第72話 空位の器、拡張
神崎の結界術は、今まで見てきたどの術者とも違っていた。
派手じゃない。
だが、無駄がなく、逃げ道を潰すことだけに特化している。
「右、塞がれた!」
玲奈が叫ぶ。
「左も!」
ルナが低く返す。
床だけじゃない。壁際、天井近く、柱の影。見えにくい位置に補助式が仕込まれている。最初からこの回廊そのものが罠だったのだ。
「相沢」
神崎が淡々と言う。
「君は触れて学ぶ。なら学ぶ余地ごと潰せばいい」
本当に嫌な奴だ。
だが、そこで終わるならここまで来ていない。
俺は結界の走る床を見た。術式の流れ。節点。補助のつなぎ目。今までは人からしか拾えないと思っていた。だが旧神殿でも、召喚残滓でも、術そのものから“感覚”を拾い始めていた。
なら――。
「コーイチ?」
ルナがこちらを見る。
「少し無茶する」
「いつもしてる」
「今回は特にだ」
俺は結界の走る柱へ手を伸ばした。
「相沢!」
美咲さんが止める。
「それは――」
触れた瞬間、視界が白く焼けた。
人の職能とは違う。もっと硬質で、理そのものに近い感覚。
封鎖、分岐、誘導、拘束。
神崎が組んだ回廊全体の“考え方”みたいなものが、一気に流れ込んでくる。
「――っ、が……!」
頭が割れそうだ。
だが分かる。
結界は完璧じゃない。複雑だからこそ、中心を外せば一部が連鎖的に緩む。
「そこか」
俺は低く呟き、床の一点へ踏み込んだ。
神崎の目が初めてわずかに見開かれる。
「まさか……」
短剣を逆手に持ち、補助式の継ぎ目へ突き立てる。壊すというより、流れをずらす。
ぱき、と乾いた音がした。
次の瞬間、回廊右側の拘束光が一斉に揺らいだ。
「玲奈! 右が薄い!」
「了解!」
玲奈の矢が走る。緩んだ結界の節へ正確に突き刺さり、連鎖的に光が崩れた。
ルナがそこへ飛び込む。
「開いた!」
神崎がすぐに次の術式を起こそうとする。
だがその手首へ、今度は俺が踏み込んだ。
触れる。
流れ込む。
賢王参謀の術理。戦場全体を盤面として扱う感覚。敵を動かして、勝手に詰ませるための思考。
重い。鋭い。嫌になるほど神崎そのものだった。
「……君は」
神崎の声が初めて揺れる。
「そこまで届くのか」
「こっちだって」
息を荒げながら返す。
「いつまでも、あんたの盤の上にいるつもりはない」
触れた瞬間、今までよりはっきり分かった。
空位の器は、ただ断片を蓄積するだけじゃない。
人の技能だけでなく、術式の構造や、仕組みそのものまで受け入れ始めている。
拡張している。
王国が危険視した理由を、俺自身がいま理解し始めていた。




