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翅を失った蝶は天色の記憶に囚われるのか  作者: ゆうひかんな


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閑話 この扉が開くのは


風の吹き荒ぶ音に混じり、獣の鳴く声がした。


硬い表情をしたタンガが祠の前に立つ。

この場所は賢者と賢者候補だけに受け継がれる。

森を抜けた先、天に向かうように伸びる坂道を登り切ったところにあった。

時刻は夜、そびえ立つ祠は満天の星を背負って静かに佇んでいた。

そして祠の真後ろは断崖絶壁。

羽のある翼人には間近に崖があろうと問題はないが、まるで天の終わりと地の始まりを繋ぐような場所に置かれた祠の異様な存在感に嫌でも緊張が高まる。

タンガは、付き従うルオに口を開いた。


「一つ、頼まれてくれないか?」

「もちろんです」

「俺が戻らなかったとしても、ハンナ……いや、レンカに聞かれたら旅に出たということにして欲しい」

「タンガさん……」

「聞かれることはないとは思うが、念のためだ」


神々の怒りがどれほどのものか、想像もつかない。

その場に破壊と暴虐の神がいれば、魂ごとこの体を捻り潰されることだってあり得る。

慈悲深いとされる他の神であろうと、気分を損ねていれば同様。

神とは、そういう無慈悲な一面をもつ存在でもある。

それと知りながら鴉の羽を持つ者として賢者の責務を果たさねばならない。

今ごろ両親は覚悟を決めているだろう。

だが心優しい蝶の翅を持つ彼女に、この感覚を理解させるのは難しい。


「命を捧げたあとまで、誰かの負担にはなりたくないからね」

「あのときレンカさんには何と言ったのですか?」

「許されるなら、賢者となった俺の隣で支えて欲しいと」

「そんな……!もし彼女が応じていたらどうする気だったのですか⁉︎ 彼女を置いて逝くなど……!」

「それはないよ。どうあっても()()()が俺を選ばないことくらい、すぐにわかったから」

「どうしてそうと言い切れるのです⁉︎ あとからこのことを聞けば、彼女は……」

「物心ついたころからずっと彼女だけを見てきた俺だからこそわかる。彼女が何に囚われているのかが……」


嫌でも、わかってしまうのだ。


彼女の視線の先には、いつでも青空がある。

試練の洞窟から地上へと送り出した日の空を思わせるような、雲一つなく美しい青。

その美しい青を持った金獅子のような男に、翅を失った蝶は囚われているのだ。

ずっと一緒にいたからこそ、あの男にわずかな隙間もなく埋め尽くされたハンナの心に気がついてしまった。

自分に向けられた冷めた視線、それとは対照的に甘く熱を帯びた視線の先に誰がいるのか?

当たり前のように、そこにいるのは自分ではなかった。


「ハンナの気持ちは揺らがない。だからこそ俺も本心を言おうと思った」

「あのあと儀式があることは知っていたはず。それなのに、どうしてそんな未練が残るようなことを……」

「逆だよ。これでもう未練はない」

「タンガさん……」

「もしかしたら、これが言葉を交わせる最後になるかもしれないからね。神に魂ごと潰されれば輪廻の輪からも外れるだろう。そうなったら、もう一度生まれ変わって仕切り直すこともできない」


タンガは深く息を吐いた。

嘆きのような風の音が、びゅうと鳴る。


「一度くらいは、後先考えずに想いを伝えたかった」


あふれそうになる感情を抑えるために、タンガは衣を強く握った。

いつしかつけ込まれる隙を与えないよう、先のことを考えながら話す癖がついていた。

……この胸を焦がす感情は理屈ではないというのに。

自分のために人を好きになるのではなく、好きになったからこそ自分が何かをしてあげたかった。

そんな当たり前のことを、いまさら気がつくなんて。

だから幼い日のように、まっさらな気持ちで彼女に想いをぶつけたのだ。

彼女が幸せなら、自分が隣にいなくても悔いはない。

最後くらい、正直な気持ちを言葉にしておきたかった。


「それでも最後にレンカと呼びたかった。そのぐらいなら許されると思わないか?」


両親と対峙する自分の緊張で冷え切った手に、そっと触れた彼女の温もり。

励まされて、離れていく温もりに引き裂かれるような胸の痛みを覚えた。

幼い日、道に迷った彼女を探し出して離れないようにと繋いだ手。

自分よりも小さな手を失うまいと、奮起したのは自分のほうだった。

彼女の言うようにレンカもハンナも中身は何一つ変わらない。

だけどタンガが愛したのはハンナではなかった。


「俺が愛したのは、レンカなんだ」


選択肢を間違えたばかりに愛する人を永遠に失ってしまった。

無言のまま表情を歪めたルオの肩をタンガは軽く叩く。


「今更だな、忘れてくれ」

「タンガさん……」

「とはいえ神々の慈悲を得て許されるかもしれないし、そもそも会っていただけない可能性だってある。ルオや他の翼人のまえに賢者として再び立てるよう努力するよ」


そしてタンガは祠の扉の前に立った。

ルオは拒むように固く閉ざされた扉を見て、呟く。


「この扉が開くことはあるのでしょうか?」

「先代の賢者様のとき()開かなかったと聞いているな」


遡れば、先代だけでなく先先代も、その前の代も。

扉はわずかばかりでも開くことはなかった。

致し方なく賢者となる者はこの扉が閉じたまま儀式を行なったと聞いている。

このため、()()()()()だと言われており、タンガも賢者となったあかつきには、前例に倣って儀式を行うものと思い込んでいたのだが……。


「たぶん今回は開くぞ」

「タンガさん?」

「あとは頼んだ、ルオ」


タンガには開くという確信があった。

迷わず扉の取手に手をかける。

すると軋むような音を立てながらも、軽やかに扉が開いたのだ。

息を飲んだルオの目の前で、タンガを招き入れるかのように開かずの扉が自らの意思で開く。

ルオは口元を手で覆い、驚きのあまり一瞬言葉を失う。


「……タ、タンガさん、これって!」

「鍵となるのは賢者のローブと体内に満ちる力だ。両方が揃わなければ開くことはないと、そう皆に伝えて欲しい」


背を向けたまま、タンガはそう言い置いて祠の内部へと足を踏み入れる。


いつしか開かなくなった祠の扉。

その裏には蝶の翅を持つ者に認められた者だけが神に会うことを許されるという真実があった。

地上で学んだ知識に照らせば、勇者と神の繋がりを取り持つ聖女との関係によく似ている。

蝶の翅を持つ者に認められたという証である体内に満ちる力。

使い切る前に足せばよかったものを、知識が意図的に消されたせいでローブは力を失った。

精霊術の知識を正しく受け継がなかったばかりに、翼人は神々と繋がる機会を失ったのだ。


今ふたたび機会を手に入れた。

けれど、全ては終わったあとだったが……。


タンガが祠に入ると同時に扉が閉まる。

ひとりでに何百と数えきれないほどの明かりがともった。

大人の男性が一人入れる程度の広さしかないはずの祠の内部に、これほど広大な空間が広がっていることを誰が想像していただろうか?

そして空間の奥から押し寄せる威圧感。

覚悟を決めていたはずのタンガでさえ、底知れぬ力に体が震えて膝を折った。


「…………おおお遅い、遅いッッ!」


頭上から降ってきたのは、文字どおりの空気を震わせる怒号。

タンガは形式に則って深く首を垂れるので精一杯だった。




たまった下書きを使い切りました。

次回からの更新はのんびりになります。

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