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62 病院にて



 予選一回戦勝利のあとの帰り道。いつものとおり茨戸さん運転の車の中。後席の俺はいつの間にやら居眠りをしていたらしい。もちろん優しい茨戸さんは、俺を起こしたりしない。


 ふと、遠くの救急車の音に目を覚ます。


 しまった! いつの間にか寝ていたか。


 バックミラー越しに茨戸さんと目が合う。


 慌てて膝を揃え、口元のよだれを拭きながら、周囲を見渡す。……いまどのあたり?


 何度も通った道。目の前に見覚えのある建物。おじいさまの入院している病院だ。


「茨戸さん! 病院に行こう。お爺さまに勝利の報告をしなきゃ!」


 特に深い考えがあったわけじゃない。偶然ここで目が覚めた。せっかくだから爺さんの顔を見に行ってやろうか、という程度のことだ。


 しかし、茨戸さんはなぜか、即答してはくれなかった。


「えっ? ほ、本日は、お嬢様はお見舞いには行かないと旦那様にお伝えしてしまいましたが……」


「平気平気。おじいさまもまだ寝てないでしょ。ね、お願い」


「い、いえ、あの、も、もう面会時間は終わりますし……」


 なんだ? いつもきびきび有能秘書然とした茨戸さんらしくないぞ。どうしてそんなにあわてている?


「お願い。ねっ? せっかく近くを通ったんだし、おじいさまもきっと喜んでくれるから」


 茨戸さんが運転しながら、小声でぼそぼそ誰かと連絡している。


 誰と話してるんだろ? お医者さん? ちがう、爺さんの病室に二十四時間詰めている事務所の若い衆か? なんにしろ、病院は目の前なんだから、すぐいけばいいのに。


「やはり、旦那様はもう就寝していらっしゃるそうですが……」


「えっ? もう? で、でも、顔をちょっと見るだけでもいいから、おねがい、ね?」


「……わかりました。お嬢様がそこまでおっしゃるのでしたら」





 薄暗い病院の廊下。特別室の前にひとり、爺さんの事務所の若い人がいる。俺と茨戸さんに頭を下げて迎えてくれた。


 こんこん。


 ノックをしても返事はない。部屋の中からわずかにテレビの音だけが聞こえる。


「お爺さま? はいりますよ」


 小声で呼びかけながら、そっとドアを開く。


 ……びっくりした。


 一瞬、死んでいるのかと思った。


 廊下よりも暗い病室の中、つけっぱなしのテレビ画面だけがまぶしく輝いている。スポーツニュースの明るい画面に照らされた、ベッドの上に横たわる老人。脳天気なアナウンサーの声。


 白石一将。


 かつて裏社会のキングメーカーと呼ばれた男だ。しかし、いま夢実の目の前で寝息を立てている老人は、彼女の知っている祖父と同じ人物とはとても見えない。


 土色の顔は、まるで死人のそれだ。身体中にいろんな管がつながり、息をするたびに弱々しくヒューヒューと音が出ている。


 えっ? えっ? えっ? どうして? つい三日ほど前にお見舞いに来たときはあんなに元気だったのに、どうして……。


 絶句。いったい何秒間そこに立ち尽くしていたのか。そして、なんとか声を絞り出す。


「い、……いつから? 心臓だよね。ままままさか、命に関わるなんてことは……」


「以前よりに徐々にですがご様態は悪化しつづけておりました。……が、一気に悪化したのは、一週間ほど前になります」


 茨戸さんがこちらに視線をむけないまま、つぶやくように言う。


「じゃあ、先日は……」


「お嬢様がお見舞いにいらっしゃるとき、旦那様はすべての医療機器を身体から外すよう指示されていました。……かなりご無理をされていたと思います」


 お、お、お、俺が、見舞いに来るときだけ、無理してたってか?


 唖然とする俺。病室に詰めていた若い衆が口を開く。


「今日は、お嬢様の試合の結果を聞いて、旦那様も大変お喜びでした。つい先ほどまでテレビのスポーツニュースを見ていたのですが、興奮されたせいか血圧が……。と、と、とはいえ、お命に関わるというほどではありませんので、ご安心ください」


 そんなこと今更いわれても、信用できるわけない。





 病院の待合室。俺は外来用の長いすに座り、ぼーっとしていた。


 すでに外来の受付は終了している。入院患者やお見舞いらしき人が数人、椅子に座ってはなし込んでいる。薄暗い部屋の中、大きなテレビをお年寄り数人が眺めている。キー局の全国放送、スポーツニュースだ。


『全国で夏の甲子園に向けた予選が始まっています。各地で熱い戦いが繰り広げられている中、今日は史上初めてのすごい記録がみられたようですよ』




 茨戸さん、……おじいさま、どれくらい悪いの? 本当の事を教えて。


 明日をも知れぬという訳ではありません。これは本当です。ですが、決してよくもありません。……もうお若くありませんし。正確なところは、私の口からではなく、次回お見舞いにいらしたとき医師から直接説明させましょう。




『なんと、史上初めての女子の投手が勝利。しかも五回コールドゲームとはいえ完全試合達成という快挙! まずは映像をご覧ください』




 そうか。……次にお爺さまに会うとき、知らない振りした方がいいのかな?


 お嬢様がお決めになられることです。私とて、肉親の間に割り込むことは出来ませんから。とはいえ、私としては、旦那様の意図を汲んでいただけたら嬉しく思います。




『いやぁ、美香保学園の白石夢実さん。とてもかわいらしいピッチャーですね。この小さな身体のどこにあんな力が隠されているのでしょう』


『ネットではすでにアイドル並みの人気があるようで、高校野球連盟ではSNS各社に対して白石さんの違法映像の削除要請を行っているとの情報もあるくらいなんですよ』




 とりあえず旦那様は、お嬢様が甲子園出場の夢をかなえられることを何よりも楽しみにしておられます。旦那様のためにも、まずは目の前の予選を全力で戦ってください。


 あ、ああ、当然だ。当然だとも。爺さんのためにも、俺は甲子園めざして頑張っちゃうよ。




『さて、もし白石さんがこのまま予選を勝ち抜けば、もちろん甲子園に初めて女子選手が参加することになりますが……』


『それは歴史的な大事件ですね。日本中が大興奮に包まれそうです』




 あ、で、でも、もし今年俺が甲子園いけちゃったら、それで安心してぽっくり逝ったりしたりしないよな!


 それは問題ないでしょう。旦那様はお嬢様の甲子園も期待していますが、それ以上に南郷先生のご子息との結婚式を楽しみにしていますから。日頃から、お嬢様の花嫁姿を見るまでは絶対に死なないと口癖のように……。


 なななななななんだそれわぁ! いつの間にそんな話になっていたんだぁぁ! っていうか、あいつ本人から俺はまだ何も言われてねぇぞぉぉぉ!!


 おもわず大声が出た。待合室にいた人達がこちらを見る。そのうちの何人かが、あっといいながら目を見開いた。テレビ画面にアップになったユニフォーム姿の少女と俺の顔を見比べている。




『注目の美香保学園二回戦は三日後。白石さんのさらなる快投を期待しましょう』


『なお、当番組では、予選終了まで白石さんへの密着取材を行うことを検討中です。お楽しみに!』





 テレビのスポーツニュースが終わり、CMにかわる。スマホのカメラをこちらに向ける人がいたので、俺と茨戸さんはあわてて駐車場へと向かう。……なんか番組の最後にキャスターが変なこと言い出したような気がするが、気のせいだろう。きっと。






 病院の駐車場につながるエレベータの入り口、廊下の向こうに人影が見えた。


 高校生くらいの少年。見たことがある。えーと、たしか、南郷と同じ小別沢高校のピッチャー……かな?


 選抜甲子園優勝投手がなんでこんなところに、……もしかして、チームメイトの南郷も一緒なのか?


 おもわず周囲を見渡した俺。しかし、彼の他には高校生らしい人影はない。


 あ、あれ? 俺、ちょっとがっかりしてる? ばばば馬鹿な!


 少年は、そんな俺の存在自体に全く気づいていない。伏し目がちのまま早足で歩く。そして、至近距離になってから、目が合った。


 瞬間、びくっと驚いた顔。そして、会釈した俺を無視して、再び顔を伏せるとそのままタクシー乗り場に向けて走り出してしまった。


 なんだ、あいつ……。


 かわりに、その後から追いかける家族らしい人が、俺に会釈をかえす。そのまま彼と一緒にタクシーに乗って去って行った。


 そういえば、この病院はスポーツ外科で有名だったか。……どっか悪いのかな?



 

 


 

 

深刻な話は続きません。次は二回戦の前に学園祭でラブコメで青春です!

 

2016.11.03 初出

 



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