25 魔性
残酷描写があります。
ご注意下さい。
土埃が舞う中、中央で竜とリオウが睨み合っている。ミュータはそれをただ呆然と眺めていた。リオウ自ら竜に歩み寄り、それに応えるように研ぎたてのナイフのような牙が剥きだしになる。
そこでようやく我に返った。
「リオウ!」
ミュータは咄嗟に壱角銃を抜いて構えた。銃が青く点滅を始める。
しかし、竜とリオウの距離があまりに近すぎ、自分と竜の距離は遠すぎた。
元の世界では何度も射撃訓練を受けた。成績もそこまで悪くなかった。
――撃てない!
ミュータには圧倒的に覚悟が足りなかった。
もしも外したら、リオウや他の人間に当たったら、その恐怖から引き金を引くことができない。震える手で握りしめる銃が奇跡を呼ぶとは思えなかった。
もうだめだと思った瞬間、エピカが躊躇いなくリオウの元に飛び込んだ。
紙一重で竜の牙をかいくぐり、二人は揃って地面に滑り込む。
エピカの勇気に胸が震えた。
――俺は、何をしてるんだ!
ミュータは距離を縮めるべく全力で駆け出した。
竜は再び二人に鋭利な牙を向ける。
――撃て! 撃つんだ! このままじゃ二人が!
ミュータの手の震えは止まらない。恐怖で足を止めないことで精一杯だった。
そのとき、ふわりと壱角銃から仄かな光が溢れた。
『ミューくん、撃って。あたしが当ててあげる。信じて!』
頭の中に響いたユメエンジュの声に最後の後押しをもらい、ミュータは一瞬で狙いを定めた。
心臓が燃えるように熱く脈打つ。
その熱を込めるつもりで、ミュータは引き金を引いた。
「!」
銃から発射された青い光の束が、竜の赤い右目を破裂させた。
竜の眼球がガラス玉のように弾け、宙に舞ってきらきらと輝く。頭を左右に大きく揺らしながら、この世のものとは思えない恐ろしい断末魔が上がる。
――まだだ!
竜の頭突きを俊敏なステップで避け、ミュータは奥歯を噛みしめる。
いつの間にか黄色に点滅していた銃を構え、視界で光った牙を狙い撃った。
引き金を引いた指先が痺れ、集束した黄色い光が走る。光線は竜の口の中に吸いこまれ、そのまま頭蓋を貫いて空に散った。
赤い噴水を上げながら、竜の巨体が力を失って崩れ落ちる。地面が大きく震え、鉄くさい臭いが広がっていく。
ミュータはその場に膝をつき、肩で息をした。いつの間にか全身汗だくで、火がついたように熱い。
『よく頑張ったね、ミューくん』
ユメエンジュの声と同時に、壱角銃が充電切れを起こして甲高い電子音を響かせた。
――た、助かったのか。
そうして空を仰いだとき、ミュータの瞳の中にきらりと光るものが飛び込んできた。おそらく竜の砕けた眼球だろう。
「痛っ」
その瞬間、頭の中で見たことのない映像が再生される。
太陽が分厚い雲に隠れ、姿を見せることなく夜になろうとしていた。
砂っぽい風を浴び、一人の少年がトラックの荷台で小さく咳き込んでいた。小柄な少年でどことなく誰かに似ている。
――もしかしてリオウか!?
誰にも気づかれず、誰にも触れられない。ミュータは映像をぼんやりと眺めることしかできなかった。
周囲は一面の荒野だった。タイヤがくぼみに差しかかる度に跳ね、急き立てられるように道を行く。
幼いリオウの隣には、とても美しい少女がいた。
仄かに光る白銀の髪と、神秘的な光を宿す紫の瞳が印象的。
エピカに生き写しだ。しかし彼女の方が柔らかい雰囲気を持っている。
荷台にはリオウと彼女の他に、幼い子どもたちがたくさん乗っていた。その中では白銀の彼女が一番の年長者だ。十代半ばだろうが、すでに完成した美しさを備えている。
リオウは膝を抱え、彼女の穏やかな横顔を盗み見ていた。
「ふんふふーん」
トラックの走行音に台無しにされることなく、彼女の鼻歌は耳に心地よく届いた。どこかで聞いたことのあるメロディ、透き通った歌声に胸が揺さぶられる。
しかし他の子どもたちの胸には届かなかったらしく、彼女に恨めしい視線を向けている。隣にいたリオウは肩身が狭そうに少女に身を寄せた。
「大丈夫? 寒いのかな?」
あまりにも可憐な微笑みに、幼いリオウとミュータは言葉を失くす。
「どうなるんだろうね、私たち。まさか誘拐されるなんて思わなかったよ」
荷台のあちこちで嗚咽が漏れている。だけど彼女とリオウだけは泣いていない。
「心配しないで。いざとなったら、お姉さんが助けてあげるから」
彼女の優しい声がリオウの不安を溶かして消し去ったように見えた。
人気のない荒野を抜けて暗い森に入ると、空気は夜気を含んで澄んでいった。
浅い眠りに落ちていたリオウが、大きな地鳴りで目を覚ます。
腹の底から震えるほどの衝撃を受け、景色が反転した。気づいたときにはトラックもろとも小さな体は吹き飛ばされていた。
――危ない!
ミュータは無意識に手を伸ばしたが、それよりも先に細い手がリオウの体を突き飛ばして救った。
リオウが地面に滑り落ちた直後、爆音が響いた。トラックが火柱を上げ、森の暗闇を払う。
土にまみれながら起き上ったリオウ。その頬はじりじりと熱気に焼かれている。
トラックを横転させた生物が闇から溶け出すように現れた。
――蟻の主蟲……?
ヒトよりも大きな蟻が三匹、燃えたトラックに群がっている。
金属を思わせる鈍い輝きを放つ体と頑丈そうな顎をカタカタと鳴らし、蟻は大破したトラックから一体一体人の形をしたものを引きずり出していた。
咥えたものがちぎれるのも構わず、強引に単調に。
蟻にとって人間の体など熟れた果物と何も変わらなかった。
先ほどまで一緒のトラックに乗っていた子どもたち。誘拐犯の大人たち。そして、一際肌の白い彼女を蟻が残骸から引っ張り出した。
不思議と彼女は軽傷だった。彼女を見つけると、蟻たちは他のものには興味を失くし、一斉に彼女の肉を貪った。血が飛び散り、肉が裂け、骨が砕ける音が聞こえたが、リオウも彼女も悲鳴をあげなかった。
ミュータは胸を切り裂かれるような痛みを覚えた。どうしてか後悔で気が狂いそうになる。
「……うぅっ」
リオウは大量の汗に濡れ、風と炎に震えながら、ただその光景を眺めていた。
「あーあ、私の命は仲間を守るものだったのに……たった一人しか守れなかった」
食われながら彼女は愚痴をこぼす。
蟻の隙間から垣間見えた彼女の微笑みは、清々しいものだった。白銀の髪が血の色に染まり、べっとりと頬にくっついている。
解体されていく彼女は血に濡れた唇で遺言を紡ぐ。
「ねぇ、お願い。生き延びて。そして、あなたが――」
リオウが絶叫したのを最後に、悪夢の映像は終わった。
「ミュータさん! 大丈夫ですか?」
シアンの声に我に返ると、ミュータはいつの間にか地面に座り込んでいた。目の中の異物感は消えたが、悲痛な叫び声の余韻が耳に残っている。
「エピカ……」
気づけば、彼女も口を半開きにして固まっていた。
――そうだ。あの鼻歌、エピカが森で歌っていたのと同じ……。
エピカは同じフレーズを繰り返すだけだったが、今の映像に出てきた少女は続くメロディを口ずさんでいた。
「姉様……?」
エピカの唇がそう震えたような気がした。声をかける前に騎士団に介抱され、ミュータ達は言葉を交わすことができなかった。
騎士たちに健闘を称えられても、課題合格のメールが届いても、全く喜べない。
映像というよりは実際にその場にいるかのような臨場感があった。
生々しい痛み、炎と血の鮮烈な赤、吐き気を催す不快な臭い。
べっとりと心にこびりついたそれらを、しばらくの間拭い去ることができなかった。




