それはずいぶんと都合のいいお願いですわね!
「どういうことだ⁉︎」
そう言って管理者はタンガに詰め寄り、狩猟長は白い背中を睨みつける。
タンガは二人を視界におさめながら微笑んだ。
「お気づきですか? まるで蝶の翅を持つ者達と同じ動きでしょう? あれが王国の人々が操るという精霊術による飛行法です。精霊に祝福を与えて風を掴み、重力を抑制して地に舞い降りるらしいですよ」
「精霊術、だと? そんなもの、賢者様からも聞いたことがないぞ⁉︎」
「あれは元々、資質がなければ使えないのです。資質のない翼人には不要な知識と判断されたのでしょう。」
「我々に資質がないのなら、蝶の翅を持つ者達には尚更無理じゃないか!」
「さあ、どうでしょう? それは、これから起きることを見てからご判断ください」
タンガは片手を軽く上げて合図した。
合図を受けた精霊師は白いローブを翻して畑のそばへと歩み寄る。
そして膝をつくと、小麦の苗に愛おしいとでもいうような仕草で優しく触れた。
手が触れた小麦の苗はまるで息を吹き返したかのように艶を取り戻し、風もないのに元気よく身を揺らす。
「まさか、触れただけで小麦が元気になっただと?」
さわさわ、さわさわ。
人々には、揺れる苗がまるで再会を喜んでいるかのように見えた。
「なんだ、あれは……まるで人と話しているかのようじゃないか」
「精霊術には動植物や鉱物といった通常は干渉できない存在に干渉するものがあるそうです。たとえば動植物の病を癒やしたり、食糧となる穀物に活力を与え元気にさせることもできるそうですよ?」
「……」
「ちなみに精霊術を使うには特別な力をが必要で、力さえあれば意識して精霊術を使わずとも植物の成長を促したり、苗の病気を防ぎ、収穫量を増やすこともできるそうですよ。……おや、どこかで聞いたことのあるような話ですね?」
「植物の成長を助けて、病を防ぐ……」
「蝶の翅を持つ者が手掛けた区画は病気になりにくく収穫量が多いのは、よく知られていましたが?」
「偶然だ! 蝶の翅を持つ者にそんな大それたことができるわけがないだろう!」
「まあ、見ていてくださいよ。思い当たる節は他にも色々ありますから」
余裕があるタンガと逆に、管理者はだんだんと不安になり顔色を悪くした。
思えば蝶の翅を持つ者達を追放してから一ヶ月が経つ。
すでに小麦畑は壊滅状態であり、以前にも増して不作に拍車がかかっていた。
それでも唯一残ったのが今目の前にある辛うじて小麦畑だと呼べるもの、だ。
管理者は、この場所が蝶の翅を持つ者の手掛けていた区画だと聞いている。
そして少し前まで収穫ができていた畑も、ほとんどが蝶の翅を持つ者達が世話をしていたものだ。
蝶の翅を持つ者がいたからこそ、土壌は肥えて豊かな実りがあった。
そして不作の始まった時期にあった出来事といえば……。
レンカの国外追放?
今までは単なる偶然だと思っていた。
だが、もしタンガのいうことが当たっていたら?
以前と同じ収穫量を取り戻すことはないということになる。
管理者に群がる取り巻き達も同じことを想像したようで一様に顔色が悪かった。
「皆様、静粛に。それではまず土地に祝福を与えます」
張り上げたわけでもないのに、精霊師の声がはっきりと皆の耳に届く。
しかもローブ越しに聞いているとは思えないほど、明瞭に頭上から響いたのだ。
通常ではあり得ないことと気がついた狩猟長は明らかに機嫌を悪くした顔で吐き捨てた。
「まさか、声がはっきり聞こえるというこの現象も精霊術だというのか?」
「鋭いですね、そのとおりです」
「勘違いするなよ、褒めていないからな? 他人の体に怪しい術なんぞかけやがって、気分が悪い」
「それこそ誤解です。これは空気を震わせることで声を拡散する術式だそうですよ? 人体に影響を及ぼすものではないそうです」
タンガ自身も経験して、無害なことは実証済みだという。
「そう言われても、最初は驚きますよね」
そう軽くいなしたタンガは白い背中から視線を外すことはなかった。
彼の瞳に宿るのは、深い信頼。
……ずいぶんと信用しているのだな。
翼人よりも下界の住人を重用するような態度に腹が立って、狩猟長は皮肉げに唇を歪めた。
よくよく見れば、ローブ越しでもわかるくらいに彼女の細い腰やすらりとした肢体は艶かしい。
もったいぶってローブで隠しているがさぞかし美人なのだろう。
欲に塗れた視線で精霊師を一瞥するとタンガを嘲笑った。
誇り高き翼人のくせに下界の女に誑かされたか、情けないことだ。
「あの女とずいぶん親しいみたいだな? どこでどうやって知り合った?」
「周辺地域を調べ尽くしたので辺境の地に戻ってきたところ、たまたま目の前で披露された彼女の力の一端を垣間見ました。精霊師と精霊術に関する知識はすでに持ち合わせていましたから、その場で彼女と蝶の翅を持つ者のできることと照らしていったのです。その結果、合致すると判断し、雇い主に申し出て本日の同行を許可されました」
言葉に詰まるかと思いきや、タンガはスラスラとそう答えた。
狩猟長は至極普通の回答に拍子抜けした。
こいつ、下界まで何しに行っていたのか?
タンガからすれば不本意この上ないのだが、翼人の国の人間は賢者候補は下界では遊び歩いていると思っていた。
実際は下界の暮らしは日々目まぐるしく変わるため、浮いた話どころではないのだが実態を知らないからこその認識の差は一生埋まらないだろう。
狩猟長の視線の先でタンガは懐にしまっていた手帳を取り出し、その表紙を嬉しそうに見つめていた。
狩猟長は、タンガがその手帳に蝶の翅を持つ者達に聞き取ったことを書きつけている事を知っていた。
蝶に囚われて愚かなことだと陰で笑っていたのだが、無駄にはならなかったということか?
この国から追い出した、何の役にも立たない蝶翅を持つ者達。
そういえば、その中でも際立って生意気で疎ましい存在であったレンカからも彼は聞き取りをしていた。
自分達を見つめる、あの女の冷ややかな瞳の色を思い出す。
役立たずのくせに我々を見下すなど許せない。
泣いて縋りつくような愛嬌があれば、それなりに可愛がってやったものを……。
腹立たしいことに、容姿だけは極上の部類に入る娘だったからな。
それにこの男も気に入らない。
自分から進んで下界の住人と馴れ合うなど性根が腐っているのではないか?
咎めようと口を開くも、ざわりと揺れた場の空気に、浮かんだ言葉が飲み込まれる。
「土が……、土壌が戻っただと!」
そんな、馬鹿な!
悲鳴にも似た管理者の声に足元を見て驚愕した。
ちゃんと土の色をしているじゃないか!
狩猟長は自分がかつては小麦畑であった場所に立っていることを知った。
さきほどまでは灰色の岩盤を踏みしめていたはずなのに。
見渡す限りかなり遠方まで、茶色い地面が続く。
はっと思い出して畑の様子を見ると、先ほどまで項垂れていた麦の穂が生き生きと揺れていた。
……なんということだ、これなら今までのように小麦が育つのではないか?
「良質な土壌を再生しました。ここに種を植えれば、あとは水を与えるだけで小麦は育ちます」
精霊師の女はローブの内側から、さらりと言った。
水を与えるだけで育つ、その台詞には皮肉が混じっていることを、どれだけの翼人達が気がついただろうか?
小麦の育つ環境が戻ったということで、人々は歓喜の声を上げる。
これでもう飢えることはないと安堵し、誰もが喜びに満ち溢れていた。
だが対象的に管理者は顔面を青くする。
良質な土壌が戻ったことは素晴らしい。
だが小麦を植えようにも、種がない。
すでに備蓄のほとんどを食糧として食い尽くしてしまったからだ。
あとは目の前にある残された畑の小麦しかないとは、どうしても言えなかった。
だから管理者は賭けに出たのだ。
「ふ、ふん! その程度の力しかないのに、ずいぶんと偉そうな態度だな!」
周囲の翼人達が勢いよく振り向いて、彼を凝視する。
衆目を集めたと知った管理者は、思惑を気取られぬよう堂々と胸を張った。
その程度のこともできなかったくせにそこまで言う資格があるのか?
そんな翼人達の声が聞こえてきそうな視線を跳ね返すように、管理者は人々を威圧する。
だが従う立場にある者は、どちらに従うほうが利口かを無意識のうちに判断するもの。
この白いローブの人物が翼人達にはない未知の力を有していることは一目瞭然だった。
そして彼女と協力関係を築くタンガの方に利がありそうだとも……。
泥舟に乗りたくない者は少しずつ管理者と距離を置いた。
そうして管理者とタンガの形勢は逆転していく。
管理者の言葉を聞いた精霊師は、驚いた様子もなく首を傾げた。
「あら、ご期待に添えなかったようですわね? ではどのようなことをお望みでしょう?」
「この畑に収穫できる状態の小麦を今すぐに生やせ」
「まあ……それはずいぶんと都合のいいお願いですわね!」
「この畑に小麦を育てることぐらい、時間をかければ我々でもできることだ。祝福だの精霊術だのと偉そうに自慢するのなら、我々にできないことを見せるべきだろう!」
一見すると、まともな意見にも聞こえる。
だが、現状を知る者からすれば見ず知らずの他人に食料問題を丸投げしたしただけだ。
そこかしこから冷ややかな視線が注がれているのにも関わらず、それをまるっと無視した管理者は内心でほくそ笑んでいた。
もし本当に生やすことができれば豊かな実りが手に入る。
そうなれば、今までの備蓄分がどれだけ残っていたかなんて誰も気にしないだろう。
頭を悩ませていた問題が有耶無耶にできる予感がして、歓喜に震えていた。
もし生やすことができなければタンガを追放できるし、いい事ずくめだ!
躍り上がるような内心を隠して管理者は小馬鹿にするような口調で嘲った。
「あれだけ大口を叩いて、まさかできないとは言わないよな?」
ローブの人物は一瞬考え込むと、滑るように管理者のいる場所へと歩き出した。
自然と人垣が割れ道ができると、その道を堂々とした態度で歩いてきた精霊師は管理者と向き合う。
向かい合ったとき、ローブに隠れて女がふっと笑いをこぼしたような気がした。
なぜか背筋にゾクリと悪寒が走る。
フードに隠されているから表情はわからない。
だがなぜか、ものすごい悪手を選択してしまったような不安にかられる。
……そんなバカな、これ以上ない良案のはずなのに?
「では、できたとしたら……代わりに私のお願いを叶えて下さいますか?」
「こちらが望みもしないのに押しかけてきた分際で、お願いとは厚かましい!」
「ではこれまでということで。証とするにはこれで十分でしょう、ね、皆様?」
陽光に白いローブを煌めかせて、彼女は周囲を見回す。
土が戻ったのだ、小麦の種を植えればまた収穫できる。
これで飢えることはなくなったと、喜びに浮かれて翼人達は皆大きく頷いていた。
管理者は慌てて止める。
これはまずい、まずい展開になりそうだ!
「わかった、ならば何を望むのだ⁉︎」
「タンガ様を賢者として認めてください」
「は? だが、それでは……」
「蝶の翅を持つ者は私と同じことができる、それを証明するために私は呼ばれましたの。これから成すことを含めれば実績としては十分でしょう? それを認めてくださらないというのなら、このまま何もせずに戻りますわ。自分達にもできるというのですから、実りは皆様の手でどうにかなさってくださいな」
「そ、それは……わかった、認めよう」
「承知しました。それでは皆様、土のある場所から離れていただけますか?」
現状、土壌があるところに小麦を植えるとすれば以前の畑の規模と比べると七割から八割といったところか。
ただ、そこから無事に収穫物が得られれば小麦の量は何倍にも膨らむ。
上手く運用すれば管理者としての地位は当分安泰だから、その間に次の手を考えればいい。
食糧である小麦の管理を任されている以上、誰も俺には逆らえないからな!
今回だけは受け入れたふりをして、賢者にさせる前にタンガを追放してしまえばいい。
結局は、俺が勝つのだ。
内心でほくそ笑む管理者のまえで、何も知らない精霊師の女は美しい手を天にかざした。
「無から有を生み出すことは神の領域。いかな精霊術であっても神の領域を侵すことは許されません。ですから今回は実りあるところから種をお借りしましょう」
ザザザザザザ……!
遠方から、擦れるような音とともに何かが近付いてくる。
「あれは……蝶か?」
ひらひらと舞う野生の蝶。
その蝶に導かれ、小さな粒子が風に乗り畑の上空へと到達する。
そして粒子が雨のように降り注いだ。
降り注いだ粒子が種であることに気がついた人々は騒然となった。
「小麦じゃないか!こんなにたくさん、しかも質の良いのものを一体どこに隠していたのだ⁉︎」
飢えかけている翼人達はギラギラと目を光らせて小麦の粒を得ようと畑に殺到する。
「隠していたなんて失礼な、借りるって言ったでしょう⁉︎」
呆れたような声とともに、地表を強烈な白い光が包み込んだ。
痛いほどの光に晒された人々は目が眩み、一瞬動きが止まる。
そして閉じた目を開くと、小麦畑には黄金色の麦の穂が嬉しそうに揺れていた。




