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翅を失った蝶は天色の記憶に囚われるのか  作者: ゆうひかんな


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30/57

私は、何のために生まれてきたのでしょう


ここはもう私にとって実家ではなく、他人の住む家だ。

二度と戻ってくることはないだろう。

そう思うと、全てが色褪せて見えた。


「……どう、納得した?」

「ええ、無事に不信の種を蒔くことができました。いつ芽吹くかは彼ら次第です」


アレク様は実家の近くにある大木に寄りかかっていた。

そばには、同行してくれた護衛の兵士達が待っていてくれる。

彼が、こうして帰る場所を作ってくれたことが何よりも嬉しい。


そんなアレク様が呆れたような表情を浮かべて両手を広げた。

その腕の内まで静かに歩いて行った私は、彼の胸元に倒れ込んだ。

崩れ落ちた私の身体をアレク様は難なく受け止めて、横抱きにして抱え上げる。


「強情な人だな。己が誇りを守るためにギリギリまで力を使い切ったってところか?」

「大丈夫です、帰りの転移に必要な量は残していますよ」

「そういう問題じゃない」


アレク様は中心部へと足を進めながら不機嫌そうに眉根を寄せる。


「回りくどい手を使うから余計な負荷が掛かるんだ。正攻法で自分の正体を明かして思う存分叩きのめしてやれば良かったのに。君にはそれだけの手段も力もあるのだから」

「まあ、そのやり方もたいそう魅力的でしたけどね」


断罪劇というものだろうか。

だけど残念なことに、それでは彼らには通じない。


「格下でも同族、異種族なら同等かほんの少しだけ格下か。とにかく多少でも話のできる相手として認識していなければ、断罪しても効果は薄いのですよ」


翼人は翼人の国に紛れこんだ異物としてしか蝶の翅を持つ者を認識していない。

いかに劇的な演出をしようと、幼いころから慣れ親しんだ価値観を覆すのは難しいということは、幾度となく思い知らされた。


「飼い犬が吠えても、まともには取り合わないじゃないですか。それと同じです。労力かけて断罪なんてしても、ああまた吠えてるなー、しょうがないやつだ、で終わってしまう」

「……」

「悪いのは、いつも私。なぜなら心の奥底で同じ翼人ではないと思っているから。どちらが悪いのかなんて、考え直してくれることもない。なぜなら異物である私達のほうに非があるのは彼らにとって決定事項だからです。どれだけ労力を掛けたって、響かなければ意味がないとは思いませんか?」


そんなの、ただの自己満足だ。

彼らは私が、なぜ吠えなくてはならなかったのかなんて思い悩むことは決してないだろう。


「だって彼らはおかしいと思っていないのです。蝶の翅を持って生まれただけなのに無能であると決めつけられた私達が差別されている現実を。翼人は皆、ハンナには感謝するのに同じことをしても蝶の翅を持っていたレンカは罵倒するのです。名を変えようとも中身は同じなのに、レンカでは舞台にすら上がらせてもらえない」


私は抱え込まれたまま、アレク様の胸元を強く掴んだ。

名を変えようとも中身は変わらないと言った、管理者の言葉はある面ではとても正しい。

ハンナと名乗ろうとも、レンカであったころと何一つ変わらない。

それでもレンカがハンナとなって成したことは彼らにとって奇跡に近いことだったはずだ。

レンカとして、蝶の翅を持つ者だって役に立てるという証を目の前で立てた。

それなのに、なぜここまで頑なに考えを改めようとしないのか。


答えは、ただ一つ。

蝶の翅を持つ者を翼人だと認めていないから。

餌を与え養っている動物と同列だから、どれほど価値を示そうとも、並び立つことは許されない。


彼らが許さないのだ。


アレク様はただ静かに私の言葉を聞いていた。

彼が踏みしめる木屑と葉のむせ返るような匂いが、幼い頃の迷子になった自分を思い出させる。

慰めるようにゆらゆらと揺らされて、まるで幼子に戻ったかのような心持ちだ。


「だから私は翼人であることをやめました。アレク様と同じ人であることを選びます」


トウカの怪我を完璧に治療したのは、賢者候補であるタンガの実績とするため。

家族への愛なんてない。

欺瞞と打算に満ちた、翼人らしからぬ選択だ。


「それに白いローブを着た精霊師が誰か事実を知った家族がどう思うか想像できませんか?」


トウカは視力を取り戻し、あれだけ深かった体の傷も全く残っていない。

これを薬師の治療だけで成すのは難しい事くらい、誰だってわかる。

では誰がやったのか?

治療院の紹介状を携えて行った私と治療院に姿を現した白いローブを着た女をハンナと結びつけるのは容易い。

そして白精霊師ハンナと、雀の羽を持つ者に顔を晒したレンカが結びつくのも時間の問題。


「嫌悪している私に治療されたなんて、トウカからすれば不愉快以外の何ものでもないでしょう」


誇り高いトウカは、怒り狂うに違いない。

蝶の翅を持つ者を保護したあと、問答無用でお山に捨てに行ったのも私だしね。

あのとき、トウカはタンガの婚約者として側にいたいと主張した。

だが誘拐とか勧誘とか、彼女の失踪を辺境伯領側の瑕疵とされるのは迷惑なので、当初の予定通りに翼人の国の近くへと置いてきたのだ。

トウカが一人は怖いと泣き出したが『私も小さいころに山道を一人で放浪したのよ、お揃いね』と笑顔で答えておいたわ。

あれだけのことをした相手に優しさなんて期待するんじゃないわよ。

それに遠くから彼女を呼ぶ声がしたし、松明の明かりが見えたから探されているのはわかっていたしね。

可愛がられているなとは思ったけれど、それだけだ。

彼女自身に非があるから辺境伯領でのことは誰にも話さないだろうと多少邪険には扱った認識はある。

けれど不満は募らせているだろうから、呼ばれずとも姿を表して可哀想な妹を演じると思っていた。

それなのにトウカの姿がなくて、どうしたのかと思っていたけれど……まさか狩りで、あれほどの怪我を負っているとは思わなかったわ。


「一番真っ先に彼女がやってきて私がレンカだっていうことをバラすという状況も想定していたのに、静か過ぎておかしいとは思いました。けれど、ちょうどいいので薬師の知識が遅れていることと、蝶の翅を持つ私が役に立つことを彼女の身をもって証明してもらうことにしたんです。他の鷹の羽を持つ皆さんと同じようにね」


今頃、両親はタンガの元へと駆けつけているころだろう。

そしてトウカの傷が綺麗に治ったという事実を報告しているはずだ。

そこで彼らは、誰が何をやったのか真実を知ることになるだろう。


「間違いなく激怒するでしょうね」


いつ死んでもおかしくないトウカを、役立たずと呼ばれていたレンカが治療した。

……治ったのだから、素直に喜べばいいのに。

トウカの命と翼人としての名誉、どちらが大切かなんて比べるまでもないのにね。

現実を認められない彼らは、それこそ飼い犬に手を噛まれたようなものだと恨み続けるに違いない。

なんとなくおかしくなって、私はアレク様の胸の内でクスクスと笑う。


「そんなに忘れたくないのなら、一生私の影に振り回されていればいいと思ったのです」


私は完全な状態までトウカの傷を修復した。

見えない内部も、目立つ外部もだ。

だけど人間はいつまでも健康体ではいられない。

ちょっとしたきっかけで、トウカが体調を崩したときに彼らはどう思うか。

私が何かしたのではないかと疑うだろう。

ただ治療しただけ、そう伝えてもあの人達は信じない。


「離れてから三年近くも経つのです。私を忘れる機会などいくらでもあった。それでもあの人達は忘れないし、忘れられない。なぜだと思います?」

「……わからないな」

「私の家族は蝶の翅を持つ者を憎むことでしか繋がることができないからですよ」


憎悪の(まと)になるのは、蝶の翅を持つ者だったら誰でもよかった。


父も、母も、トウカも。

私を見ているようで見ていなかったのだ。

彼らが胸に抱く憎しみすら私に向けたものではないのも知らないで。


どうりで私には何も残らないわけだ!


クスクス、クスクス。

ただただおかしくて、笑い続ける。


滑稽だ。

翼人の国の住人は、皆どこか狂っている。

あれだけ忌み嫌っていながら、これからもずっと蝶の翅を持つ者の影に怯えながら生きていくに違いない。


「わかるでしょう、アレク様。私に関わるとろくなことにならないのです」


翼人の負の感情を煮詰めて凝らせた存在が蝶の翅を持つ者だ。

彼らに恨まれるためだけに(はぐく)まれた忌まわしきものの象徴。


アレク様の胸に顔を埋めて、私は笑い続ける。


この呪いにも似た負の感情の連鎖に彼を巻き込みたくなかった。

辺境伯領の守護神であり、太陽のようなアレク様には月のように清廉な女性が相応しい。


「ごめんなさい、アレク様。身の程知らずにもあなたの隣にいたいと願ってしまって……」


欲張りな私は、あなたを愛してしまった。


伝わる温もりすら今の私には辛い。

甘えて立てなくなる前に、一人で歩かなければ。

自らの足で立つためと、彼の胸を押しやる。

ゆりかごのように揺れるアレク様の歩みが止まった。


「……もういいんだ、ハンナ」


いつもは澄み切って淀みなく響くアレク様の声が、わずかに震えている。

アレク様が地面に下ろした私の背を優しく撫でた。


「そんなふうに自分を傷つけようとしなくてもいいんだよ、ハンナ。君はもう十分に傷ついた」

「アレク様……?」

「どうして君はそんなにも優しいのかな? あんなクソみたいな家族に酷く傷つけられたのに……傷つけたことのほうが辛いなんて、どうかしている」

「……」

「怒ってもいいんだ、泣いたってもいい。だから……そんなふうに自分を笑わないで?」


彼の手でフードを外され、あらわになった私の顔には、いく筋もの涙が伝う。

壊れそうな私の欠片を掻き集めようとするみたいに、彼は私の体を強く抱き締めた。


「でも私には何もないんです、アレク様。悲しみも、怒りも憎しみも……全て私に向けたものではなかった」


あれだけ家族の近くにいたのだ。

声や話し方も考え方だって、かつてと同じものなのに。

あれほど嫌悪していた私を家族ですら気がつかないなんて、誰が想像しただろうか?


「私は、何のために生まれてきたのでしょうね?」


彼らに負けまいと、いつか見返してやろうと努力を重ねていた。

それが彼らに、そもそも私が見えていなかったなんて思いもしなかったわ。

虚しく足掻いただけの努力に、価値はあったのだろうか?

アレク様は濡れた私の頬に手を添えて、瞳の奥を覗き込む。

吸い込まれそうな、宝石のように青い瞳が私だけを映した。


「君はもう翼人ではない。地上で人として生きることを選んだ君が人として過ごす時間にも価値はなかった?」

「でもアレク様だって、きっといつか私がいらなくなる。……彼らと同じように。」


彼の瞳は、天色。

私が捨てられた日の空と同じ色だ。


怖かった。

もう一度、捨てられる恐怖を思うと、自ら温もりを手放してしまいたいと思うくらいに怖かったのだ。

ただ静かに泣き続ける私の頭をなでて、アレク様は困ったように微笑んだ。


「彼らと一緒にされるのは不本意だな。誰かの代わりではなく私には君が必要だ」

「そこまで言えるほど、アレク様は私を知らないでしょう?」

「私はハンナと出会ってからずっと見てきたよ? 君がどんなものが好きで、何が苦手か。話し方も、仕草も、香りだって覚えている。だからローブに隠されていようがいまいが関係なく、君を見つけることができた。事実、あの広い王都で脱走した君を真っ先に見つけたのは私だよ?」

「……」

「あの日は、女中を買収してローブを着せてたよね? 腹立たしいけれど、うまい手口だと感心したよ。白いローブを着ているのは君だという目印のようなものだったからね。でもさ、一番腹立つのは脱走したあとの君の格好だ。代わりのローブも身につけていなかったし、変装と化粧で多少は誤魔化してたけどさ、その人並外れて整った美貌が化粧程度で誤魔化せると思ってたわけ? 超絶綺麗な美人が、ちょっと美人に落ちたくらいで男達の視線を集めないとでも思った? 声を掛けたのに、君の食欲の前に敗れ去った男がどれだけたくさんいたのか本当に気がついていないの? 虎視眈々と人攫いが君を狙っていたのをうちの護衛が片っ端から捕獲したおかげで、年間に捕獲される犯罪者の最高記録を一日で塗り替えたと辺境伯が警備隊から表彰されたの知ってる? 後日、君が()()()()()()と名付けられたときは、ご先祖様への申し訳なさと警備の苦労を察した胸の痛みで()()豪放磊落と評される父が、枕を涙で濡らしたんだよ⁉︎ ねえ、それだけやらかしてる君の中身が何もないだって、馬鹿なの? それとも喧嘩売ってる? なんなら言い値で買おうか?」

「あああアレク様、よくわからないけれど怒ってますよね! お顔がコワイです⁉︎」


色々と当時のことを思い出したようでアレク様の言葉が荒れてきた。

護衛の兵士達も盛んに頷いたり、苦笑いを浮かべている。

どうして慰められてるはずが逆に怒られてるの⁉︎

怖すぎて涙も止まりましたよ!


微笑ましいという顔で、兵士の一人が教えてくれた。


「あのときのアレク様、凄かったんですよー。野生動物顔負けの五感でハンナさんを探し出したあとは、近づく男達を威嚇しつつ、片手間に人攫いを捕獲してたんですから」


そうですか、あの日の裏側はそんなになってたのですね。

あっさり捕まったように見えたけど、意外と捕まるまで余裕があったらしい。


「あまりにも嬉しそうに買い食いしてるから捕まえるのが可哀想だって、アレク様がね……」

「余計なことは言うな」


本当のところは、はじめから見られてたわけですか。

気がつかず一人だけ美味しいものを堪能していたようで、なんかすみません。

当時の様子を思い出したらしい彼らは、妙に嬉しそうだった。


「俺達、アレク様が捕まえた奴を警備隊に引き渡しただけですもん」

「アレク様だけで戦力過剰でしたし、俺達いらなかったすよね!」

「仕事しろよ、お前ら!」


しかも楽しそうだ。

王子様の仮面を外したアレク様が、どこか幼く可愛らしく思えて少しだけ笑った。


「よかった、笑ってくれて」


アレク様は安堵したような表情を浮かべた。


「落ち込んでいる君も可愛らしいけれど、笑った顔の方が私は好きだな」

「ちょっと前には怯えたような表情が煽るとかいうようなこと、言ってませんでしたっけ?」

「私の好みの話ではなくて、他の奴みたいにガキじゃないっていう話の流れで言っただけ」


私には、どんな君でもかわいいけどね。

翻弄するような甘い台詞を耳元で囁いて、アレク様は密やかに笑う。

腕の中に閉じ込められたあの日のことを思い出した私は、一気に頬を赤らめた。


「私の言葉に応えなくてはと急いで信じようとしなくていい。今はまだ信じられなくても、ずっとそばにいてくれれば、きっとわかってもらえる」


信じてもらえるように、努力するよ。

アレク様は真摯な眼差しで、私の心を射抜く。

これ以上は、本当に心臓が保たない。


もう一度抱き上げようとする彼の手を軽く抑える。

周囲の冷やかすような視線に耐えられそうもなかった。


「も、もう大丈夫です。ちゃんと歩けますから」

「そうか?」


アレク様の行き場を失った手が頬に触れる。


「ならば、もう帰ろう。これだけ空に近いと大地が恋しくなる」


辺境伯領こそ、私の帰る場所だ。

私は大きく頷いて、焦がれたように彼へと手を伸ばした。


私もずっと待っていたのだ。

帰りを待っていてくれる人を、帰る場所ができる日を。


ずっと、ずっと願って、ようやく手に入れた。


「待っていてくれて、ありがとうございます。さあ帰りましょう!」


そして、心からの笑みを浮かべる。

無邪気に手を伸ばせば、アレク様が口元を手で覆った。

覆った手の隙間から垣間見える頬や耳が、ほんのりと赤い。


「……敵わないな」


なんとなく気恥ずかしくて、視線を逸らす。

視線の先には顔を赤らめた護衛の兵士達がいて……アレク様が無言で睨みつけた。


「いや、事故です! もらい事故ってヤツですよ、俺達は悪くありません!」

「ハンナさんが可愛いのは、今更じゃないですか! それを怒られる理由がわかりません!」

「……それってハンナが悪いって言いたいのか?」

「うわー、アレク様ってハンナさんが絡むと一気に面倒な人になりますよね!」


面倒な人でも、私にはかけがえのない人だ。

私よりも私を知っていて、隣に立とうとする努力を認めてくれる人。

隣に並ぶのは身分違いだということくらい私自身が誰よりも知っている、それでも。


今は、今だけは彼を私のものにしたい。


アレク様の腕に飛び込めば、私の大好きな大地の香りがした。

彼は私を抱き止めたまま、耳元で囁く。


「おかえり、ハンナ。君が戻ってくるのをずっと待っていたよ」





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