じゃあまたね
ときには冷たく見えてしまう、その黒曜石のような瞳も。
黒く艶のあるまっすぐな髪も、深く傷つきながらも無理難題を跳ね返し成長していく強さも。
遠くて、眩しくて、でも憧れた。
だって初恋だったのよ?
忘れられるわけはないと思っていたの。
……あのころの、私は。
「ごめんなさい。今はもう、あなたを選べない」
「……」
「言ったでしょう? タンガの全てを否定するわけじゃないって。でも私は、レンカではなくハンナでありたい」
バカだな。
捨てられるとわかっているのに、天の色を選んでしまった。
雲一つない、青。
地上で天涯を覗き込んでしまった私は、ただひたすらあの青を追い続ける。
夜の色をした瞳が揺れた。
タンガは痛みを堪えるように眉を寄せて、無理矢理微笑んだ。
「彼は、君を幸せにできるのかな?」
「それはわからない、でも幸せは誰かにしてもらうものではないから」
自分の幸せは自分で決める。
私が人になったのは、当然の権利を行使するためだ。
だから、そんな心配はいらないのよ。
「わたしのことよりも、まずは自分のことよ? タンガは自分のために、自分だけの幸せを見つけて」
幸せを願う……、隣に私がいなくても。
あの日、タンガと向かい合った夕闇の中で私は答えを出していた。
私の中で答えは……とうに出ていたのだ。
彼は耐えるように瞳を閉じる。
「うん、わかった。それが君の答えなら尊重するよ。いついかなるときでも君の幸せを祈っている」
そして深く息を吐き出すと、いつもみたいに穏やかな笑みを浮かべた。
私はひっそりと安堵のため息をつく。
腹黒さを覆い隠すための、いい人の面の皮が戻ってよかった。
だから私も幼なじみの顔で笑う。
「今まで守ってくれて、ありがとう。そのお礼じゃないけれど、ローブの修復が必要なときは下手に遠慮しないで私に声をかけなさいよ? 得意分野だし、ちゃんと直してあげるから」
「……いまだに甘いところがあるよね。そこのところの加減は大丈夫なの?」
「借りを作ったままというのが気持ち悪いのよ。それに誰にでも甘いわけじゃないわ」
私の言葉にタンガは一瞬驚いたように目を見開いて……深々とため息をついた。
心底あきれたという顔で、軽く首を振りつつ目元を手で覆う。
「そういう無防備なところが心配なんだよね。アレク様も、無意識にこれをやられたら大変だな」
「あら、失礼ね。だからちゃんと相手を選んでるわよ!」
「だからそういうところなんだって」
「よくわからないから、もういいわ。帰るわね!」
子供ではないのだ、心配されなくても自分のことは自分でできる。
つんと顎を上げて後ろを向いた。
久しぶりに味わう幼なじみの距離感が嬉しい。
背後で、タンガのクスクス笑う声がする。
「ああそう、一応先に断っておくけれど、地上に降りたらまた君のご両親のところに寄らせてもらうからね」
「え、なんで?」
思わぬ名前が出て、驚いて振り向いた。
首を捻ると、タンガは相変わらずクスクス笑っている。
「夕食に誘われたんだ。君のお母さんの手料理は本当に美味しいよね」
「やっぱり胃袋……」
「それと今度稲刈りを手伝う約束をした」
「いつの間に、そんな仲良しに⁉︎ ……あ、でも稲刈りの手はしばらく必要ないと思うわよ?」
「え、収穫期なのに?」
今度はタンガが首を捻った。
私は、真面目な顔でうなずいた。
「借りるついでに、刈って戻した」
「ああ、そういうことね」
雀の前で見せた、あの小麦だ。
あとで問題になりそうなところからは借りられないもの。
一番近くて手っ取り早く、しかも無理がききそうなところがそこしかなかった。
もし目の前で見ていたら両親も驚いただろうな……収穫しようとした稲が一瞬にして刈り取られて、慌てたところで目の前に戻されて小麦の実が積み上がったのだから。
まあ、誰がやったか犯人は一目瞭然だから……すぐに返したし怒られないよね、たぶん。
眉根を寄せた私に気づくものがあったのか、タンガは苦笑いを浮かべた。
「しょうがないな、怒られるときは一緒に怒られよう」
「お願いね」
普段は私に甘い父母も、怒ると結構怖いのだ。
そういえば……私に甘いけれど怒らせると怖い人がもう一人いたわよね?
護衛の兵士から、限界ですという視線がビシバシと飛んでくる。
「さて、被害が拡大する前に帰るわね」
「あーっと、その方が良さそうだね。これから儀式があるから俺ももう行くよ」
「儀式って?」
「賢者に選ばれたことを太古の神々に報告に行くんだ」
「それは……大変な役目ね、頑張って」
「ローブをきれいにしてくれてありがとう。これなら胸を張って神の前に立てるよ」
どのような儀式が行われるのかは知らない。
けれど神々の造った翼人の国が崩壊したのだ、ただでは済まないだろう。
念のためと、軽くローブに触れて力を足しておいた。
守護の術式も正常に作動しているし、……何事もないといいけれど。
これ以上、今の私にできることはない。
「じゃあまたね」
「ああ」
私はふわりと笑って軽く手を振った。
手を振り返したタンガは、私に背を向ける。
アレク様の元へ向かう途中、ルオとすれ違う。
視線が交わり、どちらからともなくニヤリと笑った。
「ちゃんと選んできたわよ、これで満足かしら?」
「そのようですね。我々にとっては残念な結果ですが……どうぞお幸せに」
あなた達の思い描く幸せとは、たぶん違うと思うけれど幸せになるわ。
アレク様の隣に立つのは私じゃない、奥様になる人だ。
私は臣下としてアレク様を支えるの。
幸せになる道は一つではないと、心の中でそっと呟いた。
「タンガをお願い」
「お任せください」
「あなたも、頑張ってね?」
「ありがとうございます」
すれ違いざまに囁いて、そのまま振り向くことなく通り過ぎる。
……これで諦めることができる。
風に乗って誰かの声が聞こえた気がした。
顔を上げ、前だけを向く。
日はすでに落ちているのにアレク様の周りだけは、ほのかに明るく照らされている。
光へと吸い寄せられるように手を伸ばした。
「おかえり、もう心残りはないね?」
「はい、お時間をいだだいてありがとうございました」
「本当だよ、気が気じゃなかった」
拗ねたような顔に、胸が高鳴る。
それを無理矢理抑えつけて私は微笑んだ。
「よくタンガと二人きりになることをお許しいただけましたね?」
「仕方がない。これ以上執着されても面倒だからね」
心底嫌そうなアレク様に、思わず笑いをこぼした。
彼は私が伸ばした手を掴む。
「力の残量はどのくらい? 大盤振る舞いしていたけれど、帰りは転移ではなく別の術式を使おうか?」
大盤振る舞い……ローブの術式を起動させたことかな?
それなら大丈夫と、首を振った。
たしかに転移の術式は大量の力を使うけれど、今気になるのはそこではなかった。
「それが、想像以上の速度で回復しているのです。アレク様もそう思われませんか?」
「……ああ、そう言われてみればそうかな? 私の場合は、ほとんど使っていないからわかりにくいけれど」
「ああって、……あれだけの大技を連続して使っても余裕があるのはアレク様くらいですね」
「そういえばノックス教授も言っていたか、この場所は立地条件がいいと」
「精霊に力をわけてもらいやすい環境というものですよね。たしかに、使ったそばからすぐに補充されるなんてことは地上ではありえませんから、そういう意味でも破格です」
一気に力を失ってふらついたのは、トウカの治療を行ったあとくらいだ。
あとは驚くくらいの速度でぐんぐん補充されている。
もはや満杯に近い状態まで器が満たされていたからすぐにわかった。
蝶の翅を持つ者が無意識にこの国で力を使っても体調不良を訴えなかったのはこのためだろう。
「なるほど、そういう面でもこの国は優遇されていたということか。……それでタンガは?」
「これから儀式があると言っていました」
「儀式?」
「はい、太古の神々に報告へ行くそうですよ?」
「……その儀式をやる場所は聞いたのかい?」
「いいえ、聞いてはおりませんが……」
アレク様は黙り込んだ。
そしてちょっと考えると、大きく頷いた。
「ならば、この場所を聖地として保存しよう」
「は、いきなりどうしたのですか?」
「精霊の寄り集まりやすい立地条件と、神と繋がる儀式の場所。聖地と呼ぶに条件は十分じゃないかい?」
「それは、たしかに」
「神々がここに国を作った理由はわからない。けれど人を置いたということはこの地を管理する者が必要だったということだろう。その意思は辺境伯領が受け継ぐ。それに荒廃したとしても、かつて暮らした翼人にとっては思い出の残る場所だ。無碍にされたくはないだろう」
翼人がいなくなったとしても、荒れるに任せることなく定期的な手入れは行う。
地上から人の出入りは禁じることになるが、翼人には羽があるから空から行けば問題はないと。
「変わり果てたとしても故郷だからね、翼人にとっては」
はっと胸を突かれた。
恨みに凝り固まっている私には生まれてこない発想だった。
結局のところ、私はまだ過去を捨て切れていなかったのか。
ひっそりと落ち込む。
負の感情に囚われている状況では、隣に立ちたいなんておこがましい。
視線を下げた私の手をアレク様が強く握る。
「これからのこともあるが、今日は疲れただろう? 心残りがないのなら戻って休もう」
声には、労りと優しさがあふれている。
今だけはと、甘えるように手を握り返し、転移の術式を発動させる。
アレク様が何気ない口調で呟いた。
「帰ったあとも、色々忙しくなるからね」




