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翅を失った蝶は天色の記憶に囚われるのか  作者: ゆうひかんな


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さて狩人諸君、格の違いが理解できたかな?


砂塵を切り裂いて、白き神の鳥が舞い降りた。


彼女の周囲だけ景色が切り取られる。

まるで乾いた地表に落ちた一滴の雨垂れのように、漆黒の闇にぽかりと浮かんだ月のように。

倒れ伏す翼人の目には、これから起きる奇跡の前触れのように思えた。


「蔦よ、あれを捕縛しなさい!」


突然姿を現した白精霊師に驚いて、狒々が怯んだ。

その隙をつくような彼女の言葉と共に、森からうねるような動きで蔦が這い出る。

そして瞬く間に狒々の身体へと絡みつくと、拘束した。

引きちぎろうとする狒々の力と、術式によって強化され縄のように絡み合い太い綱となった蔦の力は拮抗している。

ぶちぶちと嫌な音を立て狒々が引きちぎろうとも、次から次へと這い出す蔦は何度も絡みついて離れない。

その隙に母親らしき女性が、男の子を狒々から引き離す。


獲物を逃して、苛つき暴れる狒々の咆哮が響く。

それを冷ややかな瞳で見下ろす白精霊師の背後に、突然翼人達の見知らぬ男が姿を現した。


「鉄鎖の方がいいね。蔦では長く保たない」

「そんなもの自然界にはありませんよ。いいのです、一瞬でも動きを止めることができれば。それよりも……」


白精霊師は、深くため息をついて背後を振り返った。


「勝手に隠匿の術を解かないでくださいな、皆様びっくりされてますよ?」


そう、この男は突然人々の前に姿を現したのだ。

しかも深く傷つき、息も絶え絶えとなった狩人達の前を悠然と横切って……。

今までどこに隠れていたのか、誰も気配に全く気がつかなかった。

まるで金の鬣を持つ獅子が、獲物となる狒々を見定めるために森の奥から姿を現したかのよう。

それにしても、彼の身にまとう殺気のなんと重く力強いことか。

戦うことに慣れ、知力と体力を尽くし、胆力を磨き抜いた者だけがまとう濃厚な死の気配。

……我々では、到底歯が立たない。

明らかな力量の差を自覚した狩人達は全く動けなかった。


狒々の起こす風圧に、金の髪がさらりと揺れる。

晴天を思わせる青い瞳。

整った顔立ちと、しなやかでありながら鍛え上げられた肉体。

蝶の翅を持つ者とは系統が違う、男ですら見惚れるような美丈夫だ。

その美丈夫が放つ濃厚な殺気を白精霊師はさらりといなす。


「ダメじゃないですか、合図もないのに姿を現しては」

「狒々をこの目で見てみたくてね。珍しいし、面白そうじゃないか!」

「また面白そうって……そういう物差しで手を出すから部下の皆様が振り回されるのですよ?」

「だって、ずいぶんと面白いことを言われたなと思って……たとえば我が領地を滅ぼすとか?」


言った本人である管理者は誰よりも早く逃げ出して、安全な場所で隠れていた。


それを誰も咎めない。

なぜなら戦闘は鷹の羽を持つ者の領分、適材適所という言葉が存在するからだ。

だが、狒々が蔦で拘束されたのを目の当たりにし、好奇心から様子を見にきたのが運の尽きだった。

無様に這い出た格好で見ず知らずの男とバッチリ視線があう。

好奇心に駆られて出てこなければよかったと後悔しても、あとの祭りだ。


「そこのおまえ、顔は覚えたぞ。ずいぶんと腕に自信があるようだ、望むなら受けて立ってやろう」

「……お、おまえは誰だ?」

「ほう? あの狒々よりも私が誰かのほうが気になるのか? それはまたずいぶんと余裕だな?」


男は横目で獲物認定した男を見据える。

軽く睨まれただけなのに、管理者の背筋は凍りついた。

滲み出る殺気のようなものに実力の違いを肌で感じる。


まずいぞ、このままでは殺される!


歯の根が合わず、ガタガタと震える管理者に興味を失った男は再び狒々へと視線を向けた。

心なしか、視線の合った狒々が怯んだように思える。

そして男は狒々を見据えたまま、物言いたげな狩猟長や狩人達へと口を開いた。


「狩人とか言ったか? おまえ達に追放され、保護した蝶の翅を持つ者の中には、私と同じ金の精霊術を扱う資質を持つ者がいたのだよ。一口に精霊術といっても得意分野には個性があってね。白精霊師は命を生かすための精霊術を多く扱うが、金精霊師は戦闘特化なのだよ。命を狩るための力を操り、戦場において最高最善の効果を発揮する……この私と同じようにね。さあ、その曇った目によく焼き付けておくといい」


いつの間にか男は腰に下げた剣を抜いていた。

あまりの速さに、動体視力に自信のある翼人でさえ追うことができなかったらしい。


「業火」


男の言葉に呼応して、刀身が赤く燃えるような炎をまとった。

地を蹴り、一気に加速して男は空中を駆け上がる。

羽もないのに、彼もまた空中を飛んだのだ。

翼人達が呆然と見守る中、炎をまとう剣は狒々の首筋へと一気に振り下ろされる。


永遠にも思えるような一瞬の空白。


沈黙を破るようにして、狒々の頭だけが地面へゴロリと転がった。

炎に焼かれたため、切り口から血が噴き出すこともなく現実感が乏しい。

人々はこそりと音も立てずに、呆然としたまま落ちた首を凝視している。

間を置かずして、大きな音を立て巨体が倒れた。


「た、倒したのか?」


誰かの囁き声が人々を現実へと引き戻した。

なんと呆気ない終焉。

さきほどまでの混乱ぶりは何だったのか?

狩人達は、あんぐりと口を開けて間抜け面を晒す。

下を向いて、悔しそうに表情を歪める者もいた。

剣を収める男の側へとタンガが歩み寄る。


「さすがですね。狒々の血は毒性を帯びています。せっかく傷を負わせても血に触れれば倒した者が毒に蝕まれる。それを防ぐために火で焼き、切り口を塞いだ。止血の応急処置と考え方は一緒ですね」

「それで、この残骸はどう処理するんだ?」

「毒があって肉は食べられませんから、細かく刻んで燃やすだけでしょう。頭のほうは一匙の恩恵を与えてくださった感謝の意を込めて太古の神へと奉納します」


男の問いに、淀みなくタンガが答える。

祭事を執り行うのも賢者の仕事の一つだからだろう。

頷いた男のかたわらでは白精霊師の女が何事かを呟きながら蝶を飛ばしていた。


「ならば肉体のほうはこの場で燃やしてかまわないか?」

「はい、よろしくお願いします」


男は手の平を虚空に向けてかざす。


「蒼炎」


何もなかった手のひらに、ゆらりと青白い炎が浮かんだ。

男はそれを無造作に狒々の身体へと放り投げる。


ボン!!


耳をつんざくような爆音。

人々は耳を塞ぐ。

音が消えて、ようやく彼らが狒々の身体があったあとに視線を向けると……。

わずかな黒い焦げ跡が残るだけで、他には何一つ残されていなかった。

青い炎は、通常の赤い火よりもさらに高温である証。

温度が高すぎて肉どころか骨すら残らなかったのだ。

その高温により一気に焼かれたため、毒性を帯びた燃え滓や煙が広がることもないから、最善の処理方法と呼べるだろう。


「さて狩人諸君、格の違いが理解できたかな?」


金の獅子とも見紛う男は、振り向きざまに傲慢な言葉で皮肉った。

人々は呆然とした表情で彼を見つめている。

彼らの表情から読み取れるのは、未知なる強さを持った者への純粋な恐怖。


まるで破壊と暴虐の神そのものではないか。

肌で感じるほどの圧倒的な力の差に恐れる人々。

臆することなく平然と近づいて、タンガは恭しく首を垂れた。


「助けていただき、ありがとうございます。翼人を代表して御礼申し上げます」

「別にあなたのためではない。()()()した我らが白精霊師を連れ帰るついでだ」


その白精霊師が、二人の側に走り寄る。


「タンガ、怪我人が出ているようだけれど治療しましょうか?」

「もちろんだよ、助かる」


飛ばした蝶から連絡を受けて、白精霊師が負傷者を収容した治療院へと足を運ぶ。

薬師が治療を始めているが、一人一人の傷が深く、手が回っていない。

運ばれて、ずいぶんと経つのに何の手当もされていない人もいた。

怒号と嗚咽が止まらない、この場も先ほどとは別の修羅場が広がっている。

その真ん中に白精霊師は進み出た。

突然現れた不審者に驚いた薬師が怒鳴る。


「おい、邪魔だっ! 退けっ!」

「毒は浄化と、傷のほうは止血して塞ぐくらいでいいわね。……神聖なる息吹と癒しを!」


白精霊師が虚空に向けて手を掲げた。


突如現れた水の塊が天井付近で弾け、光の粒となって降り注いだ。

降り注いだ光の粒が傷に触れると、触れたところから流れる血が止まり、瞬く間に傷口が塞がった。

そして人々が彼女を呆然と見つめる中、毒で悶え苦しんでいた翼人が勢いよく起き上がったのだ。


「……ど、どういうことだ、全然苦しくないぞ! それに痛みも消えた!!」

「なんだって⁉︎ 奇跡だっ。ああ、神よ!」


人々の歓声と、安堵に泣き出した人の声が響き渡る。

止血のための布を片手に毒を消す薬湯を煎じていた薬師達が呆然と彼女を見つめていた。

怪我人を収容していたはずの場所には、今や怪我人と呼べる者は誰もいない。

白精霊師は感動して群がる人々を優しく抑えながら、薬師に代わり、治療後の注意を促していた。


「血が止まっただけで流した血が戻ったわけではありません。きちんと休んで栄養のあるものを食べてください」

「はい、今は小麦もありますから大丈夫でしょう。本当にありがとうございます」


羽の種類に関係なく、皆が頭を下げて感謝の言葉を口にする。

そこには満身創痍の状態であった狩人達も含まれていた。


調子のいいこと。

白精霊師はフードの下で唇を歪めた。


「私はお役に立てましたかしら?」

「もちろんです! ここまでしていただいて感謝しかありません!」

「……そうですか、それはよかったです。」


そう応じる声は、どこか悲しみに満ちていた。



ーーーーーーーー


治療が終わった白精霊師が広場へ戻ると、何やら揉めている声がした。


「どうしたの?」

「あれだけ精霊師のお二人にタダ働きさせておきながら、まだタンガを賢者とは認めないって言うんです」


ルオは心底呆れたという表情を隠さずに深くため息をついた。

私が治療に向かったあと、管理者は命知らずにもアレク様に食ってかかったそうだ。


お前は何者で、誰の許しがあって狩人の邪魔をしたのかと。

そこでアレク様は自分がブンデンベルク辺境伯領の者であり、領主代行の権限を有する人物であること、白精霊師である私の上司でもあり、部下の身を守るために手を出したことを丁寧に伝えたらしい。

そのうえで、翼人の国から追放された蝶の翅を持つ者と賢者候補を保護していることを伝え、どういう状況が起きているのか原因を調査しにきたのだとも伝えた。

それに対して管理者はこう答えたという。


狒々を退治したことについて、感謝するつもりなど全くない。

頼まれてもないのに勝手に手出しをしてきたのはアレク様のほうだから。

そして蝶の翅を持つ者と賢者候補を追放したのは役立たずだからであり、保護したのはそちらの勝手にしたことだ。

我々には我々のやり方があり、他国に口出しする権利はない。

またタンガは精霊術や精霊師がどうとか調子の良いことを言っているが、蝶の翅を持つ者が実際に目の前で成したわけではない以上、彼らが有用であるとは認められない。

元々、タンガは資格を失ったものとして翼人の国から追い出すことに決まっている。

賢者候補やアレク様達が勝手に翼人の国へ侵入した罪は、狒々を退治した事で帳消しにしてやるから、むしろ感謝して欲しいのはこっちだと云々。


……死にたいのかしら、あの人。


「アレク様相手に自殺願望でもあるとしか思えないわ、アレク様もよく我慢しましたね?」

「あの方は、むしろ面白がっていたよ。管理者自身が、あまりにも想定外のことが起きすぎて、もはや自分が何言ってるのかすらわからないような状態なんじゃないかな?」


気がおかしくなりかけている人間に手を出すのは、面倒なんですけどね。

色々思い出したのか、ルオは遠い目をした。

賢者様が亡くなってから今まで、タガの外れたような彼らに相当振り回されて苦労しているからだろう。

ちょっとだけ同情するわ。

しかも追い出したくてたまらない管理者と取り巻きが強気に捲し立てる背後では、不安に怯える他の翼人達がこちらをチラチラと見てくる。

私の力の有用性を知った今は失うのが惜しいといったところか?

さんざん馬鹿にしていたくせに、調子のいいことね。

苦笑いを浮かべながら支配する側とされる側の思惑がすれ違う、混沌とした場に一石を投じた。


「戻りましたけど、このあとどうしますか?」


振り向いたアレク様とタンガは、にこやかな表情で私を手招きをした。

色々面倒になったようで、計画の大幅な変更を指示される。


「もう、バラしてもいい頃合いじゃない?」

「正直、ここまで頭が固いと思わなかったんですよ。話し合いで解決しようとした我々が間違いでした」

「わかりました、例の最終手段っていうやつですね!」


まあ皆さん、さっきから蝶の翅を持つ者ではないっていう点に異常なほど固執してますもの。

聞く耳を持ってもらいたいから辺境伯領所属白精霊師だっていう設定にしたけど、自分達が追放しておきながら蝶の翅を持つ者がいないと現実を受け入れられないというのなら望み通りにしてあげましょう。


さあ、とくとご覧あれ。


私は顔がよく見えるように、目深に被っていたフードを外した。


「お久しぶりです、翼人の国の皆様!」

「レ、レンカ!」


管理者や取り巻きの翼人達が目を見開く。

怒りに震える指先で、管理者は私を指差した。


「罪人が戻ってきたぞ、こいつを今すぐ殺すのだ!」


どこまでも自分本位な管理者の視線の先にいるのは、先程怪我を治してあげた狩人達。

……煽っておきながら決して自分の手は汚さないのね。

狩猟長は私の治療を拒否して自宅に戻ったそうだから、ここに彼の姿はない。

私はにこやかに笑って鷹の羽を持つ者達に手を振った。

ローブに気がついた彼らの顔色が一気に悪くなる。


さあ首領のいない今、あなた達はどっちを選ぶ?

私は彼ら一人一人に目を合わせながら言った。


「怪我が治ってよかったですね? 薬師の治療に任せていたら手当が間に合わなくて死んでいましたよ」


狩人達は呆然とした表情を浮かべている。

何のために憎い敵を治療するような真似をしたのか。

それは精霊術の有用性を示し、蝶の翅を持つ者の価値を高めるため。

そして彼らに現実を思い知らせるためだ。


ひどい怪我をすれば死に至ることもある。

薬師ですら救えなかったあなた達を救ったのは、私。

誰だって、死にたくはないものね。


職業柄、若者の多い狩人達は思考もそれなりに柔軟。

結果として、狩人達は揃って管理者から視線を外した。


「お、おまえ達! 自分が何してるのか、わかってやっているのか⁉︎」


わかってやっていますよ?

だって彼らは命が一番大事だもの。

うろたえた管理者の声に、狩人達の中から一番年嵩の者が歩み出る。


「ひとつ聞きたいのですが、俺達が怪我で苦しんでいた時、あなたは何をしてくれましたか?」

「そ、それは……いつも小麦を多めに渡してやっていただろう⁉︎」

「間接的には助けてくれていたのかもしれない。だけど彼女は……彼女の精霊術は、血を止めて傷口を塞いでくれたんです。それだけでなく俺達の折れたり千切れた翼を飛べるまで治してくれた。彼女は翼人の誇りである羽を修復することができるのです。あなたに、それができるのですか?」

「……」

「今やあなた達は大切な食料である小麦すらまともに育てられない。そんなあなた達が、彼女より役に立つことって他にありますか?」

「……お、おまえっ」

「この国の食糧事情は悪くなる一方だ。今のままでは早晩、国は立ち行かなくなるでしょう。それでもあなたに逆らうことが罪だというのなら、家族や仲間を連れて俺達はこの国を出て行きます。後はどうぞ、ご自由に」


彼らは揃ってタンガの後ろに回る。

彼につくという意思表示らしい。


先ずは鷹の羽を手に入れた。

私は赤く色づいた唇に指先を添えて、ほくそ笑む。


さて、次はどちらの羽にしようかしら?


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