第41話 空白の器(改編)
アストラの夜は遅い。
倉庫の一角に集まった面々が帰った後も、俺は一人で木箱に腰掛けていた。薄暗い室内には、酒と鉄と埃の匂いが残っている。
無職の旗。
半分は冗談みたいに出た名前だった。けれど今は、その言葉が妙に胸に残っていた。
王国に捨てられた無職。
それが俺だったはずだ。
でも、今は違う。
少なくとも、ただ捨てられたままで終わるつもりはない。
「まだ起きてるの?」
振り向くと、フィリアが書板を抱えて立っていた。相変わらず無遠慮な目だ。
「研究者って夜型なんですね」
「あなたを観察したいだけよ」
さらっと言われると腹も立たない。
フィリアは向かいの箱へ腰掛けると、何枚かの羊皮紙を広げた。
「この前の話の続き。あなたの力について、少し整理できたわ」
「ぜひ聞きたいですね」
「ええ。結論から言うと、あなたは“職業を持たない”んじゃない」
「……」
「正確には、“固定の職業枠を持たない”」
その言い方に、思わず身を乗り出す。
「枠がない?」
「普通の人間は、生まれつき魂に職業の座があるの。そこに一つの役割が定着する。剣士なら剣士、治癒師なら治癒師。多少の派生はあっても、基本は一つの器に一つの職よ」
フィリアはそこで、俺を見る。
「でもあなたには、その“座”が見えない。代わりに、空の器みたいなものがある」
「空の、器」
「ええ。だから固定されない。だから他人の職能断片が入り込む」
王城で言われた“空白”。
それは無価値の意味じゃなかったのかもしれない。
ただ、空いていただけ。
「それって……異常なんですか」
「異常も異常よ。少なくとも私は記録で見たことがない」
ですよね、としか返せない。
フィリアは羊皮紙の一枚を指で叩いた。
「ただし、理屈は通る。職業とは本来、魂に刻まれた役割の固定化。その固定がないなら、逆に他の役割を一時的に受け入れられる」
「俺の力は、やっぱりコピーに近い?」
「コピーというより、“受容と蓄積”ね。奪ってるわけじゃない。相手の職業そのものを剥がしてるなら、もっと大騒ぎになってる」
そこは少し安心した。
奪っているわけではない。
少なくとも、今のところは。
「問題は容量よ」
「容量?」
「器なら、当然限界があるかもしれないでしょう」
その一言で、背筋がひやりとした。
確かに考えたことはあった。触れて、写して、積み重ねる。その先に何があるかは、まだ分からない。
「入りすぎたら、どうなるんですか」
「分からない」
「そこは分からないんだ」
「前例がないって何度言わせるの」
フィリアは呆れたように肩をすくめた。
「でも一つだけ言える。あなたのそれは、ただの戦闘向け技能じゃない。職業という仕組みそのものの外側にいる」
「王国が気味悪がるわけだ」
「ええ。しかも、もしそれを制御できれば……」
そこで言葉を切る。
「できれば?」
「職業社会そのものへの干渉が可能になるかもしれない」
冗談みたいな話だった。
でも、冗談とも言い切れない。
王国が俺を捨て、そして回収しようとした理由としては十分すぎる。
その時、倉庫の扉がきしんで開いた。
ルナだった。眠そうな顔のまま、こっちへ歩いてくる。
「まだやってる」
「お前こそ起きてたのか」
「コーイチいないと、少し気になる」
そう言って俺の隣に座る。距離が近い。
フィリアが面白そうに目を細めた。
「なるほど。観察対象の周辺環境も賑やかね」
「余計なお世話です」
「褒めてるのよ」
絶対違う。
ルナはフィリアをじっと見てから、俺に聞く。
「何かわかった?」
「ああ。俺の力、たぶん“職業なし”じゃない」
「うん」
「“空っぽだから入る”らしい」
「……コーイチっぽい」
「どういう意味だよ」
「なんでも入れそう」
ひどい。否定しづらいけど。
フィリアがふっと笑う。
「いい名前が必要ね」
「名前?」
「その力の。無職とか空白とか、王国側の呼び方じゃなくて」
俺は少し考える。
空っぽの器。
固定されない器。
他人の役割を受け入れる、空位の座。
「……空位の器」
「悪くないわね」
フィリアが頷く。
「少なくとも、本質には近い」
ルナも小さく頷いた。
「うん。コーイチの力、それ」
空位の器。
誰にも与えられなかった名前を、今ようやく自分で持てた気がした。




