35 対峙と退治
時空風が弱まってきた。それでも主蟲の凶行は止まない。
シアンは沿岸の通りに立ち尽くしたまま、ルドと向かい合っていた。
「フラれちゃったね、魔女のお嬢さん。エピカに負けるなんて屈辱?」
ルドとその護衛が前に立ちはだかり、動くことができなくなっていた。引き返して避難シェルターに逃げ込むつもりは毛頭ない。上空では主蟲が旋回し、シアン達の様子を伺っている。先ほどからルドの護衛が度々応戦しているが、敵の数はどんどん増えている。長くはもたない。
「そこをどいてくれませんか? ミュータさんを追いかけたいんですけど」
「ダメ。きみは舞台に上がらないでほしいな。実をいうと、きみのことはかなり警戒しているんだよ。リオウ・シャルマーは友人も恋人も作らない。ネムコ一族の残党がまだ復讐に来るかもしれないと警戒しているからね。なのにきみのことは気にせずにそばに置いている。……きみも化け物なんでしょう?」
「…………」
ルドの言葉に耳を貸してはいけない。シアンは拳を強く握りしめ、ゆっくりと問う。
「あなたの目的はなんですか? 隣空人の排斥? それともリオウさんへの嫌がらせですか?」
「ハズレ。僕はユニヲン王国が、この世界が大嫌いなんだよ。粉々に壊したいと思っている。もしかしたら次期王に選ばれちゃうかもしれないけど、一個人のために造られた国なんかいらない」
心底忌々しそうにルドはため息を吐いた。
「本当にこの世界は気持ち悪いよ。一人のブラコンの王様が構築した、ミュータ・アカネザワのためだけの世界。ユニヲン王国の歴史も、時空融合も、何もかもが彼のためのシナリオだった。こんな世界に価値はない。いっそ消滅させて歴史をやり直すべきだとすら思うね」
なぜかは知る由もないが、ルドは全てを知っているらしい。
傲慢な言葉にシアンは腹を立てた。リオウがこの場にいたら胸倉を掴んで殴りつけているに違いなかった。シアンもそうしたいくらいだ。
シアンの怒りを察したのか、ルドは涼しげに微笑んで見せた。
「彼も本心では元の家に帰ることを望んでいるんでしょう? 僕は彼の背中を押してあげているだけだよ。ユニゾランドがぐちゃぐちゃに壊れれば、エピカの罪を消すために歴史を消滅させる道も見えてくる。優しい彼のことだから美しい友達ために、麗しい妹君のために、過去に戻る選択をするかもしれない。そう思わない?」
もう我慢の限界だ。シアンは深く息を吸い、心のままに吐き出した。
「ミュータさんを馬鹿にしないで! あの人はあなたのように器に小さい人ではありません。絶対絶対、あなたの計算通りにはならない!」
感情に任せ、もう一言付け足すことも忘れない。
「それに! 人類の王にふさわしいのはリオウさんです! 断じてあなたではありません!」
「――それは、僕も賛成」
音もなくその騎士は着地した。
美しい金髪が宙で踊った瞬間、ルドの護衛があっという間に倒される。それとほぼ同時に空にいた主蟲たちが地面に次々と落下し、息絶えた。
息を飲むほどの美しい動作でレキアス・グリーティアが刃を返す。
「動くな。ルド・ジェイミー。今回の件の重要参考人として拘束する」
細剣を喉元に当てられると、ルドはあっさりと両手を上げて降伏を示した。その表情にはあまり余裕が感じられない。
「これはこれは……驚いたね。この非常事態に、きみがマリッタを置いてこの場に現れるなんて。こんなところにいていいの? 大好きな王女様か、世界の命運を決めるご先祖様を守るべきじゃないのかな? ユニヲン王国最強の騎士殿」
「他ならぬ殿下の命だ」
レキアスは手錠でルドの両手を拘束した後、シアンに歩み寄り、片膝をついた。
「シアン・デュイス嬢。貴殿にユニヲン王家より正式に依頼する。――どうか、ユニゾランドに溢れた主蟲を一掃していただきたい」
予期せぬ言葉にシアンは反射的に半歩後退する。
「現在、騎士団と警察隊、隣空人の有志が主蟲の駆除に当たっているが、それでも手が足りない。住民が固まっている場所では防戦一方で身動きが取れなくなっている。特に上空から攻撃が厄介で手が出せない。現状では賢民の魔法による殲滅が最も効果的だ。所在が分かっている賢民でそのような大規模魔法の行使が可能なのは……隣空人レベルイプシロン指定のデュイス嬢、貴殿だけだ」
シアンは愕然とした思いで空を見上げた。
ユニゾランドは広い。対岸の西地区の上空にいる主蟲などゴマ粒に見えるほどだ。
「ふふ、馬鹿だね。いくらなんでも不可能だよ。それをやるなら先にエピカを殺すべきだ。そうすれば、主蟲どもはとりあえずエピカの死体を目指して殺到する。そこを一網打尽にした方が合理的じゃないかな」
ルドの提案はいちいちもっともでシアンは胸が締め付けられる思いだった。
「その方法は極力とりたくない、と姫殿下はおっしゃった」
「それは、ミュータ・アカネザワのご機嫌をこれ以上損ねたくないからだよね。マリッタは優しさではなく打算で動いている。でも、ミュータの身柄だけ確保して撤退すればいいのに、馬鹿な賭けをしたものだね」
ルドは清々しいほど穏やかにシアンに告げた。
「きみもエピカが死んだ方が都合良いんじゃない? 恋敵がいなくなるよ」
シアンは自らの心に問いかける。
正直、エピカには腹を立てている。どのような事情があったとしても、今回の主蟲の暴走は許されないし、今もまさにミュータとリオウが危険に晒されていると思うといても経っても居られなくなる。
――でも、エピカさんが死んでしまったら、ミュータさんが悲しみます。
もうミュータには泣いてほしくない。出会った日に見た彼の涙はシアンの胸を未だに締め付けている。
シアンは思い知っていた。ミュータは優しすぎる。おそらくエピカはルドに唆されて近づいてきた敵だ。それも蟲客の姫宮――この時代の人間なら、誰もが忌み嫌って遠ざけるようなおぞましい存在である。それでもミュータはエピカを友達だからと助けに行く。
そんな彼だから放っておけなかった。
――そんなミュータさんだから、わたし、希望を持ってしまったんです。
この身に宿る過ぎた力を正しく使うために、ミュータのような優しい人のそばにいたい。彼が幸せになるような使い方なら、きっとほとんどの人が笑っていられるだろうから。
「やります。わたしがミュータさんを守ってみせます!」
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ミュータはルドの船で本校舎島に乗りつけ、主蟲から逃げ隠れ、壱角銃で威嚇しながらバルコニーに辿り着いた。
そして激しい電撃が走る音と閃光の後、とんでもない光景を目撃してしまった。
「なっ! 何するのよ!」
「ちゃんと飲んだな?」
エピカは口と真っ赤な頬を押さえる。一方リオウは淡々と服の袖で口を拭っていた。
「こんなときに信じられない! 一体何飲ませたのよ! 恥知らず!」
叫んだ直後、エピカはむせた。苦しそうに何度も咳き込み、その場に崩れ落ちる。
「エピカ!」
ミュータが駆け寄るとリオウが怪訝そうな顔をした。
「おい、ミュータ。避難しろと言っただろうが。一体どうやってここに――」
「そんなことより! リオウ、お前、エピカに何したんだ! ちょっとひどいと思うぞ!」
全く状況が理解できない。
エピカは苦悶の表情を浮かべ、ついに吐血した。
「薬品を飲ませた。毒と言ってもいいな。非常に副作用が強い。だが、そこが好都合なんだ」
リオウは懐から布を取り出し、エピカの口を拭いた。血が染み込んだ布を握りしめ空を睨む。
「何言ってんだよ。ちゃんと説明しろ。エピカを殺す気か?」
「殺しかけなければ、奴を引きずり出せない」
「奴?」
その瞬間、全身に悪寒が走った。
空間に揺らぎが生じ、二十メートル近い極彩色の巨大蝶が出現した。羽を動かしもせず宙に浮かび、無機質な巨大な瞳が三人を見下ろしている。
この圧倒的な存在感は覚えがある。数日前に町に現れたドラゴンを目の当たりにしたときと同じ感覚である。明確な殺意を感じる分、恐怖はこの前の比ではなかったが。
「来たな、蝶神」
死にかけているエピカを守るために来たのか、それとも。
ミュータはなけなしの根性でエピカを庇う。しかしエピカはミュータの腕を支えに体を起こし、蝶神に向かって叫んだ。
「お願い! 暴走している主蟲を押さえて! 私の心臓でも何でも差し出すから!」
エピカの必死の訴えを蝶神は静かに聞き入り、そして、大きく羽を動かした。
「言うこと、聞いてくれたのか?」
ミュータはわずかに希望を感じたが、エピカは泣き出しそうな表情で首を横に振った。
蝶神はそのまま急降下し、ストロー状に伸ばした口をエピカの胸に向けて突き出した。心臓を食い破るつもりだ。
リオウが槍で攻撃を弾き、電撃を食らわせる。そしてエピカの血が付いた布を蝶神に向かって投げつけた。その瞬間、蝶神が超音波のような悲鳴を上げて慄く。
「これで分かったか、蝶神。今のこの女に姫宮の血は通っていない。むしろお前たち主蟲が嫌う成分が満ちている。食うなんてできないだろう?」
やっとリオウがやろうとしている作戦の輪郭が分かった。
リオウが飲ませたのは、エピカを蝶神に食わせなくするための薬だったのだ。周囲に仄かな甘い香りが漂っていることに、ミュータは今更気が付いた。
「エピカはもう蝶神に食われないんだな?」
「残念ながら違う。蟲客の代謝は早い。あっという間に薬品は分解される。効果はせいぜい十分程度だ」
「え? じゃあどうするんだよ?」
リオウは憤然と言い放った。
「決まっている。十分以内に蝶神を駆除する。この場に居合わせたからには、お前にも協力してもらうぞ」




