36 ラストステージ
蝶神が出現したとほぼ同時に、主蟲が活発さを取り戻していた。
地上にもう人はほとんどの残っていないのだろう。主蟲たちはシアン達の上空に終結し、視界を黒く埋め尽くし、耳に不快な羽ばたき音が這い寄ってくる。
「さすが最強の騎士だね。はは、すごいすごい」
隣で手錠に繋がれたルドが軽口を叩く。
レキアスが一振りの細剣で主蟲たちを切り刻んでいた。ひたすらに腕を動かし、ほとんど身じろぎもせず、シアン達を守っている。周囲は主蟲の死骸が積み重なって山になっていた。
シアンはレキアスに頼み、ライオンのあくび荘まで戻ってきた。
大規模な魔法を行使するにはどうしても必要なものがあった。
庭の一角に座り込み、シアンは部屋から持ち出した鏡に手の平を引っ付け、勇気を奮い立たせて目を閉じた。
先日町に襲来した鏡魔竜の鱗である。
「鏡よ鏡よ、鏡さん。って感じ? それで何が見えるの?」
ルドの問いには答えず、シアンは全意識を鏡の持つ魔性に注ぎ込む。
――わたしに見せて。ユニゾランドの今の姿を。
かなり強引に干渉すると、鏡がぴきりと音を立てた。それでもシアンが強く命じると、脳裏に主蟲に蹂躙されたユニゾランドの姿を捉えた。まるで大地と融合したかのように全域が把握できる。
シェルターに入れず、手近な建物に逃げ込んで震えている人たち。
精彩さを取り戻した主蟲に苦戦する騎士団や隣空人たち。
今まさに主蟲に追いつかれて足を食いつかれている人を見つけ、シアンは小さく呻いた。
目を背けそうになるのを堪え、冷や汗で全身を濡らしながら、シアンは主蟲一体一体の座標を捕捉しようと努める。
――なんて数!
莫大な数の光の点が瞼に浮かび、眩暈を覚えた。それが縦横無尽に動き回っているのだから、捕捉は容易ではない。はっきり言って不可能だった。
ユニゾランド全域に及ぶ大魔法を発動できるのは、魔力の量を鑑みてもぎりぎり一回だけ。失敗は許されない。
せめて主蟲が動きを止めてくれれば、と空を仰ぐ。
「諦めれば? そうすれば楽になれるよ?」
弱音を口に出したくなくて、シアンは奥歯を噛みしめた。
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ひらりひらり、と空中を彷徨い、蝶神の二枚の翅が紫色に発光を始める。頬にじりじりと熱を感じ、本能的に危険を覚える。
「なんだ?」
「まずい! 紫電砲だ! ミュータ、撃て!」
リオウに怒鳴られ、ミュータは壱角銃を蝶神に向けて引き金を引く。ドラゴンの喉頭を撃ち抜いたのと同じ黄色い光線が、蝶神の翅から集束された光の砲弾にかすった。
紫の光が弾け、明後日の方向に飛んで行った。
「うぉ!」
光が落ちた湖が割れ、一瞬湖底の土が露わになる。
鼓膜を刺激する大音量で蝶神が鳴く。言葉は通じなくてもはっきりと怒りが伝わってきた。
「あのモンスターを駆除するって言ったか!? ムリじゃね? ここにはシアンはいないんだぞ!?」
ドラゴンのときとはわけが違う。ひとまず校舎に逃げようとミュータは提案する。
「逃げられるものなら勝手に逃げろ」
バルコニーに雑音が聞こえてきた。ヘリコプターの救助かと一瞬期待したが、そんなはずもない。主蟲の群れが空を黒く埋め尽くし始めた。
「手下を呼ばれたな」
リオウはにやりと口の端を持ち上げた。あの紫電砲という攻撃を目の当たりにし、四方を敵に囲まれ、どういう神経をしているんだろう。ミュータは呆然とまばたきをする。
「これで確信が持てた。蝶神は弱っている」
「は?」
「本来ならオレたちくらい一瞬で潰せるくらいの力を持っているだろうに、わざわざ手下を呼びよせたのはなぜだ? 蝶神は無駄な力を使いたくないんだ。何百年生き続けてるか知らんが、そろそろガタがきているんだろう。先代の姫宮の心臓も食い損ねているしな」
勝機はあるとリオウは言う。そう断言されると蝶神がひらひらと飛ぶ様子は蝶のそれとは違い、不安定でふらついているようにも見える。
「ここで奴を仕留めれば、ネムコ一族との契約も切れる。エピカを姫宮の宿命から開放してやれるんだ」
「……それは俄然やる気が出るな。分かった。俺も逃げない」
ミュータは壱角銃を構える。
空には大型の主蟲が三十体ほど集結していた。そして蝶神の一鳴きを合図に一斉に襲いかかってくる。
ミュータが引き金を引こうとした瞬間、左右から影が飛び出してきた。
「何をしているんです! 早くお逃げください!」
二人の若い騎士がサーベルでカブトムシ型の主蟲を弾き返した。自分に警護がついていたことは何となく聞いていたが、彼らの姿は初めて見た。
「さあ! こちらへ!」
数体の主蟲に上空から攻撃を受けているリオウにも、床に張り付いて苦しげに呻くエピカにも目をくれず、騎士がミュータの腕を引っ張る。
「あ!」
そのとき、体勢を立て直してきたカブトムシの角が騎士の一人を持ち上げ、古城の壁に強かにぶつけた。さらにもう一人も上空から蜂が飛ばしてきた針を太ももに受けて倒れる。
あっという間に無防備になったミュータに主蟲たちが殺到する。
ミュータは夢中で壱角銃を連射した。命中した主蟲は退くが、数の量に押され、徐々に距離が詰まっていく。
――やばいそろそろ充電が!
危惧通りのタイミングで壱角銃がエネルギー切れを起こした。唯一の武器を失くしたところに容赦なく主蟲の羽ばたきが迫る。
ミュータは咄嗟に騎士の剣を拾い、力任せに振り回した。
「くっ!」
ミュータの肉体には超命族と獣尾人の細胞が組み込まれている。いつだったかレストランで暴漢を取り押さえたとき、あっさりと上手くいったのはその細胞の恩恵を受けていたからだろう。リオウと同じく、人類にはそぐわない怪力をミュータも持っていた。
主蟲の群れをがむしゃらに振り払う。
しかし、型も技術もないミュータはすぐに押し返されてしまう。
――やべぇ!
蜂の針を弾き、隙だらけになったミュータの懐にカマキリが跳びこんできた。
その瞬間、白衣の裾が視界に飛び込んできて、赤い花が散った。
リオウの脇腹をカマキリの刃が切り裂いていた。不自由な左手を庇い、一瞬反応が遅れたように見えた。
「リオウ!」
傷を負ってもなお怯むことなくリオウが白衣のポケットから取り出した薬液瓶を投げつけると、主蟲たちは慌てて距離を取った。すっきりとした柑橘系の香りが広がる。殺虫成分でもあるのかもしれないが、風が無常に薬品の香りを掻き消していく。
「しっかりしろ!」
リオウは片膝をつき、口から血を吐いた。もうだめだ。自分は結局足手まといにしかならなかった。ミュータが深い後悔と無力さを噛みしめていると、
「まだ、まだだ……」
槍を杖替わりにリオウは立ち上がった。彼の苛烈な意志を宿した瞳はまっすぐ上空の蝶神に向けられている。
――どうしてこんなに強くいられるんだ……立ち向かえるんだ……。
心臓がどくんと熱く脈打つ。
数体ばかり減ったところで主蟲の優勢は変わらない。再び猛攻が始まろうとしたそのとき。
「間に合ったようだ。ふむ、実に壮観な眺め!」
「どこがだよ」
この場にそぐわない声にミュータ達は虚を衝かれた。
「トレヴィー、ヒュイ……どうしてここに――」
ここにいるはずもない隣空人の友人の姿がそこにあった。
「侮ってくれるなよ。心の友のピンチに駆けつけられぬほど、私は愚鈍ではない!」
「俺がここまで運んでやったんだけどな。どうしてもって言うから、仕方なく」
ヒュイが背負っていたトレヴィーをバルコニーに降ろし、冷めた声で言う。
「ま、一度でも同じ釜の飯食った奴らが死んだら、明日からの飯が不味くなるから」
狐の尻尾が不自然なほどパタパタと揺れた。どうやら照れているらしい。
二人の登場でさらに鼓動の音が大きくなっていく。全身が言葉で表せないほどの喜びと感動で痺れた。
撒いた薬品が完全に霧散し、主蟲が一体、二体と降下を始めた。応戦しようとするリオウを制し、ヒュイが地面を蹴った。獣尾人渾身の拳を受け、先頭にいた主蟲からなし崩しに吹き飛ぶ。問答無用のパワーで主蟲たちを寄せ付けない。
「さて、私も戦いを始めよう。あいにく武器はこれしかないが」
トレヴィーが肩にかけていたケースから楽器を取り出し、あごと肩の間に挟み、弓を構える。
弦がこれ以上ないほど鋭く空を裂いた。
奏でられているのはエピカの姉が口ずさんでいた懐かしいメロディ。
「こんなときに何を……」
倒れ伏した騎士の一人が呟いた。
確かにそうだ。人間相手ならともかく、主蟲に何が伝わるわけでもない。不謹慎ですらある。今すぐ演奏を止めてトレヴィーを逃がすべきだ。
それでもミュータはこの音を途切れさせたくなかった。希望を感じた。ただそれだけの理由にすがった。




