閑話 一滴の水が石を穿つように
頭はいいですが、人の感情と痛みに疎い人が出てきます。
読む方によっては地雷が埋まっているかもしれません、ご注意ください。
閑話ですので、本編の進行には影響ありません。
ご不安な方は読み飛ばしていただいても大丈夫です。
大地の神と天空の女神が結ばれて、神の流す慈悲の涙が翼ある人となった。
これは伝説や伝承といった類の痕跡が世界各地に遺産として色濃く残り、太古の神々と総称される存在と翼人がまだ近しい存在であったころのこと。
ある男が翼人の国に生まれた。
神によって作られた翼人の国。
男が物心ついたころには、四種の羽を持つ人が存在していた。
鷹、鴉、雀そして蝶。
それぞれに得意とする分野は違っていても、互いによく支え合い、仲良く暮らしていた。
そして地上に住む民とも交流はあり、足りない物や知識を交換するなど親しく付き合い、争うことはなかった。
元来、翼人の性質は温厚にして純朴である。
賢者に与えられる神からのお告げに従い規律をよく守り、いつでも笑い声があふれていた。
まさに、理想郷と。
国の存在を悪しき心根の者から守るため、広く語ることは許されない。
それでも密やかに語るとき、地上の民は翼人の国をそう評していたという。
その男は四種の羽のうち、鴉の羽を持っていた。
父親は鴉で母親は雀、兄と自分は鴉の羽を、妹は雀の羽を持って生まれた。
一般的な家庭に生まれた彼だったが、幼いころから神童と呼ばれるほど賢かった。
まだ同じ歳の子が読み書きのできないころであるにも関わらず、彼は読み書きだけでなく算術にも長けていたのだ。
その代わり、子供らしい喜怒哀楽といった感情表現には乏しかった。
騒ぎ立てることもなく、ただいつも静かに微笑んでいるような手のかからない子供。
精神面でも早熟であると思われたため賢者候補である兄について書庫への出入りが許されたほどだった。
そして彼は壁いっぱいに整然と並ぶ書籍を見て、生まれて初めて子供らしい歓声をあげたのだ。
ようやく子供らしい姿を見せた彼に、周囲の大人たちはほっと胸を撫で下ろす。
その日から、彼の居場所は書庫になった。
そして歴代の賢者が収集したとされる書籍を好奇心のおもむくままに片っ端から読んでいったのだ。
結果、大人からすれば途方もないと思えるような数の書籍を齡十にして全て読破してしまった。
それを聞いた大人達は仰天する。
この子供は天賦の才を神々から与えられたのだと一目置くようになった。
それが国の転落の始まりだとは、誰もが夢にも思わなかっただろう。
そして十一歳のとき、彼は恋に落ちた。
最年少で賢者候補へと選ばれていたが、すでに書庫の本は読破し、同年代の者は凡庸過ぎて相手にならない。
平凡で単調な日常に飽いていたところで劇的な出会いをしたのだ。
相手は二つ歳上の十三歳。
容姿端麗とされる蝶の翅を持っている女性の中でも神がかった美しさで抜き出ていた。
翼人男性の憧れを一身に受けた人であり、少々気弱な性格であったが優しく気立もいい。
対する男のほうは顔の造作は平均点、肉体も頑健ではあるが、筋肉質ではなくどちらかというと華奢なほうだ。
狩人のような翼人に好まれる男らしさには欠けている。
だが華奢ではあっても男は剣もそれなり使えるし、何より知略に優れていた。
そして人当たりのよい性格と柔らかい雰囲気のせいか、女性達にも受けがいい。
彼女も自分にだけは緊張を解いた柔らかい笑顔を向けてくれる。
これは上手くいくのではないかと、男は恋心を募らせた。
臆病なところのある彼女の心を手にするには、とにかく強い刺激を与えないようにしないと。
優しく、真綿で包むように。
男らしさには欠けても自分にはそれを補う頭脳がある。
その自負があった男は、慎重に距離をつめて彼女の信頼を勝ち得ていった。
……はずだった。
彼は十五歳になった。
恋する彼女は十七歳、間もなく成人を迎える。
そのころの彼女は精霊術を使いこなし、卓越した織物の腕前から異国の伝説になぞらえて織姫と呼ばれていた。
性格の臆病なところは残っていたが、そこはかとなく色気が混じるようになって男心は簡単に跳ね上がる。
羽化した蝶のように、歳を重ねてますます輝かんばかりの美しさを持つようになった彼女は、男性から女神とまで崇められて連日のように口説かれていた。
だが彼女は決して誰にもなびかない。
中には性格も容姿も良く、女性から人気のある男も含まれていたが、やはり彼女は怯えたような表情で断っていた。
そんな彼女が、自分にだけは気を許したように親しみを込めた態度で接してくる。
これでは期待するなというほうが無理だ。
男はこのとき次期賢者となるべく旅に出ることが決まっていたから内心では葛藤していたのだ。
彼女と離れるのは嫌だ、だが旅に出て戻ってくれば賢者として堂々と彼女を手に入れることができる。
だから彼は意を決して、彼女に戻ってくるまで待ってくれるよう懇願したのだ。
賢者として戻ってきたときには自分と結婚してほしいと、必死に秘めていた思いを伝えた。
彼女は喜んで応じてくれるはずと信じていたから。
『ごめんなさい』
ところが泣きそうな顔をした彼女に断られてしまった。
弟か、年下の従兄弟のようなもの。
あなたのことはそういう対象には見られないのだ、と言われたのだ。
男はこのとき自分が男として見られていないことを知った。
親しみを込めた態度も、彼を慈しむように触れる手も何もかもが勘違いだった。
あれだけ期待させたくせに、愛でもなく恋でもなかったというのか!
そして、男は人生で初めて望んでも手に入らないものができてしまったのだ。
だが男は寓話のように、手の届かない葡萄は酸っぱいのだと諦めることはしなかった。
それどころか男は逆に自分の能力を駆使して、どのような手段を講じてでも彼女を手に入れようと決意する。
初恋に破れた男は、少しずつ少しずつ歪んでいった。
男は表向き、気にしていないそぶりをしながら慎重に行動した。
まずは見えないところから一滴の水が石を穿つように少しずつ彼女の高い評価を崩していく。
人の性格の良い面というのは、見方によっては悪い面へと変わる。
良い面に目線が向いていたものを、同じ行動でも悪い面へと向けさせてやればいい。
周囲の人間に、彼はそれとなく悪いほうへと目を向けさせたのだ。
頭が良く、人望が厚い男には容易なことだった。
やがて半年も経つと、彼女の評価は微妙に変化していた。
気が弱いは、あざといに。
気遣いのできる優しい人柄は、誰彼かまわず媚びを売っているのだと。
一度悪いほうへ傾いた評価を覆すのは難しい。
現に彼女は彼女や友人からも遠巻きにされ、思いを告げる男の数は劇的に減っていた。
比例するように彼女の表情は、どんどん暗くなっていく。
だが彼だけは、いままでと同じ態度で接し、優しく彼女を支えていた。
当然のように彼女は彼と行動を共にすることが増える。
誰が真の悪者であるか気づくこともなく、彼女は、自分だけを頼りにするようになっていた。
賢者となり戻ってきた彼が権力の全てを使って、優しく真綿で包むように外部との接触を絶ってしまえば、彼女は自分なしでは生きていけなくなるだろう。
仄暗い喜びが彼の心を震わせる。
彼女によってつけられた心の傷がみるみるうちに癒されていくのを感じた。
その後も手を尽くし、ついに彼女が悪女とまで呼ばれるようになった、一年後……。
彼は賢者となるべく翼人の国を旅立った。
賢者となるために切られた期限は三年。
最年少の十六歳にして旅立った彼は、持てる知力と体力を総動員して最短の一年で答えを掴んだ。
そのほかに人々の生活に役立ちそうな情報と技術を収集する。
持ち帰った技術の中には刺繍と織機に関する知識も含まれている。
これは織物が得意な彼女への土産にするつもりだ。
『いつか賢者となるあなたのために素晴らしいローブを織り上げるから期待していてね』
旅立ちの日、今にも泣き出しそうな彼女が男にそう約束したから。
あの日交わした約束こそが規格外にも思える彼の行動力の源だった。
賢者候補は他に二人いたが、彼らは刺激に満ちた広い世界を知って翼人の国へ帰らないことを選んだ。
彼らの集めた情報と技術は男へと託された。
そして二人が他国へと旅立つのを見送ったあと、一直線に翼人の国へと戻る。
これでもう、自分を邪魔する者はいない。
はやる気持ちを抑えて洞窟の道を迷わず進む。
やっと彼女に会える。
そして、ようやく彼女が自分のものになるのだ!
あの柔らかい唇や艶かしい肢体も、卓越した織物の技術も、彼の望むまま全てを捧げてくれるに違いない。
真っ暗な闇の中を突き進む彼は人生で最も幸福な時間を噛み締めていた。
そして無事に帰り着いた翼人の国では、誰もが戻ってきた彼を熱狂的に迎え入れたのだ。
最年少にして試練を乗り越え、有用な情報と技術を大量に持ち帰った彼を、皆は神に選ばれし大賢者であると褒め称えたのだった。
だが熱狂する人の輪の中に、彼女の姿はない。
いぶかしく思った彼が問うと熱狂していた人々は気の毒そうな表情を浮かべて視線を逸らす。
人波から進み出たのは先代の賢者だ。
気の毒そうに眉根を寄せて彼はこう答えた。
『悪女と謗られることに耐えきれなくなった彼女は国を出て行ったよ』
彼女を連れ出したのは、たまたまこの国を訪れた流浪の民だという。
当時の彼女は、かばう者がいなくなり嫌がらせがひどくなる一方だった。
憔悴しきった彼女を見かねた男が、それなら彼女を自身の妻に迎えたいとそのまま連れ出したのだ。
すでに見限っていた家族や友人たちの誰も止めなかったので、先代の賢者は致し方なしと許した。
彼女が国を出てからすでに半年以上、その後の二人の行方は誰も知らない。
男は呆然とした。
違う、こんな結末のために彼女の地位と名誉を貶めたわけではない!
ただ女神のような彼女を、自分の手が届くところまで引きずりおろしたかっただけだ!
彼女のいないこの国なんて、男にとっては何の魅力もない。
全てを捨てて、彼女を連れ戻しに地上へと戻りたいと思った。
だが試練を乗り越えて国に戻った時点で彼は賢者、死ぬまでこの国に縛り付けられることが決まっている。
そして幼いころから賢者となるべく育てられた彼に地位を捨てるという選択肢を選ぶことは……どうしてもできなかった。
『さあ、儀式を!……新たな賢者の誕生である!』
先代の賢者の掛け声に空気は一変する。
慌ただしく宴の準備が進む。
羽を持つ人々が飛び交う中を、優雅に百花が咲き誇り、鳥は流麗な歌を囀る。
まさに人が思い描く理想郷そのものだ。
誰もが輝くような微笑みを浮かべ、喜びに満ちあふれている。
問題児である彼女が去ったおかげで平穏が戻ってきたのだと安堵したのだろう。
だが男にとっては、長く退屈な地獄の始まりだった。
どこか地に足がつかないまま、彼は賢者のローブを纏わされる。
彼女のことが頭から離れない彼は、どこかぼんやりとして流されるままだった。
そのままいいように装飾品を飾り付けられ、祠へと送り出される。
祠の入り口が開き、扉が自動で閉まった。
暗闇に数え切れないほどの明かりがともる。
働かない頭でも儀式の手順は体が覚えているようで、無意識のうちに膝をつき頭を下げた。
『……ほう、素晴らしいローブであるな』
『ええ、本当に』
『これは我らが愛し子……蝶の翅を持つ者の仕事であろう』
神々の感嘆するような声に現実へと引き戻される。
蝶の翅を持つ者という単語に心拍数が跳ね上がった。
あらためて自分のローブを見直せば、色合いは同じでも先代の賢者がまとっていたものより新しい。
そして地上で目の肥えた自分が見ても、どんな織物よりも美しいと思えた。
これを誰が織り上げたかなど確認するまでもない。
冷たい汗が背を伝う。
男は神々の面前で、自分の罪を突きつけられた気がした。
そんな男の内心を知ってか知らずか、神の一人が嬉しそうに手を叩く。
『これはちょうどよいな。翼人も増えきてきたところであるし、このローブを祠の鍵としよう』
そうしよう、そうしよう。
賛同する声がそこかしこから聞こえる。
すると、かちりと音がして何かが切り替わったような不可思議な感覚がした。
途端にローブがより一層輝きを増す。
それを満足そうに眺めていた神々は、気を取り直して翼人へのお告げを男に託した。
そして最後の仕上げに新たな賢者となった男への助言を口にする。
『慢心することなく、精進するように』
のちの男の生き様を知る者がいたとすれば、まるで予言のような言葉を残して神は気配を消した。
明かりが落ち、静寂が周囲を支配する。
背後では、いつの間にか祠の扉が勝手に開いていた。
差し込む陽の光を感じて、外に出なくてはとようやく重い腰を上げる。
まず、このローブのことを確認しなくてはならない。
顔色は悪いものの扉の奥から姿を現した男に人々は歓喜の声を上げた。
神々が彼を賢者と認めたのだ!
彼らに讃えられながらも暗い表情で男はローブのことを聞いた。
この新調されたローブは誰が作ったものか、と。
一瞬ためらったあと、先代の賢者は答えた。
織姫の最後の作品である、と。
賢者となるために戻ってくる友達のために、彼女が三日三晩、寝食を忘れてまで仕上げたらしい。
それを旅立つ直前に先代の賢者へと託したのだ。
だが彼女への悪感情は強く残っていて、新たな賢者の門出に相応しくないという意見もあったが、丹精込めたものだけに出来栄えがとにかく素晴らしい。
捨てるにしても一度くらいは神に捧げてからのほうがよい。
翼人の国には、珍しいものや希少なものは太古の神々に捧げるという慣習があったからだ。
そこで姉弟のように仲の良かった男に着せたのだという。
なんということか……周囲からも姉と弟のように見えていたとは。
もはやどうにもならないことであるのに、男は後悔でいっぱいだった。
どこで道を間違えたのか?
『ああ、そういえば手紙も一緒に預かっているぞ?』
先代の賢者が、若干皺のよった封書を取り出す。
一応読ませてもらったが意味がわからないと、周囲の人間と共に首をかしげていた。
破られた封を開いて、男は文面に視線を走らせる。
震える手から、手紙が滑り落ちた。
あなたのしたことの理由は聞かない
許せないし、たぶん理解できないから
でも約束は約束だから守るわ
『り、理由といわれても……私にもわかりませんね』
手紙を拾い上げ、自分を奮い立たせて、表面上の変化を取り繕う。
それでも若干手には震えが残っていた。
まさか、彼女は男の罪を全てを知ってしまったのか?
どこだ、なんでバレたのか!
彼女のいう約束だって、所詮は口約束。
それを破ったとしても国を出た彼女を責めることはできない。
それでも約束だからと彼女を完成に駆り立てたもの、それは意地だ。
かつては織姫と呼ばれ、歴代一の腕前と称えられた女の矜持や誇り。
それだけで、これほど見事な布が織られた。
男はどろりとした醜い自分と正反対の輝きを放つ、祝福に満ちたローブを眺めた。
脳裏に軽蔑するような彼女の顔が浮かぶ。
結局のところ、男が無理矢理引きずり下ろしても彼女の足元にも及ばない。
このローブは男への訣別の証だった。
男の罪を知りながら、彼女は何を思ってこの布を織ったのだろう。
祝福とは程遠い気持ちであったに違いない。
そう思い至ると男は急にこのローブが禍々しいもののように思えた。
……すぐに脱いでしまいたい。
賢者候補に手伝ってもらいながら、引き剥がすようにローブを脱いだ。
『処分を……』
『それはダメだ!』
言いかけた賢者候補の声を慌てて遮る。
祠の鍵がこのローブとなったのだと聞かされた賢者候補は一様に青褪めた。
彼らの内心は手によるようにわかる。
神すら感嘆させる技量を持った織姫を、嫌がらせの末に追い出したのだ。
神々の怒りを買ったのではないかと恐怖に慄いているに違いない。
保身しかない彼らの醜い姿に、男はひっそりとため息をつく。
自業自得だ、そもそも誰が彼女を追い出すことを許した?
男はきっかけを作ったに過ぎない。
限度を越えて、さらに嫌がらせ行為を繰り返したのは自分達だろうに。
だが男は、浮かんだ怒りをぐっと抑える。
彼らにとって賢者は常に味方でなくてはならない。
補足するように神々が怒りを露わにした様子はなかったと伝えると、皆一様に安堵したような表情を浮かべる。
だが結果として、不本意にも男の罪の証であるローブは残されることになった。
このローブを着るたびに彼女のことを嫌でも思い出さねばならないというのが不愉快だ。
なぜ私だけがこんな窮屈な思いをせねばならないのか?
男は十七歳。
史上最年少の賢者であり、将来は大賢者となるだろうと誉れ高いこの私の何が間違いだったというのか。
男は考えた末に結論を出した。
私は何も間違ったことはしていない。
間違えたのは彼女であり、愚かな翼人達だ。
闇のような黒に染まった男の心を占めたのは、強い怒りだった。
だが怒りの矛先となるはずの彼女は、もういない。
そのとき、目の前を蝶の翅が横切った。
汚らしく鱗粉をまき散らし、見せつけるように翅を煌めかせる。
『汚れていますから綺麗にしておきますね』
彼の視線が蝶の翅に釘付けとなる。
今の彼の目には、憧れた蝶の翅が禍々しいものにしか見えなかった。
精霊術の術式に力を注ぐ背中が、彼女と重なる。
これらが一匙の恩恵だと、笑わせる!
蝶の翅を持つ者こそが翼人に害悪をもたらす敵。
それに自分は賢者となったのだ。
翼人達を正しい道へと導く義務がある。
思えば、地上世界では外敵のいる国ほど、よく民意が統一されていた。
戦となれば一丸となって外敵に立ち向かわねばならないからだろう。
翼人も増えてきたところであるし、これはちょうどよいな。
神にでもなったような心持ちでほくそ笑む。
片付けられていくローブを眺めながら男は決意した。
まずは書庫から蝶の翅を持つ者の記録と精霊術の知識を消し、地位と権利を奪うのだ。
それから彼らの地位と功績を他人に振り分ける。
そう遠くない未来に、蝶の翅を持つ者は役立たずと呼ばれるようになるだろう。
まるで一滴の水が石を穿つように時間をかけて足元から崩していく。
それは男の最も得意とすることだった。
それに男にはわかっていた。
知識を消したとしても、賢者である自分が義務として蝶の翅を持つ者がやらねばならないことを定めておけば問題は起きないだろう。
たとえば区画で育ちの悪い畑を充てがって、ついでに他の畑にも体内に満ちる力を補うようにするとか。
精霊術の要である区画には住まわせるが、親しくなる人間ができないように短期間で転居させるとか……。
知識の代わりに掟やしきたりで仕組みを作って、今までどおりに国が回るようにすればいい。
どれだけ理不尽だろうと気が弱い彼らならば嫌と言わずに従うだろう。
それに多数を占める鴉や雀は地位が上がって喜ぶに違いない。
なにせ数は力だ、数の少ない蝶の翅を持つ者の意見など元から聞く必要はないのだ。
これなら退屈せずに済みそうだと男はほくそ笑む。
男は誰もいなくなった部屋で、脳裏に浮かぶ彼女の残像に微笑みかける。
安全な場所でぬくぬくと守られながら、蝶の翅を持つ者が翅をもがれていく様子を見ているがいい。
心優しい彼女は自分のせいで他者が傷つくのを何よりも嫌う。
もしかすると、舞い戻ってくるかもしれないな。
それを心待ちにする男にとって、蝶の翅を持つ者の命運を握ることが逃げた織姫を繋ぎ止める楔のように思えたのだった。
だがその後、翼人の国に女性が戻ってきたという記録はない。
同時期、現在のワルシャリア王国から離れた場所にある商業国に、たいそう織物の上手な婦人がいたという。
神がかった容姿の美しさと優しい人柄もあって、人々から織姫のようと評判になり織物の腕と共に尊敬を集めたそうだ。
夫婦仲もたいそうよく、たくさんの子供に恵まれ、死ぬまで二人は添い遂げたという。
そして翼人の国に残された男は無駄の多かった制度を改革し、正しく評価されていなかった有能な人材の地位向上を積極的に推し進めたとして、死後、大賢者の称号を贈られた。
私的には生涯を独身を貫き、いつも誰かを待ちわびているような顔で麓を見下ろしていたという。
もう少しマイルドな展開を想定していたのですが、自分がこれされたら嫌というものを詰め合わせたら想像以上に怖いと思う男性像ができあがりました。このお話を書くかどうか迷っていたのですが、一度くらいは「おまえが余計なことしたからだよ」みたいな内容を書いてみたくてこうなりました。
お楽しみいただけますと幸いです。




