私から皆様にご提案がありますの
管理者は喘ぐような息づかいで、タンガの衣を掴んだ。
「ではタンガがなんとかしてくれるだろう?」
「私に頼んだとしてもどうにもなりませんよ。皆と同じように私にも力はありません」
「だが賢者経由で頼めば一人くらいは……」
「戻りませんよ? 彼らは地上でようやく居場所と自分の価値を見つけたのですから」
たとえ自分が賢者であったとしても戻さない、冷ややかな瞳でタンガが答えた。
途端に、管理者の顔色が変わる。
テオのいうとおり、自分が何を言っているのか、本当にわからなくなってしまったみたいね。
そもそもタンガが賢者となることに反対していたのが自分だということを忘れちゃったのかしら?
蝶の翅を持つ者達はこの管理者の妄言に巻き込まれ、結果として罪なく追放された。
レンカは、脳裏に八人の同胞の姿を思い浮かべる。
保護されたときはどこか警戒していた彼らも、さほど時間をかけずに辺境の地に馴染んだ。
今回翼人の国に乗り込むにあたって身に危険が及ばないようにと、彼らの身の振り方もすでに決まっている。
まず、彼らのうち半分は厳重な警備を受けながら王都にある辺境伯の別邸へと向かっていた。
表向きは精霊師となる学校へと入学するという理由で、即戦力となりそうな彼らは翼人から真っ先に狙われる可能性が高いために辺境から遠ざけた。
城に残っているのは、一番小さいマイラと、彼女より三つ歳上の男の子、高齢の男性と女性が一人ずつ。
彼らは年齢的に学校へ入るのが難しいのでこのまま残されたのだ。
運命を変えた計測の日。
八人全員が体内に満ちる力の含有量が平均よりも多いことがわかり、来たときとは別の意味で城内が騒然となった。
結果によると含有量は青が二人、銀が五人、金が一人。
含有量だけでいえば、高位の精霊術が使える素養を持った選ばれし者たちだ。
青と銀であれば専門性の高い術式、特に銀は繊細で難度の高いものを扱うことができる。
金はアレク様と同位。
対人・対物問わず戦闘行為に適した戦闘術式を扱うことができるため、辺境では非常に価値のある人材だった。
計測結果を聞いた私は仲間の評価に躍り上がって喜んだけれど、アレク様は喜色を浮かべたあとに少しだけ難しい顔をしていたのだ。
『どうしたのですか?』
『昔からずっと辺境の地はね、他の地域と比べて精霊師になれる人材が少ないとされてきたんだ』
生まれにくいといった地域特有の原因があるのかもしれない。
辺境故に精霊術と精霊師に関する知識の普及が遅れているのもある。
ただ土地の広さだけで言えば国内一なのに、多くても二人か三人。
アレク様の年代では、彼一人だ。
『それに比べて翼人の国には八人もいた。その事実が気に掛かってね』
『どういう事ですか?』
『君から場所を教えてもらうまで、翼人の国がどこにあるかなんて知らなかった。だけど実際に場所を教えてもらったときに気がついたのだよ』
翼人の国は、辺境伯領内にある。
厳密に言えば、他国と自国を隔てる山岳地帯の一部。
ただ洞窟が繋がっていたことからもわかるように、距離的には圧倒的にこの国の方が近い。
『実際、君を除いてもあの八人を辺境伯領の精霊師の人数に含めれば他領との差がほとんどなくなる』
『……!』
『翼人や翼人の国が、神に愛されているというのは本当のようだね。辺境において精霊師の資質を持つ者が生まれ落ちる場所の比率を変えてしまうくらいには愛着を持っているらしい』
『……そんな、それでは!』
『私が懸念しているのは、今から先の話だ。翼人の国の人口が少ないうちはまだいい。必要とする小麦の量も、獲物の数もたかが知れている。だが、今のように自ら国と呼ぶほどに大きくなったということは、昔よりも人口や居住地の規模が格段に大きくなったということだろう? そして増えた翼人を養うために必要とされる小麦畑の面積や獲物の量も増えていくだろう。今までの水準を維持していくため、どれだけ精霊師の力が必要とされるのか。私には全く想像もつかないよ』
『では今から先の話というのは……』
精霊師の資質を持つ者の出生数は、全人口と比べて決して高くはないのだ。
神の存在を脅かすことのないように、精密に厳格に、出生数が制限されているのではと思えるほど。
どこかを増やすならば、どこかを減らさねばならない。
辺境伯領に生まれ落ちる予定の精霊師が、全て翼人の国へと回されてしまったら……。
辺境伯領に精霊師が生まれなくなる?
『我が辺境伯領に高位の精霊師がいることは好戦的な隣国への牽制となっている。それがいなくなれば、あっという間に我が国は蹂躙されるだろう。神や精霊は人の事情など顧みないというが、そのとおりのようだね。このままこの問題を放置すれば困ったことになりそうだ』
私の顔面から、すっと血の気が引いた。
それを単なる可能性の話だと笑い飛ばすには色々と思い当たる節があったからだ。
『いかがしましょう?』
『翼人の国を武力で従わせることは容易だろう。情報から判断して武器も兵の質も圧倒的にこちらが上だ。攻め落とした上で、併合してしまえばいい。だがそんなことをすれば神の怒りを買う恐れがある』
『……』
『それにね、蝶の翅を持つ者がいなくなってしまったあの国に、程なくして新たな蝶の翅を持つ赤子が生まれ落ちるかもしれない。そうなれば何も知らない赤子が気の毒だ。いきなり追放ということはないだろうけど、君たち以上に過酷な環境におかれると思わないか?』
速やかな対応が必要な案件であるが、強引な手は使えない。
だからね、そう言ってアレク様は甘やかに微笑んだ。
秘密を共有する者へ向ける、親しみを込めたもの。
私が知る、彼の裏の顔だ。
『困窮した翼人が自ら山を降り、それを領や国が保護したことにしようと思う』
『あの土地を彼らが自ら捨てる、と?』
『我々の予想が正しければ、あの場所は元々人が暮らせないような場所だった。裏を返せば、人が容易に手を出せない場所にあるからこそ、翼人の国の存在が他国の手から守られてきたのだろう』
人の住みにくい枯れた土地を神が精霊術で祝福を与えて人の住める土地にした。
ご丁寧にも精霊術に適性のある蝶の翅を持つ者が管理者として生まれ落ちるよう、調整までして……。
だから蝶の翅を持つ者は、血統に関係なく降って湧いたかのように生まれるのだ。
そこまで思い至ったところで、アレク様の管理者という言葉に引っ掛かるものを感じた。
管理者…、ああ、あの男ね!
脳裏に丸々と肥え太った、常に嫌味しか言わなかった男の姿が浮かぶ。
いつも取り巻きを引き連れ、視察と称して仕事の邪魔をしに来ていた迷惑な暇人だ。
管理者の仕事が視察しかないなんて、他にやることがない人の言い訳だと思っていたけれど、アレク様の予想が正しいなら、かつて管理者を務めていたのは蝶の翅を持つ者だった。
そして蝶の翅を持つ者ができることを考えると、視察による本来の目的が見えてくる。
本来の目的は、小麦の育ちが悪い畑に精霊術で祝福を与えることだった。
つまり、ただ現場を見に行くだけじゃダメってこと。
どういう経緯があって雀の羽を持つ者に管理者の権限が奪われたのかはわからない。
だが、翼人の国から精霊術の知識そのものが失われた理由と繋がっている気がする。
誰かが意図的に蝶の翅を持つ者を役立たずにしたのだ。
時間が経ち過ぎて、今はもう理由を調べる術はない。
けれど、それがその人物の目的なのだとしたら蝶の翅を持つ者に対する悪意しか感じられなかった。
『それにしても、一体どうすればいいか……』
『このまま蝶の翅を持つ者がいなくなれば間違いなく国は困窮するだろう。だから困り果てた翼人を導くためにタンガを賢者にするのさ』
翼人のことは、翼人に決めさせる。
タンガを窓口にして彼ら自身に今後の行末を決めさせるのだ。
このまま翼人の国に残ってもよいし、辺境伯領で受け入れてもかまわない。
もし警戒して他国へ渡ってもそれは仕方のないことだ。
そうすれは彼らを受け入れただけのワムシャリア王国やブンデンベルク辺境伯領に影響は及ばない。
『翼人は羽がある。本来なら自力でどこへでも飛んで行けるのだから、翼人が望むならば受け入れるという立場をとることにしよう。もちろん、望まなければ無理強いはしない。他国に渡ったとしてもそこから先は自己責任だ。選んだ側に責任が生じるから我々が神に咎められることはないと思うよ』
『ですが世事を考慮しないと思われる神々のことです。こちらの配慮など意に介さずに、神の望みに逆らったとして国や辺境伯領にも罰を与えたりはなさいませんか?』
『まあ絶対にないとは言えないけれど……そこは大丈夫だと私は思うよ』
アレク様は皮肉げに唇を歪めた。
そして嬉しそうにはしゃぐ蝶の翅を持つ者達を眺めながら目を細めた。
『神にとっては蝶の翅を持つ者達のほうが、彼らよりも大切みたいだからね』
『どうしてそう思うのですか?』
『精霊術とは精霊を通じて与えられた神の力の一端を具現化するために編まれた術のことだ。君達は数多くの翼人の中から神の力の一端を具現化できる高い資質を与えられた、それが証だ』
アレク様は私の頬に手を伸ばした。
触れた指先が、慈しむように頬を撫でる。
『そして存亡の鍵を握るのは君だよ、ハンナ』
『私ですか?』
『神だって盲目じゃない。ときに自分への忠誠や愛を試すこともある。資質だけで判断すれば、君は蝶の翅を持つ者で最高の含有量を与えられた。たぶん君が一番、神に愛されているのだろう。その愛する君をどう扱うか……それで翼人を測ったのだと私にはそう思えてならない』
見えにくくとも、神の試しに気がつく機会はいくらでもあった。
それは私を追放したあとに起こった異変と、異変によって引き起こされた翼人達への試練。
原因を追求せず、追放という手段で安易に解決しようとした翼人は本当に今も神に愛されているのか?
『私が神なら君を傷つけた者を絶対に許しはしない』
私の腰を引き寄せて、アレク様は囁いた。
美形の威力、恐るべし。
口説かれているかと思ったわ。
横目でチラチラと観察する使用人さん達の視線が刺さって痛い。
ハイハイ大丈夫ですよ、うっかりでも勘違いはしませんから。
思いを込めて真面目な顔で頷いたら、なんだか可哀想なものを見る目で返された。
『だから翼人達は君の望むようにしていいよ? 神の怒りが及ばない限り、国や辺境伯領は諌めない』
アレク様の言葉は神の啓示というよりも、悪魔の囁きみたいだ。
だからこそ、今の私は心惹かれる。
だって蝶の翅を持つ者達は、翼人の国を富ませる奴隷じゃないの。
私達は大人しくいい子にしていたって、捨てられたのよ?
それなら国が私達を捨てたように、私達は国を捨てる。
誰にも文句は言わせない。
たとえ、相手がかつての同胞だろうと……。
ーーーーーー
「だったら我々に飢えろというのか!」
目の前に立つ管理者が叫んだ。
あら、アレク様との会話を思い出していて彼らの存在を忘れていたわ。
「おまえ達には我々に対する慈悲の心はないのか」
慈悲の心ね。
逆に私達を役立たずと蔑んだ雀の羽を持つあなた達にこそ、慈悲の心はなかったのかと問いたいわ。
それに対する答えが気になるところだけど……それはまたの機会に。
「そこまで仰るのなら、私から皆様にご提案がありますの」
途端に警戒を露わにする雀達。
小声で囁いていても、数が多いせいか嫌になるくらい騒がしいわ。
パン、と手を打って黙らせる。
会話の途切れた隙間を狙って、微笑んだ。
指先が洞窟のさらに先、木々の向こう側を指す。
「豊かな土壌のある場所を探して、その場所まで飛んでいけばいいのです」
だってあなた達には翼があるのだから。




