エピローグ 帰り道の約束
「納得いかないなぁ」
「それはこちらのセリフですわ」
マリッタは私室の床にルドを転がし、絶対零度の眼差しを向けた。
ユニゾランドに大量の主蟲が発生してから三日。
未だに学園の授業は休講している。特に本校舎である古城の損傷が激しく、夜通しの復旧作業が続いている。
騎士団、警察隊から犠牲者が出た。民間人の重傷者も多数いる。ユニゾランドの建設以降、最悪の被害と言っていい。
「全部突発性の時空風のせいにして片付けちゃうんだね。あれやったのはエピカだよ? また隠蔽するんだ。七年前、シャルマーの一族が惨殺された事件もそう。隣空人との友好条約締結直後で、隣空人排斥団体が活気づいてた頃だったもんね。人類の王様は、国民の知る権利より隣空人に不利になる情報の隠匿を優先するってことか」
「元凶はあなたでしょう?」
ルドは手足を拘束されたまま、体をよじって笑った。
「僕はただ真実を教えてあげただけじゃん。それだけで罪に問えるの?」
「その判断はお父様に任せます。ただ、わたくしはあなたを許しません」
少し間違えばユニゾランドは壊滅、ミュータも死んだ。そうなれば〈維新電神〉の停止を余儀なくされ、ユニヲン王国と秩序そのものが瓦解するところだった。
ルドの身柄は一度王都に送還し、現王〈比翼連理王〉に預けることになった。一生幽閉しておいてほしいくらいだが、母親がそれを許さないだろう。マリッタは肩を落とす。
「僕だって許さない。つまらない理由で僕を王族からはじき出した王家も、大した歌唱力もないのに国民のご機嫌を伺ってアイドルやってる双子の姉も――ぐ!」
「もう黙っていなさい。誤って殺してしまいそうだわ。レキアス、この愚弟を隣の部屋にでも放り込んでくれる?」
「は……」
扉の前に控えていたレキアスが元気のない様子で指示通りに動く。
「どうしたの? そう言えば、リオウくんのお見舞いに行ってから様子が変だね?」
「怒られました」
ルドを片手で雑に担ぎながら、レキアスは眉尻を下げる。
「肝心なときに来ないくせに友達面するな、と」
「まぁ、それはそれは……」
あのとき、レキアスが蝶神のところに駆けつけていれば、一瞬で勝負はついただろう。例えドラゴンだろうが六大主蟲だろうが、地上最強生物の遺伝子を継ぐレキアスが遅れを取るはずもない。
結果的に、レキアスがシアンの護衛に着いたことでユニゾランドから主蟲が一掃され、被害は最低限に抑えられた。リオウだって分かっているはずだ。
昔からリオウは大人びていたが、レキアス相手には少し子どもっぽい対応をする。七年前、凄惨な事件現場から助けられ、騎士団在籍時には圧倒的な強さを見せつけられ、目の上のたんこぶなのだろう。
頑ななにレキアスの介入を拒否するのも甘えたくない心の表れなのだろうが、傍から見ていると十分に甘えているように感じる。
――彼も損な性格ですこと。
いつも貧乏くじを引いている。今回だってそうだ。
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病院は嫌いだ。
慣れ親しんだ匂いが漂っているが、研究室とは違い何一つ自由にできない。これで騒がしい大部屋だったら無理を押し通しても家に帰るところだが、マリッタ王女が用意した最上級の個室を無下に飛び出すわけにもいかない。
リオウは苛立ちを隠す努力もせず、舌打ちをした。
「…………」
エピカがドアの近くで所在なさげに俯いている。見舞いに来たと入ってきてから、一言も喋らない。気まずい沈黙のせいで主蟲に裂かれた脇腹より、胃の方がちくりちくりと痛む。
「……お前、これからどうなるって?」
仕方なく水を向けてやると、エピカは視線を泳がせた。
「明日、王国の研究施設に入ることになったわ。人類の科学で蟲客の体のこと調べてもらえば、今後こういうことがあっても対処できるかもしれないし……」
実はすでにマリッタの部下から報告は受けていた。正直リオウはその対応に不満がある。
「分かっているのか? それは実験動物になるということだぞ」
リオウには身に覚えがあった。法律にも人道にも反した実験を行う施設。かつて自ら志望して人体改造の被験者となった場所だ。おそらく同じ系列の研究所だろう。
今思えばあの人体実験もミュータを目覚めさせる研究の一環だったのだろう。ミュータの体は人類の細胞だけで構成されていないのに、副作用らしきものも出ていない。リオウが実験を受けてからも同じようなことを永遠と続けていたのだ。この王国の闇はリオウが思っていたよりもずっとずっと深い。
「ええ。あんな大参事を引き起こしてしまったんだもの。でもそのことは表には出せない。正式な裁判も受けられない。ただの禁固刑を受けるだけじゃ卑怯だわ。たくさんの人を傷つけてしまった……身を刻む以外に罪を償う方法を思いつかないもの」
主蟲たちとの契約は切れたが、これからも姫宮の血を宿している限り、主蟲に狙われ続けることに変わりはない。もう誰も傷つけないためにも収監されていた方が良い、むしろするべきだとエピカは納得しているようだった。
結局、何もしてやれなかった。せっかく姫宮の宿命から解放してやれたのに、エピカはまた檻の中で苦しむ道を選んだ。憎しみの的を自分にしていじめているように思える。
「リオウ……ありがとう」
「何に対しての礼だ」
エピカは悲しげに微笑む。
「全部よ。私をあのアパートに住まわせてくれたことも、いろいろと気を遣ってくれたことも、助けてくれたことも、憎まないでくれたことも、全部、感謝してるわ。こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど……あのアパートで過ごした日々は、楽しかったわ。それだけ伝えたかったの」
リオウが何も言わないのを見て、エピカは肩をすくめた。
「……そろそろ行くわね。表で騎士の人が待ってるから。もう会うこともないでしょうけど、どうか元気で」
エピカは病室から出ていこうと背を向ける。
何か言うべきことはないだろうか。
このまま別れて、本当に後悔しないか。
らしくない言葉が脳内を巡り、一秒が間延びしたように感じた。
「……また、会うこともあるだろ」
苦し紛れにそんなことを口走っていた。
エピカが驚いて振り返る。
「生きていればまた会える。オレにもミュータにも。……だから、まぁ、自分の体は大事にしろよ」
「それ、あなたが言うの? 全く説得力がないわ」
傷だらけの体を指摘され、リオウが二の句を継げなくなっていると、エピカはくすりと笑った。初めて見る年相応の憂いのない表情だった。
「そうね。いつか会えたら、そのときは……」
紫の瞳を伏せ、エピカは自らの唇を指でなぞる。
「……ううん。じゃあ、またね。あなたこそお大事に」
小さくはにかんでエピカは去って行った。
「……なんなんだ?」
すっきりしないが、今度会ったときに聞けば済む話だ。
リオウはため息をつき、窓の外に視線を移す。
今日も混沌としたマーブル模様の良い天気だった。
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帰り道を見失って体感で一か月、実際には五百年。
あっという間だったような気もするし、途方もなく長かったような気もする。
どちらにせよ、かけがえのない日々だった。
ミュータは小さな鞄にこの時代に来てから手に入れた私物を詰めてアパートを出た。壱角銃は内部の電子回路が全て焼け焦げてしまい、完全に壊れてしまった。しかし代わりの銃が欲しいとは思わない。
ユメエンジュの正体ははっきりと分からない。マリッタ王女にも聞いてみたが、彼女ですらその存在を知らなかった。
だが、ミュータには確信めいたものがあった。
壊れかけの数字が走る夢。ユメエンジュの長い髪の先にあるもの。そして、壱角銃を制御している神様は何か。蝶神を撃ち抜いた後に聞いた遺言めいたシエルの言葉。
彼女が本当に憑依していたのは、きっと――。
推論が正しければ、これから向かう先で再会できるだろう。それを思うと憂鬱は消え、旅立ちを晴れがましく感じるのだった。
――シエル……お前の遺したものにも会えるかな。
アパートの前の小さな通りに迎えの車が来ていた。
「お気をつけて、ミュータさん……」
見送りはシアンだけだ。リオウはまだ入院中で、エピカはもういない。二人とはすでに別れの挨拶は済ませていた。他のみんなには旅立ちのことは内緒にしている。
何せ今からミュータは王都にタイムマシンを壊しに行く。そしてエピカの処遇を何とか改善できないか国王に直談判すると決めていた。
心配そうなシアンにミュータは袖をまくって見せた。
「これ、ちゃんと持っていくから」
シアンにもらった赤い石が連なるブレスレット。あの地獄のような戦場から比較的軽傷で生還できたのだ。お守りとしての効力は証明済みである。
少しは元気になってくれるかと思ったが、シアンは寂しそうに俯いたままだ。こちらまで寂しくなる。
「シアン、俺、帰るよ」
「えっ?」
びくりと小さな体が跳ねた。じわりと青い瞳に涙が滲み始めているのを見て、言い方を最悪の形で間違えたと心の底から反省した。
「あ、違う。そういう意味じゃない。だから、その……」
そういえばリオウには伝えたが、いろいろあってシアンにはまだはっきりと明言していなかったことを思い出す。
ミュータは王都にタイムマシンを壊しに行く。そして、その後は。
深呼吸をして、ゆっくりと告げた。
「どれくらいかかるか分からないけど、王都でたくさんおみやげもらってくるし、ちゃんと連絡もする。だからここで待ってほしい。シアン、俺、お前のところに帰ってきてもいいか?」
「ミュータさん……っ」
感極まったようにぽろぽろと涙をこぼすシアン。たまらずミュータは華奢な体を抱き寄せた。
「俺、この世界で生きていくって決めたけど、やっぱり心細いからさ。そばにいてほしいんだ。年上なのに情けないけど……ダメか?」
ひっくひっくと、嗚咽を漏らしながら、シアンは答えた。
「……いいですよ。その代わり、絶対絶対帰ってきてくださいね」
「ああ。寄り道はしない」
シアンはそのまま腕の中でひとしきり泣いた後、眩いほどの笑顔を見せた。
「いってらっしゃい! ミュータさん!」
赤くなった顔を誤魔化すために混沌とした空を仰ぎ、ミュータは静かに告げた。
「いってきます」
これは、一人の少年が家への帰り道を探す物語である。
ユニヲン暦四九八年、四月三十日。
探し物は見つかった。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。




