第8話 小さな共闘
ルナを連れて、すぐ町へ戻るわけにはいかなかった。
追っていた男たちが町に仲間を持っている可能性もあるし、そもそもルナ自身が人目を避けたがっていた。だからその日は森の中で一晩やり過ごすことになった。
「火、だめ」
ルナが即座に首を振る。
「見つかる」
「だよな」
俺もガレスから得た簡単な野営知識のおかげで、火が目立つ危険くらいは分かる。
結局、乾いた草を敷いて、大木の根元に身を寄せるだけの野宿になった。
日が落ちると、森は一気に冷えた。
日本の春先の夜みたいな寒さだが、疲労した身体には堪える。
ルナは木の幹にもたれたまま、じっと周囲を警戒していた。
獣の耳がぴくぴくと動いている。
「少し休めよ」
「コーイチこそ」
「俺は人の気配、そこまで分からないから」
「だから、ルナがみる」
頼もしいような、年齢相応じゃなくて複雑なような返事だった。
しばらく沈黙が続いたあと、俺は静かに聞いた。
「追ってた連中、何者なんだ」
「奴隷商の手下」
予想通りの答えだった。
「ルナ、前に捕まった」
「……」
「売られるまえに逃げた。でも、また見つかった」
淡々とした口調だった。
慣れたように話すのが、逆につらい。
「獣人って、そこまで簡単に奴隷にされるのか」
「人間の国では、ある」
「ある、って……」
「ぜんぶじゃない。でも多い」
拳が自然と握られる。
この世界の常識はまだ分からない。
けれど、少なくとも胸糞悪い話だということだけは理解できた。
「悪かった」
「なんで?」
「聞きたくないこと思い出させたなら」
「……へんなひと」
またそれだ。
ルナは少しだけ目を細める。
「ふつう、人間はルナ見ても、かわいそうって顔するか、こわいって顔する」
「俺は?」
「どっちでもない」
自分ではよく分からなかった。
ただ、目の前の相手を“可哀想な獣人”みたいに見るのは違う気がしただけだ。
「それより」
ルナがこちらを見た。
「さっき、コーイチ、変だった」
「変?」
「急に強くなった」
図星すぎて苦笑する。
「俺もそう思う」
「職業?」
「……ない」
「うそ」
即答された。
「いや、本当にないんだ。少なくとも鑑定では」
「でも、ある」
「あるように見える?」
「見えるっていうか……へんなにおい」
「におい?」
ルナは自分の鼻先を指した。
「人の職業のにおい、ちょっとずつ混ざってる」
「そんなの分かるのか」
「なんとなく」
獣人の感覚ってやつだろうか。
自分では見えないものを、ルナは感じ取っているらしい。
「もしかして、触った相手の力を少し使えるのか?」
「……たぶん」
俺は思い切って言ってみた。
「さっき、お前の手を掴んだ時も、何か来た」
「ルナの?」
「ああ。速く動く感じとか、踏み込みとか」
「月牙闘士だから」
「げつが……?」
「ルナの職業」
月牙闘士。
初めて聞くが、いかにも近接戦闘系の名前だ。
「その職業の力を、俺が?」
「たぶん、少しだけ」
そう言ってルナは立ち上がった。
「ためす?」
「今?」
「今」
彼女は数歩離れると、軽く拳を構えた。
月明かりに照らされたその姿は、小柄なのに妙に隙がない。
「触って」
「え」
「平気。ルナ、殴らない」
それは信用していいのか微妙だが、試さない理由もない。
俺は近づき、そっとルナの腕に触れた。
瞬間。
今までで一番鮮明な感覚が流れ込んできた。
脚力。
体幹。
地面を蹴る時の爆発力。
爪先から膝、腰、肩までを一連の流れで連動させる戦い方。
「――っ!」
思わず息を呑む。
「どう?」
「すごい……」
「ルナの、わかった?」
「少しだけ」
試しに一歩踏み出してみる。
するといつもより身体が軽い。ほんの少しだが、地面を蹴る感覚が違う。
「これ、身体強化に近いのか」
「月牙闘士は、体つよくする。速く、鋭く」
「なるほどな……」
完全には扱えない。
でも、感覚の断片は確かにある。
俺はさらに手を引いて軽く拳を出してみた。
軌道が自然にまとまる。力を効率よく乗せる形が、感覚として分かった。
「すごい」
「コーイチ、ほんとにへん」
褒めてるのか貶してるのか分からないが、ルナの耳が少し立っていたので悪い意味ではなさそうだ。
その時だった。
ルナの耳がぴくりと震えた。
「来る」
「追手か?」
「うん。三人……いや、四人」
早い。
俺たちは即座に身を低くした。
少しして、草を踏み分ける音が近づいてくる。
「この辺だ!」
「匂いが消えてねえ!」
さっきの男たちの声だった。
しかも数が増えている。
「どうする」
俺が小声で聞く。
「逃げる?」
「……いや」
ルナは低く唸るように言った。
「また追われる。ここで減らす」
その言葉に、一瞬躊躇した。
けれど彼女の目は本気だった。
俺だって、いつまでも逃げ切れるとは思っていない。
なら、ここで少しでも追手を削る方がいい。
「分かった。やる」
「コーイチ、後ろ」
「了解」
簡単に役割を決める。
ルナは正面から崩し、俺が横や死角を突く。
追手の一人が茂みをかき分けた瞬間、ルナが飛び出した。
「っらぁ!」
小さな身体が弾丸みたいに突っ込む。
男の顎に拳が入った。
「ごっ!?」
同時に俺も左側の男へ回り込み、さっき写した短剣使いの感覚で手首を払う。刃が逸れ、体勢が崩れる。そこへ腹へ膝を叩き込んだ。
「ぐっ……!」
「いたぞ! 二人ともだ!」
残り二人が武器を構える。
一人は剣。
もう一人は槍。
まずい。さすがに武器の差が大きい。
だがルナが地面を蹴った。
低く、速く、獣みたいに滑り込む。槍の男の足元を狙って回転気味の蹴りを放ち、膝を払う。
「なっ!?」
「今!」
叫ばれて、反射的に動いた。
剣の男へ踏み込み、掴む。
触れた瞬間、粗い剣技の感覚が流れ込む。
――使える。
振り抜きの癖が分かる。
俺は半歩内側へ入り込み、肘で胸を押して軌道を潰した。
「くそっ!」
男が苛立って力任せに振り払おうとする。
そこでルナが背後から首筋へ手刀を叩き込んだ。
男が崩れ落ちる。
残った一人は、周囲を見て舌打ちした。
「このガキども……!」
けれど、仲間が三人倒れたのを見て戦意が揺いだらしい。
俺が一歩前に出ると、男は後ずさった。
「まだやるか」
自分でも少し驚くほど、落ち着いた声が出た。
男は俺とルナを交互に見て、結局踵を返した。
「覚えてろ!」
その捨て台詞が遠ざかっていく。
ようやく緊張が切れ、俺は大きく息を吐いた。
ルナも肩で息をしている。
「……勝った、のか」
「うん」
ルナは少し得意げに顎を上げた。
「ルナ、つよい」
「知ってる」
素直に言うと、彼女は一瞬きょとんとしてから、ほんの少しだけ照れたように視線を逸らした。
その後、倒れた男たちの様子を確認する。
死んではいない。気絶しているだけだ。
「これで少し時間は稼げるな」
「コーイチも、思ったよりつよい」
「思ったより、か」
「でもまだよわい」
「否定できない」
苦笑すると、ルナが小さく笑った。
異世界で追放され、行き場を失った俺。
奴隷商に追われて森を逃げる獣人の少女。
ひどい組み合わせだ。
でも今は、それでもいいと思えた。
少なくとも一人じゃない。
それだけで、夜の冷たさが少しだけ和らいだ気がした。




