37 七つの力は世界を救う
頭の内側から金槌で叩かれているような、体中の血管が裂かれていくような、心を握りつぶされていくような、激しい痛み。
エピカは度重なる主蟲の召喚と薬品の副作用により、心身ともに蝕まれていた。すでに主蟲を止める力は尽き、呼吸をするたびにじわりと絶望がこみ上げてくる。
――ごめんなさい。ごめんなさい……!
涙が口にこぼれ落ち、鉄の味と混じってさらに絶望的な気分になる。
「逃げ……て…………」
か細い声は届かない。
朦朧とした意識を、懐かしい旋律が繋ぎ止めていた。
トレヴィーの奏でる優しく美しい音色に、ふと昔の記憶が呼びさまされた。
母を亡くした後、エピカがまだ六歳だった頃だ。
ある夜、姉のエルゼアが神殿の窓から空を見上げ、物寂しげにこの曲を歌っていた。エピカは姉の膝にすがりつき、『姉様、私、このお歌好き。教えて』といつものように甘えた。
『そう。じゃあ、エピカ。お役目を代わってくれる? ねえ? 私の代わりになって』
その後エピカは大声を上げて泣いた。エルゼアの微笑みが恐ろしかったからだ。
ようやく思い出せた。かつてはエピカもエルゼアに全て押し付け幸福を貪っていたことを。
痛みが後悔となって波のように押し寄せてくる中、エピカは最後の力を振り絞り、起き上がった。
「エピカ?」
心配そうなミュータに淡い微笑みを向ける。
――でもね、姉様。私は、逃げない。
姫宮としての誇りを胸に、大切な友人たちを守ってみせる。
憎しみの連鎖も、新しい悲劇も、もう見たくないから。
「――――」
深く息を吸い、心に全てを委ねて歌を紡いだ。いつも口ずさんでいたフレーズの後のメロディも姉の記憶から引き継ぎ、ぎこちなくトレヴィーの演奏を追いかける。
直感的に理解した。
この歌は約束の証。
かつて始祖姫宮が六大主蟲との間に刻んだ魂の契約。それを忘れないよう、代々の姫宮から伝承されてきたのだ。
――私は思い出した。あなた達も思い出して。
姫宮が犠牲になる代わりに、人々を襲わないように主蟲に誓わせたこと。
その約束を反故にはさせない。
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主蟲たちが一斉に攻撃を止め、ざわめき始めた。
音の波紋がかすかに伝わってくる。力強く透明な波動に包まれ、ユニゾランドに渦巻いた不穏な空気が浄化されていく気がした。
――エピカさん……。
シアンは鏡で本校舎の様子を見ていた。エピカだけではない。そこに集った誰もが必死で戦い、絶望的な状況をひっくり返そうとしている。
――わたしも負けません!
全神経を研ぎ澄ませ、鏡から伝わる座標を捉えた。主蟲たちが混乱して動きを止めている今が最大の好機だ。今しかない。
【森羅万象を司る星の英知よ、宇宙を網羅し、導を刻め】
魔法陣を幾重にも展開し、その中に術式をびっしりと書き込んでいく。
頭に激痛が走る。鏡に触れた手に血管が浮かび上がり、青紫色に変色を始めた。
それでもシアンは魔法を紡ぎ続けた。
知識も熱も想いも魂も、何もかもをエネルギーに変えて。
【今、星降るときは来た……聖なる英知の光よ、愛する友を害する敵を滅せよ!】
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ミュータの瞳に光が飛び込んできた。
流星群が尾を引いて落ち、光の矢が主蟲たちに直撃し、無慈悲に粉砕していく。
最後の力を振り絞って歌っていたエピカがついに力尽き、ミュータの腕の中にふわりと倒れ込む。トレヴィーも演奏を止め、ヒュイもリオウも空を見上げて立ち尽くしていた。
「……シアン」
なぜだろう。この魔法を行使したのが誰か、分かるような気がする。
どくんどくんと鼓動が高鳴り続け、心臓はもういつ爆発してもおかしくなかった。
リオウの決意、トレヴィーとヒュイの助力、エピカの歌、シアンの魔法。
全てが重なって一つになる。
――ああ、シエル。俺は奇跡を見てる。
五百年前、激動の時代を生き、ユニヲン王国の基盤を築いたという妹に思いをはせ、ミュータはようやく答えを出せた。
――この世界は、この未来は、消せない。
この出会いを、奇跡の融合をなかったことにはできない。
「――っ!」
蝶神が吼えた。手下の主蟲たちは残らず墜落したが、蝶神だけは魔法の直撃を受けても宙に浮かんでいる。
二枚の翅が発光を始めた。湖を切り裂く威力を持った紫電砲をまた撃つつもりだ。
「さすがに逃げた方がいいんじゃね?」
「ふむ。もう間に合わないと思うがね」
ヒュイとトレヴィーのどこか間の抜けた会話を聞きながら、ミュータは剣を置き、代わりに壱角銃を手にする。そして心の中でそっと問いかける。
――俺は決めたぜ。選んだ。
白衣を血で染めたリオウが、槍を杖替わりにゆっくりと一歩前に出る。まだ諦めてない。まだ戦うつもりだ。
ミュータはエピカをトレヴィーに預け、壱角銃を握りしめたままそれに続いた。
「お前が死ぬと困るんだが」
「俺が死んでもこの世界は消えない。それに俺は死なねぇよ」
リオウが小さく笑った。皮肉混じりでも嘲笑でもない、穏やかな表情だった。
熱い。
手の平が火傷しそうだった。熱源は壱角銃だ。もうエネルギーが底をつき、動かないはずの電子銃がなぜこんなに熱いのか。
壱角銃が赤く点滅していた。
そのリズムは早く、ミュータの鼓動と同じ速さ、同じ強さだった。
「……お前も力を貸してくれるんだな。ありがとう」
誰にも聞こえない呟きを零し、ミュータは改めて前を見る。
リオウが大きく振りかぶり、弐角槍を投擲した。
蝶神はかろうじて避けたが、槍はその翅を突き破り、標本のように古城の塔に刺さった。
「弐角槍、最大出力!」
リオウの声に反応し、槍から強烈な電撃が走る。
蝶神が憤怒の声を上げ、一際強く翅を紫に輝かせた。
来る。
不安定なまま濃紫の光の球が直射された。
「…………っ!」
体中の熱が壱角銃に吸い込まれていく。
ミュータには信じることしかできない。
息を止め、引き金を引いた。
赤い光が弾け、銃口から飛び出していく。
それはあまりにも細い糸だった。視界が紫色に眩む。
『お別れだね、ミューくん』
耳元で声が響いた。
――ユメエンジュ! 何でそんなこと言うんだ!
夢幻のような儚さと温かさに涙が一粒こぼれた。
『大丈夫。また会える。何度でも会える。五百年に比べたらすぐだよ!』
ああ、そうだな。言いたいことも聞きたいこともたくさんあった。その全ては今度会ったときゆっくり話すことに決め、ミュータは一歩足を踏み出した。
赤い光線が鋭く走り抜けた。
紫の光がブドウのように弾け、蝶神の翅の上で炎が踊る。
同時にミュータの手の中の銃も炎を上げ、音を立てて床に落ちた。
「ミュータ!」
体中から力が抜けて、意識が白く染まる。ずっと昔、同じように死を覚悟した瞬間があったような気がする。そのときは走馬灯も見なかったが、今回は懐かしい声が聞こえた。
ごめんね、ミュータ。
こんな姿にさせてしまって。こんなことに使われて。
私は悔しい。死ぬほど悔しい。
まだ何も伝えられてない。私を地獄から救ってくれたこと、家族になってくれたこと、いつも助けて守ってくれたこと、お礼も謝罪もできてない。
だから、あんたを生き返らせることにした。
これが私にできる最大の罪滅ぼしだ。これで許されるとは思ってないけど、でも、せめて……。
どうかお願い、私以上に幸せになって。
誰かのために笑わなくたっていい。世界の贄になんかならないで。
私があんたみたいなお人好しにお似合いの、素敵な未来を創るから。
……でもさ、もし私の子孫が無能で失敗しやがったら、帰ってきてもいいよ。
そのためのタイムマシンも用意しておく。合わせる顔なんてないから、無理に帰ってこなくてもいいんだけどね。
私はそれなりに幸せだから心配しないでいい。
未来に夢を見ていられるなんて、科学者冥利に尽きるでしょう?
ねぇ、兄さん――。




