外伝第3話:響くチャント、舞う不死鳥
遠い地響きと、立ち込める黒い雲。
緊急事態を知らせる早鐘の音と、街中で避難を呼びかける兵士たち。
魔王軍による王都アストラムへの大侵攻が始まった。
突如として北に現れた巨大な火竜と、南から迫る一つ目の巨人。
下街は、我先にと避難する人々や、防衛戦に備える兵士たちで、大混乱に陥っていた。
タカシは、人混みに押し流されそうになりながらも、新調したマフラータオルを胸に抱きしめ、必死に北の防壁に向かって走っていた。
セラの噂は日増しに大きくなり、既に王都中に響き渡っていた。
「赤鬼殺し」の異名は、ある時から「魔神殺し」になった。さらに、もとは「冒険者」だったのが、今は「傭兵団」に編入されているらしい。
北に竜、南に巨人。王都は南北から魔王軍に挟撃されているのだろう。
タカシは、傭兵団の主力は「北」へ向かったと聞いている。ならば、セラはそこにいる。
「セラ……! 無事でいてくれよ!」
タカシが北の防壁近くに着いた時、既に火竜は目視で確認できるほどに接近していた。
防壁の上からは、星の魔法や大弓の矢が次々に撃ち出されている。
戦士や魔法使いだけでなく、民間人も壁の上に武器や矢を運ぶ仕事をしているようだ。
タカシは防壁の上に登って戦況を確認するため、その民間人たちに混ざって、物資運搬の手伝いを始めた。
防壁に登ると、街の外に広がる平原と、巨大な火竜の姿が目に入った。
「で、でかい……。竜ってのは、こんなにデッカイのか……」
K楽園ホール丸々一つぶん、いや、それ以上あるんじゃないか、と、タカシは目を丸くした。
火竜の周りを半円状に取り囲み、王都との間に立ち塞がる兵士たちは、あまりにも小さく見える。
「こんな相手とやり合おうってのか……。セラ……」
タカシは言いようのない不安に襲われた。
防壁の上で荷物を下ろし、少し休憩をしていると、竜の鋭い叫びと、衝突音が耳に届いた。
火竜は体が一回転するほど激しく尾を振り、「何か」がそれにぶつかったようだった。
音自体はかなり遠かったが、凄まじい風切り音と共に、その「何か」が、砲弾のように防壁に向かって吹き飛んできている。
幾千の人の波からも瞬時に推しを見つけ出すとされる、魂レベルのファンだけが持つ本能が告げる。あれは「セラ」だ。ついに見つけた。
確信が、タカシの秘められた能力を呼び覚ます。
《スキル【狂熱応援】(ファン・シンクロ)が発動しました》
「護ってくれ! 俺の推しを! こんな時のための、能力だろ!」
タカシは防壁に向かって飛来する人型の塊に向かって、必死の祈りを捧げた。
やわらかなレモンイエローの光がタカシの体を包み込み、その光が瞬時に、セラがいる方向へ「投げテープ」のように伸びていく。
何か効き目があったのかはわからない。だが、光のテープは確かに、セラに届いていた。
セラは、激しい激突音と共に地面を転がり、防壁近くの地面に倒れ込んでいた。激しい土煙が舞い上がり、衝撃と振動が防壁の上部にまで届く。
タカシは、セラの飛ばされた地点に向かって、防壁の上部を全速力で走った。
ちょうどセラが着地したあたりの防壁の上に、小さな人だかりができていた。
人混みを押しのけて、タカシがそこに辿り着いた時、眼下には恐るべき光景が広がっていた。
そこにあったのは、ズタボロのコスチュームで全身傷だらけとなり、起き上がることもできず、苦しげに血を吐いている、セラの姿だった。
タカシの全身から血の気が引いていく。嘘だろ、おい。嘘だろ……。タカシの体から、イエローの微弱な光が失われていく。
半死半生のセラの姿に、周囲にいた兵士や民間人たちが青ざめ、次々にへたり込んでいく。
「嘘だろ……。あの『魔神殺し』の英雄が、たった一撃で……」
「おしまいだ……。あの巨大な竜には、誰も勝てっこない……!」
重苦しい絶望の空気が、防壁全体を飲み込んでいく。
しかし、タカシはじっと見ていた。
この世界で初めて見る、推しの姿を。己が魂の推し、プロレスラー朱雀セラの姿を。
息をするのも苦しいのだろう。全身が波打つように小さく震え、身悶えしている。
だが、その瞳には、まぎれもない闘志の炎が宿っていた。目だけを見れば、信じられないことに、ほとんど笑っているようにも見える。
プロレスラーは本当に効いている時ほど、笑うのだ。
『へえー。少しは、やるじゃん』。懐かしいセラの声が、脳内に再生される。
(こいつは……。どこまでも『プロレス』してやがるぜ!!)
タカシの心に、再び熱い炎が熾った。
俺は知っている。セラは、どれだけ痛めつけられようと、絶対に諦めない。何度倒されても、立ち上がって勝つ。それが俺の推し、プロレスラー朱雀セラだ。
(二度と……。もう二度と、疑うな! あいつが、こんなところで終わるわけがないっ!!)
《スキル【狂熱応援】(ファン・シンクロ)に加え、スキル【狂信伝播】(ファナティック・インフルエンス)が発動しました。対象を信じる心が周囲の人々に伝播し、爆発的な能力向上効果を付与します。さらに、因果を歪め、対象の行動の成功率を極限まで高めます。ただし、自身への効果は(略)》
「あいつは……まだ生きてるぞ!!」
タカシは持っていた赤とオレンジのマフラータオルを両手で天高く掲げ、喉が千切れんばかりの声を張り上げた。
「おい、みんな!! 諦めるな!! あいつを見ろ!! あいつはまだ闘おうとしているぞ!!!」
その視界には、仲間に抱き起こされ、青白いロープに引っ張られて、防壁の端にある監視塔を登っていくセラの姿が映し出されていた。
周囲の兵士たちが、怪訝そうな顔でタカシを見つめる。
「あいつの名前はセラ! プロレスラー、朱雀セラだ! プロレスラーは、観客の声援が何よりの力になる! 頼む、みんな! あいつの名前を叫んでくれ! あいつに声を届けてくれーー!!」
タカシは頭を振り乱し、前世で何度もやったように、一定のリズムで手を叩き、セラの名を叫び始めた。
パパパン、パン、パン(「すざく、セ・ラ!」)
パパパン、パン、パン(「すざく、セ・ラ!」)
タカシは一人で叫び、手を叩き続ける。
周囲の目は冷ややかで、最初は変人が騒いでいるとしか思われていないようだった。だが、鬼気迫るタカシの姿と、全身から立ち昇る奇妙な魔素の奔流を見て、只事ではないと感じ取った人々が、一人、また一人と、おずおずと手拍子を合わせ始めた。
タカシは手を止めない。手のひらが赤く腫れ、喉から血の味がしても、全力で叫び続けた。
(そうだ、一人ずつだっていい。増えてさえいれば……。プロレスには独自の算数がある。一足す一は二百、十倍だぞ、だ!)
そして、防壁の下でも、人々が監視塔の上でセラが何かをしようとしている姿に気づき始め、応援の波に加わり始めた。
「見ろ! 監視塔のてっぺんに誰か立ってるぞ!」
「あの赤とオレンジの服……セラだ! 『魔神殺し』のセラだ!」
「セラだ! セラが何かしようとしているぞ!」
「街を、みんなを、守ってくれ!」
タカシの体から、そして、思い思いの声を上げる街の人々の体から、光の投げテープがセラに向かって伸びていく。その光はセラのまわりに集まり、細かな粒子となって、彼女を護るように温かく光り輝いている。
タカシにはわかっていた。セラは「飛ぶ」つもりだ。
朱雀セラは決してパワータイプのレスラーではない。しかし、一発逆転の、そして一撃必殺の空中殺法がある。
「――あの時と、同じだ……」
タカシは独り呟く。前世での王座決定戦。あの時も、こうしてセラを見上げていた。
セラはまたしても追いつめられ、一か八かの大勝負に出ようとしている。
(今度こそ……。今度こそだ……! 決めろ……。勝ってくれ……セラっ!!)
「セラ! いけぇーーッ! 飛べぇーーッ!!」
すると、タカシの側でうずくまっていた若い負傷兵の少年が、タカシの気迫に気押されたように、一緒に叫び始めた。
「せ、セ・ラ!」
「そうだ! 叫ぼう! あいつに届けよう!」
「セ・ラ!」
その輪は、火が燃え広がるように伝染していった。隣の兵士の男が、そのまた隣の魔術師の女が、そして、防壁の上で怯えていた騎士たちが、次々と声を重ねていく。
「セ・ラ!」「セ・ラ!」「セ・ラ!」
王都アストラムの空を震わせるほどの大合唱。
その瞬間、タカシの体が、かつてないほど眩く発光した。タカシが扇動した観衆の声援が、レモンイエローの光の嵐となって立ち昇り、監視塔のてっぺんに立つセラへと集束していく。
その光を全身に浴びたセラが、空を見上げて立ち上がるのが見えた。
「いけぇぇぇ!!! セラァァァッ!!!」
セラが監視塔から大空へと跳躍した。
とんでもなく速く、高く。
一本の光の線が、空に浮かぶ雲を突き抜けて、ぴっと一直線に伸びた。
その光の先から、炎に包まれたセラが眩い光を発しながら、凄まじいスピードで降下してくる。
タカシの目には、空中でひねりや回転を加えながら火竜を見据える、セラの美しくも獰猛な瞳の炎が見えるかのようだった。
セラは、灼熱の業火を纏う不死鳥となって、火竜の脳天へ急降下していく。
タカシは涙でぐしゃぐしゃになった視界で、自分に言い聞かせた。絶対に見逃すな。今度こそ、絶対にだ。
タカシは、セラの一世一代の飛翔を、これ以上ないほど目を見開き、確実にその目に焼き付けた。
「決めろォォォッ! フェニックス・スプラッシュだぁぁぁぁーー!!!」
天から舞い降りた不死鳥は、凄まじい轟音と共に、火竜の頭頂部に直撃した。
王都全体に、激しい震動と衝撃波が巻き起こった。




