26 切望と未練
私室でマリッタ・フランルージュは届いたメールに目を通し、沈痛な面持ちで呟く。
「もう時間がありませんわ……タイムリミットです」
コンピュータを操作し、これまでに届いた報告書を室内に展開させる。
燃えるような赤髪を持つ少年の画像と動画が無数に表示された。ほとんどの時間を誰かと過ごし、笑顔を浮かべている。追跡者の所見では「周囲との関係は非常の良好。授業にも真面目に取り組んでいる様子」とある。
最新の報告書では、東地区に入り込んだドラゴンを仕留め、人々に胴上げされて戸惑っている写真があった。彼の勇敢な行動から、ひそかに『英雄』と呼ばれるようになったらしい。
「英雄……確かにそうですね。贄なんかじゃない」
マリッタはミュータの笑顔に触れる。
「ミュータ様、この世界をお救い下さい。見捨てないで下さい。どうか……」
準備は万端とは言い難い。何もかもが綱渡りで突貫工事。それでも手は尽くしたつもりだ。
宝箱の鍵に手を伸ばす日はもう間近だ。
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リオウは憤慨していた。
四月に入ってから他人にイラつくことは多々あったが、自分にまで猛烈に腹を立てる羽目に陥るとは、心の底から不本意で理不尽で不愉快極まりない展開である。
ドラゴン騒動から数日が経った。町の損壊は広場の一帯のみで、犠牲者はゼロ。時空風災害の被害としては軽微だ。ユニゾランドを建設した偉大なる〈日進月歩王〉の銅像が修繕不可能になってしまったことで、一部の住民からクレームがあったらしいが。
一番の被害者は間違いなくリオウだった。
最後の最後で役立たずと化した自分に猛烈に腹を立てていた。エピカに庇われ、ミュータに命を救われ、挙句の果てに竜の金縛りが完全に溶けていない。
戦いの報酬として鏡魔竜の体の結晶――鱗を一枚もらったが割に合わなかった。シアンは『これを加工して千里眼の魔法に応用すればいつでも見たいものが見られるかもしれません!』と大興奮していたが、ますますストーカー行為に拍車がかかるのではという懸念しかない。
「もう少しゆっくりかきまぜろ。沸騰直前まで一定のスピードで」
放課後、リオウは離れの研究部屋にいた。鋭い視線で実験台を見つめる。ビーカーをかき混ぜるミュータの手つきが焦れったくて怒鳴りたくなる。
全身の金縛りは解けたが、リオウの左手は麻痺したままである。日に日に良くはなってきているのだが、肘から先が動かしづらい。そこでミュータに研究の手伝いをさせることにした。さすがに危険な薬品を扱う実験はやらせていないが、資格がなくてもできる簡単な成分の抽出などを教えている。
「……不器用だな。料理が得意な割に」
実験台に無残に飛び散った水滴を拭きながら、ミュータは肩を落とした。
「まぁ、端から期待していない」
「そんなこと言うなよ。俺、もっと頑張れるって!」
「そのやる気は何なんだ。気持ち悪い」
もう一度チャレンジすると聞かないので、リオウはもう放っておくことにした。
「なに拗ねてるんだよ」
「別に」
「具合が悪いなら休めよ。それにほら、研究者には気分転換も必要だろ?」
「知ったような口を利くな」
年下に諭される自分が哀れに思え、リオウは作業台に突っ伏した。ドラゴン騒ぎ以降、ミュータはやたらと気を遣ってくる。体調を気にされているのかと思ったが、それ以外にも何かありそうだ。
庭の方で大きな物音がした。何かをぶつけたような破壊音だ。それから女たちの慌てた声が聞こえてくる。
「大丈夫かな。あー、手伝いてぇ……」
「お前の誕生日を祝う焼肉パーティーをお前が手伝ってどうする」
今日は四月二十一日、ミュータの十七歳の誕生日だ。シアンが張り切って準備をしている。
「でも、元はと言えば課題のためだし、やっぱり俺も配膳くらいは……」
「やめろ。今日くらい主催者の顔を立ててやれ」
第五課題は『誕生日パーティーを行うこと』である。課題の趣旨がよく分からず、困惑するミュータに代わり、シアンがノリノリで準備を進めている。
リオウは準備が整うまでミュータを研究室に引き止める役目を頼まれた。シアンとエピカ、それにミュータのクラスメイトのトレヴィーが、バーベキューセットの用意をしている。
「焼肉を選んだのは賢明だったな。味の不安がない」
「だけど火を使う以上、油断はできないぜ。シアンはどじっ子魔女力が高いし、エピカは初めてのバーベ
キューに浮かれている可能性がある。そしてトレヴィーは何をしでかすか分からない。怪我しなきゃいいけど……」
こめかみを押さえて唸るミュータ。
――本当にアホみたいにお人好しだな、こいつ。
シアンはミュータが元の時代に戻るのを心配しているが、リオウも同感だった。
ミュータは困っている人間がいれば放っておかない。もしも元の時代に戻り戦時下になれば、親とはぐれた子どもに手を貸し、瓦礫の下敷きになった女を助け、動けなくなった老人を背負うだろう。そして誰かを庇い、容易に命を落とす様が想像できた。
だがリオウはミュータを引き止めるつもりはない。
家族の元に帰りたい。その想いを邪魔することはできなかった。
――タイムマシンか。そんなものが本当にあるのなら……。
誰もが求める願いをリオウもまた思い浮かべ、自分の未練がましさを笑った。




