第3話 追放と銀貨十枚
結論は、思ったより早く出た。
召喚された翌日の昼過ぎ。
俺は再び騎士に呼ばれ、昨日とは別の部屋へ通された。
今度は小さな応接室だった。
窓からは王都らしき街並みが見える。白い石造りの建物が整然と並び、人々が小さく行き交っていた。
あの中に放り出されたら、俺は生きていけるんだろうか。
そんなことを考えていると、向かいの席に宰相バルディスが座った。
後ろには騎士が二人。逃げ道はない。
「待たせたな、相沢恒一殿」
「いえ」
宰相は机の上に小さな革袋を置いた。
ちゃり、と硬貨の触れ合う音がする。
その時点で、嫌な予感は確信に変わった。
「結論から言おう。貴殿を王城に留め置くことはできん」
「……やっぱり」
驚きはなかった。
むしろ、妙に納得した。
宰相は変わらず事務的な口調で続ける。
「貴殿の身柄を拘束することも検討したが、敵意が確認されたわけではない。加えて、異世界から招いた者を不当に扱ったと知られれば、他の四名との関係にも悪影響が出る」
「だから追い出す、と」
「自主的に城を離れてもらう、と理解してほしい」
言葉選びだけは綺麗だ。
俺は机の上の革袋を見た。
「その中身は?」
「銀貨十枚。王都近郊でなら、倹約すれば十日ほどは生きられる額だ」
「十日」
思わず笑いそうになった。
異世界人を勝手に召喚しておいて、職業が見えなかったら銀貨十枚で放り出す。
とんでもない国だ。
「……俺が断ったら?」
「断る権利はある。だがその場合、厳重な監視下に置くことになる」
つまり軟禁だ。
どちらにせよ、都合の悪い存在として処理するだけ。
胸の奥がじわじわ冷えていく。
「召喚した責任は取らないんですね」
「責任は取っている」
宰相は即答した。
「最低限の路銀を渡し、国外追放ではなく自発的退去として扱う。これ以上を望まれても困る」
ここまで堂々と切り捨てられると、逆に感心する。
そこへ、慌ただしい足音が近づいてきた。
次の瞬間、応接室の扉が開く。
「待ってください!」
飛び込んできたのは玲奈だった。
その後ろに美咲さん、さらに少し遅れて大雅と神崎さんもいる。
「玲奈、下がりなさい」
「下がれません! なんで先輩だけ追い出されるんですか!?」
玲奈は宰相へ食ってかかるように詰め寄った。
騎士がすぐ動こうとするが、宰相は手で制する。
「篠宮殿。これは王国として熟慮した結果だ」
「そんなの、ただ厄介払いしたいだけじゃないですか!」
「玲奈!」
美咲さんが止める。
けれど彼女自身も、強張った顔のまま宰相を見据えていた。
「……せめて、もう少し保護期間を設けてください。相沢さんはこの世界のことを何も知らないんです」
「朝倉殿。そなたは貴重な戦力だ。まず自分の立場を理解していただきたい」
「それとこれとは別です!」
美咲さんがここまで強く言うのを、会社でもあまり見たことがなかった。
その声には明確な怒りが混じっていた。
でも宰相は揺れない。
「別ではない。貴殿ら四名は王国の庇護下で育成せねばならぬ。一方、相沢恒一殿は職業不明のまま。資源を割く優先順位が違う」
「資源、って……」
玲奈が絶句する。
人じゃなく、物みたいな言い方だった。
大雅がそこで口を開いた。
「いや、でもさ。もう少し様子見てもいいんじゃないですか? なんかこう、後から能力出るとかあるかもしれないし」
「可能性だけで国家は動かん」
ばっさりだった。
大雅は口をつぐむ。
神崎さんは腕を組んだまま、冷静な顔で状況を見ていた。
「神崎さん」
俺はそちらを見た。
「あなたも、これが妥当だと思いますか」
一瞬、神崎さんの目が揺れた。
だがそれもほんのわずかで、すぐいつもの理性的な表情に戻る。
「……感情としては納得しきれない」
「でも?」
「今の状況で、王国に逆らうのは得策じゃない。少なくとも、君一人のために全員の立場を危うくするべきではない」
やっぱり、そう来るか。
組織としては正しい。
多数の利益のために少数を切る。
会社でも何度か見てきた理屈だ。
ただ、いざ自分が切られる側になると、ひどく寒々しい言葉に聞こえる。
「要するに、俺は切り捨ててもいいってことですね」
「そういう言い方をするな」
「でも意味は同じでしょう」
神崎さんは何も返さなかった。
沈黙の中、玲奈が俺の袖を掴んだ。
「先輩、こんなの受け入れなくていいです。私、絶対に――」
「玲奈」
俺は静かにその手を外した。
「ここでお前が騒いでも、たぶん状況は変わらない」
「でも……!」
「分かってる」
分かってるんだ。
玲奈が本気で怒ってくれていることも。
美咲さんが庇おうとしてくれていることも。
でもそれ以上に、分かってしまう。
二人とも、結局はここに残るしかない。
残らなければ生きていけないし、力も立場もまだ王国の中にしかない。
俺だけが、最初からその輪の外だった。
「相沢さん……」
美咲さんの声は震えていた。
「ごめんなさい、私……」
「謝らなくていいです」
本心だった。
謝られても、どうにもならないから。
宰相が革袋をこちらへ押し出す。
「受け取ってもらおう」
「……分かりました」
俺はそれを手に取った。
思ったより軽い。たぶん、本当に銀貨十枚しか入っていない。
その重さが、妙に現実的だった。
異世界に召喚された俺の価値は、銀貨十枚。
少なくともこの王国にとっては。
「城門までは案内をつける。それ以後は自由だ」
「随分親切ですね」
「我が国は理不尽を好まぬ」
さすがに、それには笑った。
「十分理不尽ですよ」
宰相は眉一つ動かさなかった。
◇
王城を出るまで、ほとんど言葉はなかった。
前を歩く騎士二人。
後ろからついてくる美咲さんと玲奈。大雅と神崎さんも少し距離を置いている。
豪華だった城内の廊下が、今はひどく冷たく見えた。
途中、玲奈が何度も何か言おうとしては飲み込んでいた。
美咲さんも同じだった。
城門が近づく。
巨大な門の向こうには、石畳の大通りと、見知らぬ王都の景色が広がっていた。
賑やかなはずなのに、俺にはやけに遠く感じる。
「……ここまでだ」
騎士が足を止める。
ついに本当に終わりらしい。
「先輩!」
玲奈が堪えきれず俺の前に出た。
「せめて、どこか落ち着く場所が見つかるまで私――」
「行くな、篠宮殿」
背後から騎士の低い声。
玲奈がびくりと肩を震わせる。
「でも!」
「命令だ」
その一言で、空気が凍った。
美咲さんが玲奈の肩を抱く。
自分だって飛び出したいはずなのに、そうできないのが見ていて分かった。
大雅は気まずそうに視線を逸らし、神崎さんは厳しい顔のまま黙っていた。
俺は四人を順番に見た。
たった一日で、ずいぶん遠くに行った気がする。
同じ場所に立っていたはずなのに、もう違う世界の人間みたいだった。
「じゃあ」
口にした声は、自分でも驚くくらい落ち着いていた。
「元気で」
「相沢さん……!」
「先輩……!」
玲奈が泣きそうな顔をする。
美咲さんも唇を噛みしめていた。
神崎さんが何か言いかける。
「相沢、君は――」
「大丈夫ですよ」
遮ったのは俺だった。
「どうせ、やるしかないんで」
強がりだった。
本当は全然大丈夫じゃない。むしろ怖い。知らない世界で、一人で、金はわずかしかない。普通に考えて詰んでいる。
それでも、ここで惨めにすがりつくのだけは嫌だった。
俺は踵を返し、門の外へ出る。
背中に視線が刺さる。
けれど振り返らなかった。
石畳を数歩進んだところで、門が重々しく閉じる音がした。
どん、と。
それはまるで、世界から締め出される音みたいだった。
◇
王都の通りをしばらく歩いて、ようやく俺は足を止めた。
革袋の中身を確認する。
本当に銀貨十枚だけだ。
「……これで、本当に一人か」
誰に聞かせるでもなく呟く。
返事はない。
当然だ。
行き交う人々は俺をちらりと見るが、すぐに興味を失って通り過ぎていく。
服装が違うから多少は目立つ。だが、この街にとって俺はそれだけの存在だ。
王国にとっても、結局そうだったのかもしれない。
使えるなら拾う。
使えないなら捨てる。
昨日まで会社員だった男が、異世界でまでそんな扱いをされるとは思わなかった。
「……笑えねえな」
でも、立ち止まっていても仕方ない。
まずは宿か。
いや、物価が分からない以上、安易に使えない。食料と水も確保しないといけない。王都にいるのが安全かどうかすら怪しい。
考えることは山ほどある。
なのに、知識が何もない。
圧倒的な情報不足と孤独。
胃のあたりがじわじわ痛んだ。
空を見上げる。
異世界の空も、青いことだけは日本と同じだった。
「……生きるしかないか」
銀貨の入った革袋を握りしめる。
どれだけ惨めでも、切り捨てられても、ここで野垂れ死ぬのだけはごめんだった。
王国にとって俺が銀貨十枚の価値しかないとしても、俺自身までそう思うつもりはない。
そうして歩き出した時だった。
不意に、背後でひそひそとした声が聞こえた。
「……あれか?」
「らしいぞ。城から出された異世界人ってのは」
振り向くと、路地裏の影に男が二人立っていた。
薄汚れた服、値踏みするような目。
ぞくり、と背筋が冷える。
王城を追い出された直後の、見るからに土地勘のない余所者。
しかも最低限の金は持っている。
狙われる理由としては十分すぎた。
男の一人が、にやりと笑う。
「兄ちゃん、ちょっと話しようや」
その笑みを見た瞬間、嫌な予感が確信に変わる。
――王国の外は、たぶんもっと優しくない。




