その日、翼人の国が揺れた
その日、翼人の国が揺れた。
「今の音は何だ!!」
平穏の眠りを覚ます轟音が人里離れた山の中から響いたことが全ての始まりだった。
男達は武器を携え、音のした方へと駆けつける。
害獣の襲来か、崖崩れか、それとも……やがて目にした周囲の景色から音がした方向にあったものを思い出す。
「この先にあるのは……賢者の洞窟」
「まさか……だがあの穴は厳重に塞いだ。別の場所ではないのか?」
管理者も狩猟長も揃って首を傾げる。
そして半信半疑で洞窟のまえにたどり着いたとき、男達は目の前に広がる光景に呆然とした。
「大穴が、開いている⁉︎」
大の男が何十人もかかって運んだ岩や砂利は跡形もなく吹き飛ばされていた。
それだけでなく、かつての穴よりも一回りは大きく開いた出口が禍々しい雰囲気を醸し出す。
呆然とする人々のまえで、洞窟の奥から次々と人が姿を現した。
まずは追い出したはずの賢者候補達。
そして列の最後尾を歩く男の顔を見て、誰もが信じられないとばかりに叫んだ。
「お前は……タンガじゃないか、なぜ帰ってきた⁉︎」
「ひどいな、まるで帰ってこないほうがよかったみたいな言い方じゃないですか」
タンガは苦笑いを浮かべる。
思わず本音が出てしまったと、声を上げた管理者は慌てて取り繕った。
「な、なにを言う、おまえがなかなか帰ってこないのが悪いのだ!」
「期間は三年、期限まではあと十日残っています。問題はないでしょう?」
「ふん、だが一足遅かったな」
「なぜです?」
なにも知らされていないのかと、管理者はニヤリと笑う。
付き従う部下や狩猟長も嫌な笑いを浮かべた。
「おまえの課題は蝶の翅を持つ者の活用法、だったな。残念だが、この国に蝶の翅を持つ者達はいない! お前が帰ってきたとしても彼らがいなければ証明はできないだろう? がんばって戻ってきたようだが、おまえはとうに賢者になる資格を失っているんだよ。レンカのこといい、今回のことといい、どこまでも間抜けで情けない男だな、君は!」
タンガを嘲笑する笑い声が響く。
彼は賢者候補の筆頭だ。
賢者という地位に見合う能力と情熱もある。
正直なところ、国の上層部にとって邪魔だった。
管理者や狩猟長が蝶の翅を持つ者達を追放したのは、彼を賢者にさせないためでもあった。
努力が実ったと、彼らはほくそ笑む。
だが明らかな嘲笑をむけられても、タンガは小さく肩をすくめただけだった。
「蝶の翅を持つ者がいないから、何なんです? 私の課題は蝶の翅を持つ者の活用法を見つけることだ。根拠となる理論さえ見つけることができれば課題は終わっているのですよ。非常に残念ですね、国を導く立場である皆さんがその程度のことにも気がつかないなんて」
そう、こうなりそうなことは賢者にとっては想定内。
妨害を想定しながら達成できるような課題を決めているということだ。
「なっ、バカにしているのか!」
「まあ、たしかに証明させない方が皆さんにとっては都合がいいでしょうから賢明な判断ではありますが?」
「どういう事だ…?」
「このまま大人しくしている方が皆さんの傷は浅いでしょうという意味です」
表情を変えることなく、タンガは言い切った。
今更何ができる!!
男達は、一斉に笑い声を上げる。
翼人の食糧という命綱を握る彼らに逆らう者はいない。
そんな状況で何ができるかと、完全に舐めてかかっているからだ。
「そこまでいうのならいいだろう、皆の前で盛大に恥をかくがいい!」
管理者はそう言って人々を集めるようにと部下へ指示を出す。
タンガは導かれるようにして中央部へと歩を進める。
そこでタンガは振り向いた。
管理者と狩猟長と視線を合わせる。
「これから色々想定外のことが起きますが、それは事前にご承知おきくださいね。」
「はっ?何をする気だ?」
「ここまで舞台を整えてくださったのですから、余興は必要だと思いませんか? それとも今更ですが中止しましょうか?」
「まさか怖気付いたとかじゃないだろうな⁉︎」
「いいえ、全く。ですが余興を披露する前に皆さんには事前の告知は必要と思われましたので」
「そこまでいうのなら、やってみろ!できませんでしたとか言ったら、そっちこそ覚悟してもらうぞ⁉︎」
「もちろん、その覚悟です。ですが全てを承知の上で私をここへ連れてきたという言質は取りましたからね」
タンガはニッコリと微笑んだ。
その温度を感じさせない笑顔に不吉なものを感じて狩猟長や管理者は、若干顔色を悪くする。
だが今更、中止にしろは言えない。
それこそ怖気付いたと思われる。
だから二人は余裕を装って馬鹿にしたように鼻を鳴らすだけだった。
タンガは聴衆を見回すと、やつれた顔をしている両親や泣きそうな友人達の姿を見つける。
心配をかけてきたのだと、あらためて思い知らされた。
彼らには色々思うところはある。
でも実際に顔を合わせれば、浮かぶのは再び会えた喜びだった。
あなた達の望むものとは違うけれど、これが俺の出した答えです。
タンガは彼らに微笑んでから、聴衆へと語りかけた。
「私が賢者様より出された課題は蝶の翅を持つ者に何ができるのかということでした」
盛り上がっていた場が、一気に静まり返る。
彼らになにができようとも、全員国を追われた今、タンガの持ち帰った実績にはなんの意味もない。
諦めにも似た虚無感が会場を包んでいた。
管理者と狩猟長はニヤリと笑った。
……これでこいつも終わりだ。
だがタンガは、冷静に彼らを観察していた。
蝶の翅を持つ者と聞いたときの、人々の反応は三種類。
困惑と悔恨、そして嫌悪。
役立たずと呼ばれた彼らは、翼人の国の闇だ。
こんな悪夢など早く終わらせてしまおう。
「それでは協力してもらう方をご紹介いたします」
「は?」
呆気に取られる翼人達。
タンガは誰もいないはずの空間に、そっと手を差し出した。
その手に、突如現れたしなやかな指先が添えられる。
ざっと翻る見たこともない白いローブ。
そこにはいなかったものが、突如姿を現したのだ。
そのことに驚愕した聴衆だったが、やがて現れたローブが人型を成していることに気がついた。
どうやら豪奢な金糸と銀糸の刺繍で彩られたローブをまとっている人間らしい。
その人物は同じように金銀の糸で刺繍されたフードを深く被り、顔を隠している。
ローブの人物は胸に手を当て、ローブの端を摘みむと軽く膝を折った。
動きに合わせて、ローブの金糸と銀糸がきらきらと陽光を弾く。
そこはかとなく品格と優雅さを感じさせる仕草は、どうやら挨拶らしい。
この人物は明らかに自分達とは違う教育を受けている、それだけは彼らにもわかった。
すっと背を伸ばし、清廉とした凛とした佇まいは、まるで古より伝わる白き鳥のようだ。
優美で洗練された立居振る舞いとともに、翼人達の視線は釘付けとなる。
問うような視線を受けて、誇らしげにタンガは口を開いた。
「この方は洞窟の出口がある国、ワムシャリア王国のブンデンベルク辺境伯領所属の白精霊師です。調査を進めていく過程で、精霊術の知識を持つ方と知り合い、教えを乞いました。その結果、蝶の翅を持つ者の特性から、精霊師ならば同じことができると判断し、実際に何ができるのかを皆に見てもらうためと同行願ったのです」
「なっ、勝手に他所者を入れたのか!」
「それはあなた達が勝手に蝶の翅を持つ者を追放したからでしょう」
お互いさまだと言わんばかりの冷ややかな声が、場の隅々まで届く。
管理者と狩猟長はぐっと言葉に詰まった。
「私だって本当は、この場で蝶の翅を持つ者に実演してもらいたかった。その機会を失わせたのはあなた達です」
「だからって、他所者を入れていいという理屈にはならない!」
「百の論よりも、一回実地で見てもらうほうが理解しやすいからですよ。この場には子供だっているのです」
「ペラペラと反論ばかりしおって……若造が生意気なっ!」
真っ赤な顔をした管理者が歯軋りをする。
だが、その隣に立つ狩猟長は鼻で笑う。
「まあいいじゃないか、やらせてみれば。どうせ下界の人間にたいしたことなんてできはしない」
「……それはそうだが」
「効果が期待できなければ責任を取らせてタンガを追放すればいい。他の賢者候補とまとめてな。それなら、誰の文句も出ないだろう」
狩猟長の視線が鴉の羽を持つ者達に向く。
賢者候補を追放してから彼らからの風当たりが強くなって頭を悩ませていたのだ。
「……ふん、それもそうだな。じゃあ、やってみせろ」
管理者は口を開くこともなく、顎でやれとばかりに指示を出す。
傲慢にもほどがある。
タンガは憤ったが、顔には出さない。
なぜならこれから起きる事で受ける彼らの衝撃を考えれば瑣末な事だから。
こちらを侮れば、それだけ自分の傷口が広がるだけだというのに呑気なものだ。
馬鹿にしたように囃し立てる翼人達に、タンガはにこりと笑う。
「それでは実証しましょう。場所は……あの麦畑にしましょうか。」
タンガの指先には、立ち枯れそうな麦の並ぶ畑があった。
最後に残されたわずかばかりだが命が残る区画。
管理者は驚愕した。
あれを失えば今期の収穫数はゼロになる。
それではさすがに彼の責任が問われるだろう。
「何をする気だ⁉︎」
「蝶の翅を持つ者に、何ができていたのかを実証するのですよ。」
「ダメだ、ダメだ!あの実りが失われれば、今期の収穫が……我々に飢えろというのか⁉︎」
「備蓄があれば最低でも三年間は飢えることがないはずですよね?」
「それは、その……」
「……色々と突っ込んで問い詰めたいことはありますが、今は黙ってご協力いただきたい」
そうでなければ、都合の悪そうなことをバラすぞ?
タンガは言外に無言の圧力をかける。
さすが賢者候補の筆頭と呼ばれるだけあるというもの。
わずかな会話で管理者にとって知られたらまずい裏がありそうだと薄々でも察したらしい。
今調べられたら、間違いなく破滅する。
「ご理解いただけますね?」
一歩も引くことなく、微笑んだ。
全く笑っていない瞳で見つめられて、管理者の背中に冷たい汗が伝う。
結局、折れたのは管理者の方だった。
人々が不安そうに見守る中、タンガの指先が示した畑を白いローブの人物が見つめている。
そして胸に手を当て、裾を品よく摘みむと軽く膝を折った。
「……承知しました、皆様の望むままに」
ローブの奥から凛とした、それでいて耳触りのよい声が響く。
声から判断してローブの内側にいるのが女であるということだけはわかった。
彼女は摘んだ裾を、羽のように翻す。
そして弾みをつけるように虚空を蹴り上げた。
そして……軽やかな身のこなしだけで聴衆の上を飛んだのだ。
「羽がないのに、飛んでいるだと⁉︎」
信じられない光景を見せつけられて、人々は驚愕した。
彼女は群衆を避けるように飛翔して、目印となる場所の上空まで移動する。
背中に羽がないのに、どうやって?
呆然とする人々の目のまえでもう一度白いローブが煌くと、ふわりと軽やかに舞い降りた。
まるで翅と見間違えるようなローブの動きと煌めき、そして重力を感じさせない着地。
思い出すものがあって、人々の顔色が悪くなった。
蝶の翅を持つ者と同じ動きじゃないか。




