第30話 無能と呼ばれた男
討伐隊を振り切ったあと、俺たちはラドスには戻らなかった。
もう戻れない。
王国が正式に“排除可能”と通達した以上、あの町にいればギルドや町の人間まで巻き込む。
だから最低限の荷をまとめ、ガレスとマリナさんへ短い別れだけ伝えて、その日のうちに街道を南へ外れた。
「見送りくらい、させろ」
そう言ったガレスは、いつも以上に不機嫌そうだった。
「途中まで案内する。お前らだけじゃ、変なとこで死ぬ」
「ありがとうございます」
「礼はいい。貸しが増えるだけだ」
マリナさんは最後に、保存食と予備の矢を持たせてくれた。
「ここから先は、本当に楽じゃないわ」
「分かってます」
「それでも生き残りなさい」
短いが、十分だった。
ラドスを離れて半日ほど歩いた頃、ようやく人心地つく。
道なき道を選び、見張りを交代しながら野営地を決める。
焚火の前で、玲奈がぽつりと言った。
「……これで、もう完全に指名手配ですね」
「実質そうだな」
俺は苦笑する。
「無職のくせに大した出世だ」
「笑えないです」
「まあな」
でも、少しだけ可笑しくもあった。
王国にとって俺は、最初は“職業なしの無能”だった。
それが今では、わざわざ騎士団を出して捕まえに来る程度には厄介な存在になっている。
皮肉だ。
でも悪くない。
翌日、街道沿いの小さな町で水と食料を補給した時、その噂はもう広がり始めていた。
「聞いたか?」
「王国が追ってる異世界人の話だろ」
「無職のくせに騎士団相手に逃げ回ってるとか」
「しかも聖女候補二人まで連れてるってよ」
「色男か?」
「いや、危険人物らしいぞ」
好き勝手言われている。
だが完全に嘲笑一色ではなかった。
「王国がそこまで本気になるってことは、何かあるんだろ」
「無能なら最初から捨てときゃいいのにな」
「それを今さら追うってことは……なあ」
疑い。好奇心。恐れ。
色々な感情が混ざって噂になっている。
俺はフードを目深に被り直し、その会話を聞き流した。
隣でルナが小さく鼻を鳴らす。
「有名人」
「なりたくてなったわけじゃない」
「でも、ちょっとだけざまあ」
「……否定できないな」
王国が“無能”と切った男が、今は王国の厄介事そのものになっている。
それだけを考えれば、確かにざまあではあった。
夜、再び野営地で地図を広げる。
ガレスが教えてくれた自由都市アストラへの道筋。王国の影響が薄く、人間も亜人も入り混じる中立地帯。
「次はここだな」
俺が言うと、美咲さんが頷いた。
「ええ。王国が手を伸ばしにくい場所へ」
「……アストラなら、少なくとも正面から兵は動かしにくい」
玲奈も地図を覗き込む。
「でも、そのぶん無法も多いって聞きました」
「だろうな」
「ルナ、そういうとこ嫌いじゃない」
「頼もしいような不安なような」
少しだけ笑いが零れる。
こういう瞬間があると、緊張しっぱなしだった空気がほんの僅かに緩む。
焚火の火を見つめながら、俺は静かに思った。
追放された日、王都の門を出た時は本当に終わりだと思った。
銀貨十枚だけ握らされて、異世界で一人で、無職で。何の価値もないみたいに捨てられたと思った。
でも違った。
俺はまだここにいる。
仲間もいる。力もある。
そして王国は、もう俺を無視できない。
王国にとって俺は、ただの“無能”ではなくなった。
それだけでも、十分に意味があった。
少し離れた場所で見張りをしていた美咲さんが、こちらを振り返る。
「相沢さん」
「何ですか」
「これから先、もっと大変になると思う」
「でしょうね」
「それでも……逃げ切るだけじゃ終わらせたくないわ」
その言葉に、俺は少しだけ目を細めた。
「俺もです」
「先輩」
玲奈が顔を上げる。
「じゃあ、次は」
「次は、王国の好きにさせないための場所を作る」
口にしてみると、不思議なくらいしっくりきた。
もうただ追われるだけじゃない。
生き延びるだけでもない。
無能と呼ばれた男が、王国にとって無視できない存在になったのなら。
次はその先へ行くしかない。
火の向こうで、ルナが小さく笑った。
「いい顔」
「そうか?」
「うん。ちょっとだけ、強い顔」
だったら悪くない。
王国に捨てられた無職。
でも今は、そう呼ばれるだけで終わるつもりはなかった。




