百獣の王と神の使い、強いのはどちらかしら?
「あなたが身寄りもなく国を出て不安だったからこそ、支えてくれた人が大切な存在となる事は理解できる。だけど、それは本当にあなたの本心なのでしょうか? 慣れない環境に振り回されて、別の感情を好意と勘違いしてはいるだけではないのか? それを貴女自身が一度見直すべき時ではないかと私は思います」
ルオの言葉は、一部正しい。
だけど全部が正しいわけじゃない。
「見直したからといって何が変わるの? 時間は巻き戻らないわ」
彼は私が国を追われるまで、どれほど苦しんだか知っている。
だが国を出てから辺境の地で、どれほど幸せであったかを彼は知らない。
「すでに失ったものを取り戻そうとする行為は無意味よ」
「ですが今のあなたにとって本当に大切なものが何なのかを過去と照らして見つめ直すことは無意味ではないでしょう? そしてレンカとして過ごした日々で得たもの全てが不要なのか見直すことも、冷静になった今ならできるはず。それこそが、亡くなられた賢者様が貴女に残した最後の助言に繋がるものと思えるのです」
ルオの言葉によって、賢者様から贈られた言葉が脳裏によみがえる。
正義に奢り、力を振りかざす事なく、時には悪しきものにこそ救いの手を。
それは翼人達にこそ必要だと、あの場に打ち捨ててきたものだ。
……言われた当人が忘れていたというのに、現場にいなかったはずのあなたが何でそこまで詳細に知ってるのよ。
過去を掘り返されたことに驚いたけれど、すぐに思い当たる節があって呆れたような表情を浮かべた。
「ルオ、あなたも本当はあの場にいたんでしょう⁉︎」
「さ、さあどうでしたか……どうでもいいことはすぐ忘れる質なんですよね、ははは……!」
悪びれることもなく笑い飛ばした彼を睨みつける。
本当に、忌々しい。
翼人の国に乗り込もうというこのタイミングで、どうしてそれを思い出させるのか。
怒りのままに振り上げた拳を思い切り振り下ろそうとしていたという、このタイミングで!
「それはあなたが翼人達と同じ罪を負う必要はないと思うからですよ」
悪意に同じように悪意を投げ返せば彼らと同じ。
そんなところに自分は堕ちたくないと綺麗なままで死のうとした、かつての自分の姿が脳裏に蘇る。
「……なら、あなたは何もせずに忘れろって言うのかしら?」
「いいえ。今の心理状態なら加減を忘れるということはないでしょうから、むしろやっちゃえっていう感じです。あの国の上層部は現状が受け入れられなくて、人の言うことをマトモに聞ける精神状態にはありませんからね。そういう人達には言葉は響きません。むしろ視覚や聴覚に訴えかけることが効果的だと思うのです。ハンナさんには、是非そういう方向で頑張っていただきたいと思いまして!」
もちろん、できますよね?
ルオはにっこりと笑った。
どこか腹黒さを滲ませる笑顔に目を丸くする。
さすが次期賢者候補の筆頭だけある、いい人っていうだけじゃないのね。
掴みどころない飄々とした彼の態度に、亡くなった賢者様の姿が重なる。
全く、上手いこと冷まされたものだわ。
私は深くため息をついた。
「タンガよりもあなたが賢者になった方がいいんじゃない?」
「それがなかなか難しくて……タンガさんがいなくなってから思い知らされました。というのも、人を纏めるには、それらしい雰囲気というものも大事なのですよ。タンガさんのカリスマ性とか行動力とか、そういうものに人は惹きつけられるし、タンガさんって人の上に立ちそうな雰囲気をしているじゃないですか!そういう見た目のわかりやすさも人を纏めるためには必要な資質なんです」
そういうものなのかしら?
彼曰く、残された候補はそういう意味で上手くいかなかったのだという。
たしかにルオは根は真面目なんだけど見た目は軽薄そうだし、残りの二人は誠実そうだが地味だ。
容姿の面ではタンガのような華やかさというか……無条件で人を惹きつけるような魅力はないように思われた。
「我々はあくまでもタンガさんのオマケなんです」
「頼りないわね、そのせいで蝶の翅を持つ者のオマケに追放されたなんて言わないでよ?」
「いやー、面目ない」
「追放されたわりには明るい……しょうがないわね、賢者候補の分もやり返せばいいのでしょう?」
「ええ、我々よりもあなたに潰される方が彼らには屈辱的ですから」
「派手にやっていいというなら協力して、それが条件よ?」
「もちろんです」
ルオなら賢者候補としてやり返す方法くらい、いくらでも思いつきそうだ。
けれど役立たずと追い出した人間にやり返されるほうが堪えるのは間違いない。
それを手伝うというのなら、拒む理由はないもの。
それにしても翼人を導く存在でありながら、ずいぶんとえげつない報復手段をとるものね。
「本当のことを言うと、私は翼人も嫌いですが賢者という仕組みも嫌いなんです」
あら、共闘できそうね。
「事情はわかったし、もういいかしら? 早く出発したいのだけど?」
「あ、あとついでに一つだけ!」
ルオはそっと私の耳元に顔を寄せた。
彼は中性的な可愛らしい顔立ちに、どことなく黒い笑みを浮かべていた。
「タンガさんは、今もあなたが好きですって」
「……は?」
「思うところがあって無理矢理聞き出しました。なんでも本人は好きだと気づいていなくて、ずっとあなたのことを戦友だと思っていたそうですよ? 笑っちゃうでしょう、周りには好きだってこと丸わかりだったのにね! だけどあなたを失って、ようやく彼自身気がついたそうです」
本当は、あなたを愛していたことに。
勢い良くタンガのほうを振り向く。
他の賢者候補と話していた彼は私の視線に気がついて、怪訝そうな表情を浮かべていた。
「ようやくタンガさんも制御できない感情があるということに気がついた。無駄に優秀で能力の高い人だから、愛情すら制御できていると思い込んでいたのでしょう。だからそれに気づかせてくれたハンナさんには感謝しているんです。一緒にそれも伝えたくて」
「なんでわざわざ言うのよ?……理解できたのなら、それはそれとして、別に私へ伝えなくてもいいじゃない?」
「でもこれであなたも自分の心がどちらの男性にあるか選ぶことができる」
「え、私が選ぶの?」
「よかったですね、今ならどちらを選んでも溺愛されそうだ」
邪気のない顔でルオは笑った。
彼曰く、権利と義務は社会において両翼。
どちらが欠けてしまえば、上手くいかなくなるのも道理。
たとえば蝶の翅を持つ者に義務だけを押しつけた翼人の国のように。
「一応、あなたも立派な大人の女性です。ならば遠慮なく権利を行使しなくては」
「一応とは失礼じゃない⁉︎ それにしても、権利ねえ……」
「私の認識だとあなたは権利を得るために、翼人ではなく人となることを選んだのでしょう、違いますか?」
思わず黙り込む。
そう、そのとおり。
全くそのとおりなのだが、私が行使したかった権利とは、もっと高尚なものではなかっただろうか?
こう、二人の男性のうちどちらかを選ぶという甘々な状況は想定していなかったのだけど?
「…………あのさ、なんか上手く丸め込もうとしていない?」
「やーだなぁ。だってあなたが選べば、この問題は平和的に解決するでしょう? 男同士を競わせると面倒なんですよ。どういうわけか拳で語り合うような血みどろな展開になるのです。もう正直そういうのは飽き飽きなんですよ!」
隣に立つルオが、いつの間にか闇を背負っている。
ブツブツと呟いて、目から光が消えていた。
ちょっと、何があったのよ⁉︎
「ねえ、ハンナさん……どうして仲裁しようとしたら俺が殴られるんですかね? 男同士、拳で語り合うって響きはいいですけど、何のために口と脳みそっていう器官があるんですかね? 普段は無駄に口が回るくせに、肝心な場面では頭使わずに筋肉使うなんて何の役にも立たない首から上なんていらないですよね? どうせ使わないなら、いっそもいでやりたいと何度思ったことか……」
「それは……あなたもちょっと可哀想ね?」
なんでもルオは賢者候補として嫌になるほどそういう修羅場の後始末をしてきたらしい。
彼に同情する、同情はするが……とっても胡散臭い。
生ぬるい視線を向けると、ルオは笑って誤魔化そうとしていた。
取ってつけたように、今更人の良さそうな笑顔を浮かべても無駄よ。
間違いなく彼の思惑は別のところにある。
私は目を細めた。
ルオは、すっと視線を逸らす。
……うん、決まりだな。
「で、本心は? この期に及んで嘘ついたら承知しないわよ?」
「今は単純に君がタンガさんを選んでくれたらいいなって思っているだけだよ?」
なるほど、そういうことか。
賢者候補で幼馴染みだったタンガが賢者として翼人の国に戻る。
腐った国はタンガが建て直すから情に絆されて私が翼人の国に戻ってくれないかなー、なんて思っているのか。
ついでに精霊術も使ってくれたらうれしい、みたいな。
そんなに可愛く笑っても許さん。
いつの間にか言葉遣いも敬語が外れてるし、これが彼の本音で間違いないだろう。
「いやいや、そこまで深くは考えてないから。タンガさんは同じ賢者候補として切磋琢磨した仲だし、遅く咲いた恋心を応援したいという気持ちがあるのは間違いないよ? それにね、アレク様と結ばれることは簡単じゃないけれど、タンガとなら互いが望めば簡単に叶うとおもう。 だから仕切り直せばタンガさんにも芽があるかなーっと思っただけだから!」
「……ほう、仕切り直せば?」
「そう。だってあなたはアレク様の格好良いところは見てるだろうけれど、タンガさんがあなたのために努力する姿なんて知らないでしょう? あの人、好きな人の前では無様な姿を見せるのを嫌がる性格だから」
カッコつけ、なんですよ。
ルオの呆れたような声にハッとした。
たしかに、私はタンガが必死で努力する姿なんて知らない。
私の前では呆れるくらい器用だったし、元からなんでもできる人なんだと思っていたのだけれど……。
だから彼が……まるで身を投げうつようにして懇願したとき、想像した以上に驚いたのだ。
なんでこんなに必死なんだろうって。
翼人の国のためだけじゃない。
あれは、私を取り戻すためでもあったのか。
「一人前の男が、失ったものを取り戻すために尽力する姿には心動かされるものがあるよね」
ほろ苦く笑うルオの言葉に、私は深くため息をついた。
幼馴染みだからって、なんでも知っているわけじゃない。
だけど、これは堪えた。
私はタンガのよそ行きの顔しか知らなかったなんてね。
何にもわかっていなかったのはタンガだけじゃない、私もだ。
「翼人の国へ殴り込みに行くついでに、いい機会だからタンガさんが賢者として振る舞う姿を見てきなよ。もしかしたら惚れ直すかもよ?」
私は深々とため息をついた。
たかがこれだけの会話で、こんなに心乱されるなんて思いもしなかったわ。
「だからさっきは公平ではないと言ったのね。」
「そう。複数の中から選ぶ時は両方の良い点と悪い点を並べてみないと正しい判断はできないよ? 特に見えているようで見えない、人品はね」
本当、聞くんじゃなかった。
理由のわからないままに落ち込む。
そのとき、誰かがうしろから強く私の腰を引いた。
囲い込むように、そのまま胸元へと引き寄せられる。
頬に触れたのは、鬣のような金の髪だった。
「……彼女に何を吹き込んだ? ことと場合によっては許さんぞ?」
闘気に気圧されたルオが、ひゅうと息を飲む。
無意識のうちに彼の体が背後へと退がる。
抱え込まれているから、アレク様の表情は見えない。
けれど声からして紳士の仮面が綺麗に剥がれ落ちているし、ずいぶん怒っているみたいだ。
まるで縄張りを荒らされ怒り狂う金の獅子。
その腕を、軽く叩いた。
「何もありませんわ、アレク様。彼から翼人の国の現状を聞いていただけです。お待たせいたしました、さあ行きましょう」
誤魔化したのはルオのためだ。
私が迷っているからなんてことは決してない。
呆然としたルオをその場に残して、振り向くことなくアレク様と共に洞窟へと向かう。
入り口にはタンガを筆頭とした賢者候補と護衛の兵士が待っていた。
私の顔を見て、タンガが手を差し出す。
「足場が悪いから、手を貸そう。」
いつぞやのお返しのようね。
腰に据えられたアレク様の手に力が籠る。
視線を跳ね上げれば彼とアレク様が静かに睨み合っていた。
百獣の王と神の使い、強いのはどちらかしら?
ルオの目元と口元がニンマリと弧を描く。
……あの顔、なんでか腹が立つのよね。
思い通りにはさせない。
私は睨み合う二人の顔を平等に視界へおさめて微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます。ではお二人共、手をお借りいたしますね? それから他の方も空間の歪みに巻き込まれないよう寄っていただけますか? 念のため申し上げますが、私の支配下に収まらなければ術の反動で肉体を損います。特に賢者候補の皆様、今の場所では体の半分が欠けますよ?」
ルオと賢者候補達はギョッとしたように目を見開いた。
それから慌てて身を縮めて、体を寄せ合っている。
私がアレク様と手を繋ぐのは術者以外の存在を確実に支配下へと置くため。
ルオの思うような、男性がか弱い女性をエスコートするためだけではないのだ。
洞窟の入り口に集う賢者候補とアレク様の護衛として同行する兵士を包むようにして精霊術を編む。
アレク様には、できるだけ力を温存したいからと断りを入れておきギリギリまで絞る。
結果筋骨隆々とした兵士と、それなりに体格の良い賢者候補が狭い空間で肩身を寄せ合う羽目になった。
一見すると非常にむさ苦しい。
でも居心地悪そうに身を縮める彼らの姿がちょっとだけ可愛らしいと思った。
「大人を使って遊ぶんじゃない」
アレク様が軽く頭を叩く。
隣に立つタンガもこちらを軽く睨んでいたので首をかしげた。
……おかしい、私は何も言っていないのに?
「それで到着地点はどこへ設定するの?」
「前回、洞窟内に印を残していますので、そこを目印に転移します」
「ふうん、森を越えるのではないのだね」
アレク様の言葉を言い換えると、直線距離でということだろう。
派手さでいえばその方が効果的だが、上空を飛んで行くのは面倒だ。
こちらが領域を侵したように見えて、非がなくとも悪く思われてしまう。
転移して、領地内にいきなり姿を現せば驚くかもしれないが、それも同じ。
こちらに瑕疵がないのだから、正々堂々と帰ればいい。
「私はタンガが賢者となるため、蝶の翅を持つ者に何ができるかを証明するため協力するのです。賢者候補の皆さんが地上から戻る際は、あの洞窟を使われるのでしょう? でしたら手順通りに洞窟から帰りたいと思います」
「まどろっこしいことなどしなくても正面突破すればいいのに。どうせ彼らに勝ち目はないのだから」
「アレク様の力を使ってしまえば、勝負にならないから却下です。それに私の力だけで彼らの度肝を抜いてやりたいじゃないですか!」
転移程度でで、こんなに驚いてくれるのですもの。
ちらりと視線を投げれば、ルオを筆頭とした賢者候補達は展開される精霊術に言葉を失っていた。
過去に同じものを一度見ているだろうに、今更驚きすぎじゃないの?
「これが精霊術というものか」
「白の精霊術としては初歩です。これからが本番ですよ?」
呆然としたようなルオの言葉に、クスリと笑う。
精霊術とは、この程度で終わるような底の浅いものじゃない。
白精霊師である私を己が尺度で測れると思われるのは心外だ。
皆の立ち位置を確認してから術式を発動させた。
ぶわりと白い光が盛り上がり、弾ける。
……いってらっしゃい。
まるで手を振るように、芽吹いたばかりの小麦の芽がさわりと揺れた。




