親の愛を乞うたハンナにはない強さを持った娘だ。
だからこそ、彼らに会わせたくない。
「マイラは末っ子なのだそうです。二人の兄がいて、彼らを守るために仕方なく娘を差し出したそうですよ」
「ならば余計に会わせない。神に選ばれし尊い光のようなあの子に、選ばれなかったという負い目を背負わせる気はさらさらないよ」
保護された後、マイラと彼女より三つ歳上の男の子はまるで大人達から互いを守るかのように寄り添っていた。
親に捨てられたという負い目が、幼い二人に大人への不信感を抱かせたのだ。
傷を負った姿が痛々しくて、それでも自分以外の誰かを守ろうとする優しさが健気で大人達の涙を誘う。
今では皆に愛されて不信感も和らぎ、屈託のない笑顔を浮かべているけれど、自分を捨てた両親の姿を見たら、彼女はまた傷つくのではないだろうか?
そう思うと、必然だけでなく偶然にでも会うことを避けたい。
「昔よりもふっくらとしているし、身体中についた傷跡もきれいに消しましたから娘だとわからないかもしれませんが……心配ですね」
「あんな状態の娘を捨てる自分本位な両親だ。会わせないことを逆恨みでもされて強硬手段に出られるのは面倒だね。いっそのことマイラを王都に行かせてしまうか?」
「それが一番良いとは思うのですが、今の両親やネイサンと引き離すのは忍びないですね」
マイラと三つ歳上の男の子……ネイサンは同じ家庭に引き取られて養育されている。
ネイサンの両親は亡くなっているそうだから彼は残っても問題はないだろう。
だがそうなるとマイラを一人で王都に向かわせることになる。
彼女が兄のように慕うネイサンと、実の子のように可愛がる養父母から無理矢理引き離されるのだ。
深い孤独に苛まれてしまうに違いない。
「子供のいない我々には判断が難しいね、私の両親や彼女の養父母にも相談しよう」
「よろしくお願いします」
礼の姿勢をとり、顔を上げるとアレク様がこちらをじっと見つめている。
何事かと首を傾げると、伸ばした彼の指先が私の頬を撫でた。
「少し痩せたね、無理していないか?」
「翼人の受け入れで慌ただしかったせいでしょう、体調に問題はありません」
指先をかわすように、ほんの少しだけ体を引く。
愛想の欠片もない態度と回答だが、この距離が適切なのだ。
翼人の国では想定以上に心揺さぶられて、厚意に甘えてしまったけれど勘違いしてはいけない。
どこかよそよそしい空気に、アレク様は視線を鋭くする。
「……ハンナ? 今、とんでもないこと考えていない?」
「いいえ? 特には何も思い当たる節はありませんが」
本当に何もない。
しいていうなら、この鋭い追求をどうかわすかということだけだ。
すると運よく執務室にノックの音が響く。
「アレク様、取り急ぎ訂正いたしました。再度確認をいただけないでしょうか?」
どうやら急ぎの決裁が必要な書類があるらしい。
今度こそと礼の姿勢をとり、心と同じ重くまとわりつくようなローブを捌いた。
背後からアレク様の硬い声が聞こえる。
「逃げるなよ?」
「承知しております」
淑やかに膝を折った。
駒の一つとして組み込まれている私は辺境伯領から出ることを許されない。
……元より逃げる場所なんて、どこにもないのだから。
気持ちを立て直すために、一旦私室へ戻ろう。
そんな私を無情にも追い立てるように、二人の会話が聞こえた。
「奥様の部屋の改装はいかがされますか?」
「彼女の好みに合わせたい。私から聞いておくよ」
全く音を立てず、扉を閉めた自分を褒めてあげたい。
聞かれたとしても困る内容ではないだろうが、なぜか聞かなかったほうがいいような気がしたからだ。
ついに、奥様がいらっしゃる。
噂の王女様か、それとも熱心に婚姻を申し込んでいるという侯爵令嬢か。
じりじりと焦げ付くような胸の痛み。
嫉妬するなんて、不敬の極みだ。
自分でアレク様の奥様となる方を支えるって決めたでしょう!
揺れる心を叱咤するように、ローブの胸元を強く握り締める。
すると廊下の向こう側から侍女長さんが姿を現した。
「あら、ハンナさん? 顔色が悪いようだわ、どうされたの?」
彼女はよく人のことを見ている。
普段は厳しいけれど、こういうところは優しい。
私は心配いらないとばかりに、小さく首を振った。
「疲れがたまっているのかもしれません、休んできますね」
「お部屋へ戻られますか?」
「そのほうが良いのであれば、そうします」
「いつまでもアレク様に甘えていてはいけませんよ? 立場には責任が生じます」
城内を取り仕切る侍女長の業務としては白精霊師の行先を確認するのは当然のことだ。
そして規律を乱す恐れがあるものを事前に諌めることも良い臣下である証。
それが当然であるし、いつもならばもっと上手く応じてみせるのだけど……。
お願い、今だけは放っておいて。
「……ごめんなさい。少しだけ、自由にさせてください」
「え、ハンナさん⁉︎」
「アレク様に聞かれたら夕刻までには必ず戻りますと、そう伝えていただけますか?」
重力を制御して、軽やかに浮かび上がる。
そしてそのまま開いた窓から外へと飛び出した。
どうしてこんなことをしたのか、自分でもよくわからない。
ただ何のために戦っていたのかが、わからなくなってしまったのだ。
今も昔も、私が本当に欲しいものは全部他の人のものになる。
どうして、どうしてよ!
心を殺して力を尽くしても、私の手には何も残らなかった。
使用人の一人である私は、アレク様を恋慕うことなんて許されない。
わかっているのに、どうして諦めることができないのだろう。
人となることを選んだ今も、かつての未熟で弱い大嫌いな私と何一つ変わっていなかった。
白精霊師になれば、なんでも手に入ると思ってしまった自分の傲慢さを嘲笑う。
いい子にしていたって、本当に欲しいものは手に入らないじゃないか!
白いローブを翼のように翻した。
風を祝福して、天に駆け上がるように高く高く飛翔する。
「ハンナ!」
窓ガラスを割る勢いでアレク様がテラスに飛び出した。
振り向きざまに、ふわりと笑う。
あとで怒られるかな?
規律を乱したとして厳しい懲罰もあるかもしれない。
それでも誰も知らないような、どこか遠い場所へと行ってみたかった。
レンカでもなく、白精霊師でもない、ただのハンナに戻ることができる場所が欲しかった。
アレク様は、慌てたように手を伸ばす。
金精霊師としても優秀なアレク様だったが、戦闘特化の金精霊師は元々飛行術式とは相性が悪い。
脚力を強化して高く飛躍することはできるけれど、長い距離を飛ぶことはできなかった。
「ちょっと頭を冷やしてきます!」
無理矢理笑顔を浮かべて、そう叫び、風に乗った。
誰かの呼ぶ声がするけれど、決して振り向かない。
だって気がついてしまったのよ。
タンガを失って、アレク様も失ってしまえば、もう……。
私を探そうとする人など、誰もいない。




