彼らの過去と私の未来は全く別のものなのにね
記憶に残る実家は、母の手で花や調度品が飾られ小綺麗にされていた。
今は家族の精神状態を表すように部屋は放置された物であふれ、花瓶の花も枯れている。
そして全てを侵食するような薬剤の匂い。
「あの子は、奥の部屋にいます。」
導かれて部屋の戸を開けた父の後ろから部屋を覗く。
すると厚手のカーテンを閉めた部屋の奥に丸くなった背中が見えた。
母だ。
蝋燭の灯に照らされた背中からは綺麗好きだった頃の面影はない。
乱れた髪と、いつ着替えたのかもわからないような薄汚れた服を身につけている。
ぼんやりと虚空を見つめながら、ぶつぶつと何かを呟いていた。
その母が守る、ベッドの上。
そこには少女が横たわっていた。
父に導かれるようにして、彼女の傍らへと寄る。
……取り乱すのも、無理ないわね。
痛々しいという表現が、これほど似合う状態というのもなかなかない。
華奢な身体は上半身から腰にかけて包帯できっちりと巻かれている。
そして整った顔立ちの上半分、目から頬まで全てを隠すように包帯が巻かれていた。
「傷は、どのような状態なのですか?」
聞き慣れない声に、母の肩が跳ねる。
その肩を父が優しく撫でた。
訝しげに母は眉を顰める。
「この方は?」
「治療に協力してくださるそうだ」
「まあ、でも身元の定かでない方に治療してもらうのは、ちょっと……」
「治療院からの紹介状をお持ちだし、看病で荒れた私の手の傷も治してくださった」
可能性があればと思い連れてきたと、諭すように母の耳元で囁く。
母は父の綺麗になった手を見て、顔を跳ね上げる。
一瞬、全身が白いローブという私の見慣れない服装に驚愕したものの、父と同じような台詞で懇願した。
私の時は揃って罵倒したというのに、夫婦って、こんなところまで似てくるのね。
ローブの内側で嘲るように歪みかけた口元を引き締める。
おっと、いけない。
今は彼女の……トウカの治療が先。
うっすらと滲む血の量から判断して、傷を負ってからさほど時間が経っていないだろうと思っていたのに、実際のところ、傷を負ったのは十日ほど前の事だったという。
いつものように狩りへと出掛けた狩人達。
彼らは、少しだけ遠出をした。
近場では害獣ばかりで、獲物となる動物の姿を見つけることができなかったからだ。
川を渡り切ったところで野営の準備をしつつ、釣った魚を頬張る。
口うるさい狩猟長もおらず、久しぶりの自由を満喫した若者達は和やかな雰囲気で話していた。
ところが、異変は唐突に訪れる。
焼ける魚の芳ばしい香りに引き寄せられたのか、それとも生き物の気配につられたのか、野営地を大型の害獣が襲ったのだ。
「大型の害獣は本来、群れを成すことはありません。一匹でも狩りは可能ですし、獲物を独り占めできるからでしょう。それなのに……親子であったのか、それとも兄弟なのか……、とにかく似通った容姿の特徴を持つ二頭が一度に襲い掛かったそうです」
経験のない事態に、当初若い狩人達は恐慌状態に陥った。
だが冷静になると、そこは経験もそれなりにある狩人達だ。
現状の戦力では二頭を一度に倒すことはできないことに気がついた。
そこで戦力を二つに分けたのだ。
主戦力が一頭を倒す間、もう一頭は別の場所に誘導して撹乱する。
「その撹乱する側になったのが、この子でした」
一番危険な役目じゃないの。
簡単そうに思えるが、勘の良い野生の獣にそれと気づかせぬよう誘導して、戦うふりをするのだ。
経験も力も劣る少女にやらせて、正しく機能するとは思えない。
案の定、作戦は失敗した。
多くの狩人が負傷し、深く傷を負った彼女は今も生死の境をさまよっている。
「そんな危険な役目を、どうしてこんな少女が?」
「この子自ら志願したと聞いています」
「そこまでするなんて」
「……アレのせいです。」
それまで黙っていた母が、急に口を開いた。
虚だった目に力が漲り、憎々しげに虚空を見つめている。
「アレがいたから、我が家はずっと肩身の狭い思いをしていました。それをこの子が、鷹の羽を持つこの子が、自らの身体を張って盛り立てようと健気にも頑張っていたのです。それをアレが……蝶の翅を持つ娘が、ことごとく邪魔し、奪い、全て狂わせた! どうしてアレは罪の意識もなく私の大切なものを……婚約者や娘まで奪うのよ! どうして私がアレ如きに、愛するものを奪われ続けなくてはならないのよ!どうして、どうして……!」
「落ち着きなさい。今この場には関係ないことだろう⁉︎」
「関係あるじゃない! あなただって蝶の翅を持つ者に散々尽くして捨てられたでしょう!」
唐突に、母は自分と父、そして蝶の翅を持つ者との因果を語り始める。
私はローブの内側で息を飲んだ。
……初めて聞いたわ。
父は蝶の翅を持つ娘に尽くした挙句に捨てられ、母は婚約者を蝶の翅を持つ娘に奪われた。
さぞ悔しかったでしょうね。
そして同時に納得した。
私が憎まれた理由はそれなのだ、と。
ようやく共に伴侶となる相手を見つけ過去を乗り越えたはずが、娘は蝶の翅を持って生まれてきた。
蝶の翅を持つ者との因縁は、死ぬまで二人に付き纏う。
彼らはまた奪われると、そう思ったのだろう。
だから奪われるまえに、私から奪おうとした。
物や機会だけでなく愛すらも全部奪い、トウカへ与えることにしたのだ。
彼らの過去と私の未来は全く別のものなのにね。
「すみません、妻は大切な娘がこうなってしまって取り乱しているのです」
「いいえ、大切なお嬢さんがこうなっては、無理もありませんわ」
同じように生死の境を彷徨った私のときは取り乱すどころか、人に迷惑を掛けるなと詰られたのに。
心の底から私のことなどどうでもよかったのだろう。
彼らが私を愛することはない。
娘である前に、私が蝶の翅を持つ者だから。
愛されたいと願うことすら無駄な努力だったのだ。
「それで、治療できそうでしょうか?」
父と母は祈るような顔で私を見つめる。
誰に懇願しているのか、本当に気がついていないらしい。
私はあなた達の娘なのよ?
この人達は私が薬師に命を奪われそうだったことを知っているのだろうか。
もし知っていて見逃したのだとすれば、誰も救われない。
両親も、私も……翼人は皆、蝶の翅を持つ者への呪詛に取り憑かれた愚か者だ。
諦めにも似た気持ちで、深く息を吐き出す。
「まずは、傷口を拝見しますね」
丁寧に包帯を外す。
胸から腰のあたりに向かって醜く抉れた獣の爪痕がいくつも残っていた。
小さなものや、塞がっているものは古傷。
血の滲む大きな爪痕が三本あるが、これが最近ついたものだろう。
そして治療に使われたのは一般的な血止めと消炎効果のある薬草のみ。
こんなひどい傷に、手当てがこれだけとは。
……やはりね、医薬の分野の知識も百年以上前のものだわ。
理由は単純、賢者様が地上の知識を持ち帰って以降、全く更新されていないから。
地上では、目覚ましく医薬の知識や技術が進歩している。
身体の抵抗力を上げる薬や治癒効果を高める薬も庶民でさえ安価で手に入るのだ。
そこへさらに精霊術の効果を加えることで助かる命が増えているというのに……。
ここにも閉ざされていた国の弊害があったのだ。
そして私の操る白の精霊術の根本は、命を生かすためのもの。
私はずっと、講義や実習を通じて治癒の知識や技術を目にするたびに違和感を感じていた。
トウカの傷跡をじっくりと眺める。
傷口の縫い合わせ方も雑だし、決して腕がいいとは言えない。
翼人の国において、薬師の技術は一子相伝だ。
競合する相手がいないから技術の進歩が止まったままなのね。
むしろ進化が止まったぶんだけ、退化しているとも言える。
アレク様に言われて、念のためと背中の傷を医者に見せた時に渋い顔で言われたのだ。
『この薬師は我々ならば救える命を、いくつも見捨ててきただろう』と。
そんな彼らが、これ以上の手の施しようががないからと治療を放棄した命が目の前にある。
命を救う立場にありながら、立場を悪用して命を奪おうとした薬師達。
許せるわけがないでしょう?
役立たずなのは、あなた達ではないかしら?
私は唇を歪めた。
さあ、ここからは私の出番。
自分達が無理と投げ出した命が救われるのを、指を咥えて見ているがいい。
「意識は戻っていないのですか?」
「はい。……ですが、このまま戻らない方がこの子にとっては幸せかも知れません」
両親は揃って項垂れる。
獣の爪が傷つけたのはトウカの身体だけではない。
愛らしいと評判だった自慢の顔と、勝ち気で無邪気な光を宿した両目を切り裂いた。
両目は、おそらく失明しているだろうということだった。
顔に巻かれた包帯は傷を隠すため。
そして強い光に当てられた眼球が、これ以上傷つくことのないよう保護するためのものだという。
皮肉なことね。
私を獣に襲わせたトウカが、獣に襲われて私以上の怪我を負った。
翼人としては羽をもがれていない分、マシなのかもしれないけれど……。
傷跡を改めて見せつけられた両親は深く息を吐き、呻く。
「これも全てレンカのせいよ! 蝶の翅を持つ娘なんて生まれなければ、こんな酷い目には合わなかったの!」
「ああそうだな。我が子だから仕方ないと蝶の翅を持つ娘を育てたからこんな酷い目にあったんだ! 人に知られる前に捨ててしまえばよかったのだ」
生んだのが間違いだった?
人知れず捨ててしまえばよかったのに?
そう呻く彼らは目の前にいるのが本人だとは、これっぽっちも想像していないのだろう。
「賢者様に諭されて、弱った心を不幸につけ込まれたのだ。やはり蝶の翅を持つ者が我々の不幸の元凶、トウカの不幸は蝶の翅を持つ者を産み育てた我々両親に責任がある。可哀想に……この子も被害者なんだ!」




