表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
62/70

61 予選一回戦 その6



 一回裏、結局敵のピッチャーは立ち直れなかった。


 打者一巡半の猛攻を重ねた美香保打線は、……というか、相手ピッチャーの自滅とラッキーに支えられた美香保学園は、一回裏だけでのべ七人がホームベースに帰ってきたのだ。


 その後のイニングも四死球とエラーをからめて得点をかさね、ついに至った四回裏。ここまで美香保学園があげた得点は、なんと十三。次の五回表をゼロで抑えれば、俺達のコールド勝ちだ。





 両校の実力がそれほど離れているわけではない。雁来高校ナインがいつもの実力を出し切れば、総合力では決して美香保よりも劣っているわけではないはずだ。


 スタジアムの妙な雰囲気に耐えられず、ピッチャーが舞い上がって四死球を連発してしまった。


 完全に守備のリズムが崩され、肝心な場面に限って普段の練習からは信じられないようなエラーを繰り返す内外野。


 さらに、美香保打線の当たり損ないが、ことごとくラッキーな安打になってしまった。


 ……理由を挙げればきりが無い。


 どれもこれも『運が悪かった』としか言いようがない。運が悪くなければ、……ほんのちょっとでも野球の女神の天秤が雁来高校側に振れていれば、逆の得点差になっていたかもしれない。


 しかし、これが野球なのだ。これこそが高校野球名物の『魔物』なのだ。弱小高と強豪の違いは、もちろん実力が最大の要因ではあるが、この魔物を飼い慣らせるか否かなのだろう。






 雁来高にはたしか一年生の控えのピッチャーがいるはずだが、交代のタイミングを逸してしまった。相手守備陣も、ベンチの中も、そして肝心のピッチャーも、勝敗についてはもうあきらめてしまったように見える。


「相手の選手達も、試合開始直後は張り切っていたのに。……これが魔物ってやつかしらねぇ」


 四回裏の攻撃中、美香保のベンチの中、相変わらずほんわかした雰囲気で、監督がつぶやく。


「兄貴は『魔物なんかいない』と言ってたけどな。それも含めて実力だ。『魔物』なんて負け犬のいいわけだ、って」


 拓馬君が、ぶっきらぼうな口調で言う。おまえ、だんだん口調が兄に似てきたな。


「ふーん。さすが甲子園常連は言うことが違うわねぇ。……で、お兄さんじゃなくて、あなたはどう思うの、南郷拓馬君。私達は四回までで十三点リードしているけど、これは実力なのかしら?」


「違いますよ。さっきのはあくまでも負けている側、あきらめてしまった側の話です。勝ってる側は謙虚にならなくちゃ。俺達の立場から見れば、この得点差は魔物のせいでしかありません。魔物の気が変わらないうちに、さっさと試合を決めましょう」


 おおおお! もしかして、『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』ってやつか。アホの拓馬がいつのまにこんなに立派なことを言える男になったんだ?


 あっけにとられる俺。一希ちゃんなんかは、目を見開き、口をあんぐり開けて拓馬君を見詰めている。


「な、な、な、なんだよ。俺だって、たまには真面目なこと言うんだよ! 悪いのかよ!!」


 拓馬君は、頬を赤くしてうつむいてしまった。ホント、照れる姿まで兄に似てきたな、おまえ。





 拓馬君が味方の応援もせず柄にもない真面目なことを言ったその瞬間、打席の六番バッターが三振。四回裏の攻撃も、これでスリーアウトチェンジだ。


「みんな、初勝利まであと三人よぉ。しまっていきましょう!」


 監督の声に送られ、ベンチの前、俺達は円陣を組む。そう、この五回の表を抑えれば、俺達のコールド勝ちが決まるのだ。


「正直言って俺、卒業するまで予選一回戦突破できるとは思ってなかった……」


 キャプテンがポツリと漏らす。他の三年生達も、みんな目が潤んでいる。おもわず俺ももらい泣きしそうになるが、……しかし、だめだ。まだ泣いちゃダメだ。


「だけど、俺達はまだ勝ってない。あとアウト三つだ。最後まで、しっかりと守ろう!」


 そうだ。さすがキャプテン。気合いを入れ直した俺達はグランドに散る。最後の守備をするために。






 このイニングで決めてやる。


 マウンド上、守備陣に檄をとばす拓馬君を見ながら、俺はひとつ深呼吸する。


 この試合ここまで、俺が奪った三振は六つ。さらに無四球。失策もゼロ。……ついでに、被安打もゼロだ。


 要するに、走者ゼロ。四回までとはいえ、なんとびっくり完全試合ペースだ。


 コールド勝ちが見えてきた三回くらいから、積極的に三振を狙いにいったのがかえって良かった。相手が打ち急いでくれたせいもある。結果的にランナーを出さず、球数が減り、スタミナの心配が減って三振を狙える、の好循環。


 このイニングだけを考えるなら、スタミナはままだ十分。全力でいって、このまま三人で打ち取ってやる。





 まず一人目。


 ここまで抑えているとはいえ四番バッター、決して油断はできない。前の打席では見せなかったナックルでどうだ。


 ……前のめりのスイングが、見事に空を切る。


 よしよし、まったく的を絞れていないな。ここまでいろんな球種を投げ分けてきた甲斐があった。ならば、もうひとつナックルで、……空振り!


 追い込んで三球目、拓馬君のサインは一球はずしたスライダ。引っかけてくれればラッキーというところか。


 おれは迷わず首をふる。


「まったく当たりそうな気がしないから、もうひとつナックルでいこうぜ。……大丈夫、捕れるから」


 拓馬君は、俺のナックルを後逸するのが恐いのだ。実際、この試合ここまで投げたナックルのうち二割くらいは後逸してしまっている。だから、特にツーストライクからは振り逃げを恐れているのだろう。


 その気持ちはわかるけど、予選はまだまだ長いのだ。追い込んだ後やランナーがいるときにナックルは投げない、なんて見破られてしまったら、投球の選択肢が大幅に小さくなってしまう。


 わかったよ。


 しぶしぶサインをかえる拓馬君。よーしよし、いい子だ。そして、渾身のナックル。


 投げた本人も予測できない軌道でボールが走る。ホームベース手前で一度浮き上がり、そして左右に揺れながら激しく落下していく。


 予測通り! 三度バットが空をきった。


 必死の形相の拓馬君が、バウンドしたボールをなんとか身体にあてる。よし。いまの瞬間、拓馬君の身体がひとまわり大きく見えた。そして、一歩走りかけたバッターにタッチ。三振!


 ほーら、これも予測通りだ。


 苦笑いしながら、拓馬君が新しいボールを返す。そして叫ぶ。


 「ワンナウト!」


 ……いい声だ。





 二人目。


 このバッターも、前の打席には見せなかったボールでいこう。そう、スライダ。……よぉし! もくろみ通り、引っかけた。


 ぼてぼてのショートゴロでツーアウト! あとひとり!!


 さて、最後のバッター。……お、代打か。


 お通夜のような敵ベンチは、最後のバッターとなるかも知れない六番に、代打を起用した。


 三年生にとっては最後の試合かもしれないからなぁ。あまり試合にでていない選手に思い出を作らせるってやつかな。だからといって手加減はしないぞ、……って、ええええっ?


 ヘルメットをかぶり、ベンチから出てきたバッターは、なんとびっくり女の子だったのだ。





 黒髪ロングの清楚系美人。素振りをする姿は、なんとなくへっぴり腰。あきらかに野球の経験は少ない。


 そういや、キャプテンが言ってたな。もともと部員数が足りない学校の場合、高校野球の女子選手解禁を機に、女子マネージャーをそのまま選手としてベンチに入れてしまうこともあるって。


 高校球児最後の夏、部員全員がお世話になった女子マネージャーも打席に立ってもらおうということか?


 その清楚系美人は、ベンチから送り出される直前、ピッチャーの純情メガネ君と見つめ合っている。何を話しているのかまではわからないが、ベンチの他の選手達がふたりを冷やかしているのはわかる。そして、ふたりの頬が赤くなる。


 くそ、くそ、くそ。野球マンガにありがちな、エースとマネージャーのカップルなのか? 青春だなぁ。リア充だなぁ。俺だってエースなのに、どうして……。う、う、うらやましくなんかないぞ!


 くっそー。くっそー。くそったれがぁ。絶対三振取ってやる!!


 打席に女子が入る。リア充憎しで睨みつける俺の邪悪な視線に気がついたのか、美人マネージャはあきらかに怯えている。もともとへっぴり腰が、さらにへっぴりしている。


 ん?


 ふと気づくと、なにやら球場全体が沸いているようだ。


 女子ピッチャー対女子バッターの対決だから? もしかして、史上初めて? 全国的に注目されちゃったりする? だったらなおさら、きっちりと打ち取ってやらねばなるまい。


 この試合、ここまでの俺の投球数は、四十球ほどだ。ちょっと疲れてきたが、スタミナはまだまだ十分。マネージャ上がりのリア充美少女の思い出作り打席に打たれてたまるものか!





 キャッチャー南郷拓馬は、目の前のバッターを観察している。


 うーん、夢実がバッターの時も確かにバットに振り回される感があるが、でもこのバッターはそれ以上に酷い。あきらかに腰が引けてる。バッティングフォームになっていない。練習なんてほとんどしてないんだろうなぁ。


 それに対して、夢実のスタミナはまだまだ十分だ。普通に投げれば、普通に三振してくれそうだが。


 お、めずらしく、夢実の方からサインを出してきた。……ふむ。初球からナックルか。本気で三振とるつもりらしいな。いいだろう。……俺もリア充は滅びるべきだと思うし。






 セットポジションから、夢実の左足があがる。いつもより力強い。その左足を、いつもより大きく前に踏み出すと同時に、状態を思いっきり倒す。いつもよりもしなる腕、いつもより気張った表情、右膝をマウンドの土にこすりつけながら、いつもよりも明らかに力がはいったフォーム。


 右手の中指の先、完全な一点だけで、ボールに運動エネルギーを与える。正確にボールの重心を貫かれたベクトルにより、完全な無回転のボールが打ち出されるのだ。



 野球に限らず、人工的なボールは物理学的に完全な球体ではありえない。故に、大気中を飛ぶあらゆるボールは、重力の他、不均等な空気抵抗に晒され、あらゆる方向から不規則な力をうけることになる。無回転のボールは、姿勢も軌道も決して安定することはない。


 しかし、人間の指により投じられる、あるいは足により蹴られるボールは、多くの場合なんらかの回転が自然に与えられる。ボールが回転していれば、ジャイロ効果により姿勢は安定し、同時にマグナス効果により周囲の大気に圧力差が生じ、ボールは回転軸に対して特定の一方向からの力をうけることになる。投手は、ボールに与える回転の大きさと軸の方向により、ボールの軌道を自由に操ることができるのだ。


 これに対して、無回転ボールの不安定な軌道を積極的に利用しようというが、たとえば野球のナックルボールやサッカーの無回転シュートだ。


 無回転シュートは、ボールの重心を正確に蹴り抜くことで、完全に無回転のボールを打ち出す。さらに、サッカーボール自体が蹴られた衝撃で瞬間的に変形し、それにより大気との複雑な相互作用が生じて、その軌道には信じられない変化が生じることになる。


 野球のナックルボールの場合、もちろん投じられた瞬間に硬式球に変形などは生じない。しかし、かわりにボール表面には縫い目がある。縫い目は一様ではなく、また他の部分よりも空気抵抗が大きい。無回転のボールの表面にまとわりつく大気が及ぼす力は、縫い目に対する角度により大きく変化する。それによりボールの軌道が変わり、さらに軌道が変わることによりまた縫い目の角度がかわる。結果的に、投げた本人ですら予測できないほど不規則に、軌道が変化するのだ。


 一般的なナックルボーラーは、ボールを握る際、指先をボールに立てる。ボールをリリースする瞬間、手首を固定し、指の背で弾くようにして無回転ボールを投じる。しかし、夢実の投げ方は根本的に違う。手の小さな夢実には、そんな握り方はできない。そもそも夢実は、ナックルのリリースの瞬間、ボールを握ってすらいない。モーションの途中から、中指の先のみをつかい、一点だけで正確にボールの重心を押し出し、そのままリリースしてしまうのだ。


 人間離れした繊細な指先をもつ夢実だからこそできる必殺の魔球。もしかしたら、こんな事ができるのは世界でひとりかもしれない。浮き上がるストレートと組み合わせれば、まず打たれることはないはずだ。……スタミナと指先の力さえ残っていれば。


 しかし、今日の夢実にはまだまだスタミナが残っている。リア充美人に世の中の厳しさを教えてやるには十分なほど。






 投じられたボールは、ホームベールの手前でまず滑るように左に曲がった。そして一瞬みぎに曲がったように見えた後、すーっと落ち始める。


 よーしよしよし。やはりボールも俺の気持ちをわかってくれている。邪悪な怨念をこめてなげたボールは、邪悪な変化をしてくれる。


 リア充に打てるわけがない! 


 投じた直後、俺の顔には会心の笑みが浮かんでいただろう。


 だが、バッターはまったく動じていない。そして、へっぴり腰のまま、上体が前のめりになり、へろへろのスイング。


 えっ?


 スイングの瞬間、バッターの顔が見えた。


 目をつぶっている!


 初めから、打てるとは思っていないのか!


 それなのに、なんという偶然。明らかに適当に振っただけのヘロヘロスイングは、ボールが落ちきる前にジャストミートしてしまう。


 もともと球速のない俺のボールは、バットの重さだけで弾き返された。真芯で捕らえられた打球が、俺の正面に飛ぶ。それほど勢いのある打球ではない。しかし俺は投球直後、しかもいつもより大きなフォーム。まだ体勢が……。


 ボールが顔面に迫る。必死でグローブをさし出す。






「夢実!」「夢実ちゃん!!」


 後ろにひっくり返った俺。駆け寄る拓馬君や内野陣。


「……びっくりしたぁ」


 顔面に差し出したグローブは、ぎりぎり間に合った。ピッチャーライナーだ。


 上体を起こし、キャッチしたボールごとグローブを掲げる。


「よかったぁ」「おどかすな」


 主審がゲームセットを宣言。試合終了だ。






「……拓馬君。俺、いや、……私達、勝ったんだよな」


「そうだ。勝利だ。コールド勝ちだ。まだ一回戦だけどな」


「そうか。……甲子園は遠いなぁ」


「でも、確実に一歩だけ、近づいたぜ」


「そうか。そうだな」


 相手ベンチの中、雁来高校の選手達が泣いている。


 悪く思うなよ。ちょっとだけ俺たちの方が、甲子園に行きたい気持ちが強かったみたいだ。あと、ちょっとだけ運が良かった。もう一回試合すれば、結果はわからないかもな。


 そう口の中でつぶやいた俺の視線の先、雁来高マネージャーを純情メガネピッチャー君が抱きしめている。


 ……くそ。前言撤回。何回やってもおまえらには絶対負けねぇ。野球を舐めてんじゃねぇぞ。もげてしまえ。





 こうして、予選一回戦は終わったのだ。


 ちなみに、試合後の選手インタビューは、代表してキャプテンがうけてくれた。


「記者の人達、試合内容なんてそっちのけで、白石さんと藻岩さんのことしか聞かないんだぜ。失礼だよなぁ」


 ……だそうだ。ごめん、キャプテン。




 

 

2016.10.16 初出

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ