第21話 再会
翌朝、宿場町の空気は妙に澄んでいた。
昨夜ほとんど眠れなかった俺は、安宿の狭い部屋で身支度を整えながら、窓の外を見ていた。人の行き交いは多いが、王都ほどせかせかしていない。商人、旅人、護衛の冒険者。その中に、王国の目も混ざっているのだろうと思うと落ち着かなかった。
「……ほんとに行くんだね」
ルナがベッドの端に腰掛けたまま言う。
「行く」
「やっぱり反対」
「知ってる」
短く答えると、ルナは不満そうに耳を伏せた。
「でも、一人じゃ行かせない」
「助かる」
「助かるなら、もっと感謝して」
「してるよ」
少しだけ口元が緩む。
こういう軽口があるだけで、張り詰めていたものがわずかに和らぐ気がした。
指定された場所は、宿場町の外れにある小さな茶店だった。王国の施設ではなく、人目もある。完全な罠にしては露骨じゃないが、逆に“安心させるため”とも考えられる。
俺とルナは少し早めに現地へ向かい、周辺を確認した。逃げ道は三つ。裏手の小路、店の横の荷運び通路、少し離れた馬屋の柵越え。昨日のうちに見ておいた通りだ。
「……二人」
ルナが小さく呟く。
「中にいる?」
「ううん、外。見張ってる」
やっぱりか。
茶店に入る前、俺は一度だけ深呼吸した。
心臓が妙にうるさい。
戸を開ける。
店内の奥、窓際の席に二人の女が座っていた。
朝倉美咲。
篠宮玲奈。
一瞬、時間が止まった気がした。
美咲さんは以前よりずっと整った服を着ていた。淡い色の上衣に、上質そうな布地。けれど表情は疲れて見える。
玲奈も華やかな装いだが、目元には薄く隈があった。
そして二人とも、俺の顔を見た瞬間に立ち上がった。
「相沢さん……!」
「先輩……!」
声が重なる。
昨夜、窓越しに見た時よりずっと近い。
確かにここにいる。生きている。あの日、城門の向こうで切れたはずの繋がりが、無理やりまた手元に戻ってきたみたいだった。
でも、すぐにそんな感傷は引っ込む。
「久しぶりです」
俺はできるだけ平坦に言った。
「元気そうで何より」
その一言に、美咲さんの顔が僅かに曇る。
玲奈は唇を噛んだ。
ルナが俺の少し後ろに立つ。視線は二人へ向けられたまま、警戒を解いていない。
「座っても、いいですか」
美咲さんが問う。
「立ち話でも困るでしょうから」
頷いて席につく。
四人掛けの机。俺の隣にルナ、向かいに美咲さんと玲奈。店のざわめきはあるのに、この席の周りだけ別の空気みたいだった。
先に口を開いたのは美咲さんだった。
「……まずは、ごめんなさい」
まっすぐに頭を下げる。
「あの日、止められなかった。庇いきれなかった」
玲奈も続けて頭を下げた。
「私もです。先輩、あの時……何もできなくて、ごめんなさい」
謝罪。
予想していた。していたはずなのに、実際に聞くと胸の奥が鈍く痛む。
「謝られても、どうにもならないですよ」
口から出た声は思ったより冷たかった。
「俺は実際に追い出されたし、その後も普通に死にかけました」
玲奈の肩がびくりと揺れる。
美咲さんは顔を上げず、静かに受け止めていた。
「分かってるわ」
「……本当に?」
「ええ。分かってるつもり。だからこそ、今さら許してなんて言えない」
その言い方に、少しだけ息が詰まる。
綺麗な言葉で誤魔化さないのは、この人らしかった。
玲奈が顔を上げる。
その目は少し赤い。
「でも、先輩……生きててよかった」
「玲奈」
「だって、本当にそうなんです。ずっと分からなくて、王国の人たちは何も教えてくれなくて、もう……」
そこまで言って、玲奈は言葉を詰まらせた。
見ていられなくて、俺は視線を外した。
簡単に絆されるつもりはない。けれど、全く何も感じないわけでもない。そこが厄介だった。
「話したいことって?」
俺は本題を促した。
「わざわざ手紙を寄越したんだから、それだけじゃないですよね」
美咲さんは頷く。
「王国が、あなたをもう一度確保しようとしている」
「やっぱり」
「事情聴取なんて名目だけ。実際は拘束して、調べるつもりよ」
玲奈がすぐ続ける。
「先輩が国境で動いてること、王国はもう知ってます。しかも魔人側と接触したことまで掴んでるみたいで……」
「情報、早いな」
「神崎先輩が絡んでると思う」
玲奈が苦い顔で言う。
「最近、王国の上の人たちとかなり近いんです」
神崎。
あの人なら、状況を“合理的に”整理して俺を危険判定するだろう。
「大雅は?」
聞くと、二人は一瞬だけ顔を見合わせた。
「剣聖として持ち上げられてる」
玲奈が言う。
「でも、最近は少し変。前みたいに単純に浮かれてる感じじゃない」
「それでも、王国側ではあるんでしょう」
「……今のところは」
曖昧な答えだった。
俺は机の上で指を組んだ。
「じゃあ今日は何だ。王国の罠だって教えてくれるためだけに呼んだんですか」
「それもある」
美咲さんが言う。
「でももう一つ。私たち自身のことも伝えたかった」
その声が、少しだけ低くなる。
「王国は私たちを守ってるんじゃない。使おうとしてる」
「気づいたのは最近か」
「……遅かったわ」
そう言って、美咲さんは苦く笑った。
「最初は、召喚された混乱もあったし、あなたのこともあって……正直、それどころじゃなかった。でも時間が経つほど、王国の“優しさ”が全部管理だって分かってきたの」
「私もです」
玲奈が身を乗り出す。
「外出は制限されるし、会う人も選ばれるし、何か聞くたびにはぐらかされる。あれ、絶対おかしい」
ルナがそこで初めて口を開いた。
「でも、二人は残った」
短い言葉だった。
「コーイチ、外に出された時」
空気が少し張る。
玲奈が言い返しかけて、言葉を飲み込んだ。
美咲さんが代わりに静かに答える。
「その通りよ」
「先輩……」
「言い訳はできない。私は残ったし、玲奈も残った。結果的に、相沢さんを一人にした」
ルナはじっと二人を見ていたが、それ以上は追及しなかった。
ただ、警戒が完全に消えたわけではないのが分かる。
俺は湯気の立たない冷めた茶を一口飲んだ。
苦い。
「……俺、まだ簡単には許せませんよ」
率直に言う。
「生きててよかったって言われても、じゃああの時何でって思うし、今だってどこまで信じていいか分からない」
美咲さんは静かに頷いた。
「うん。それでいいと思う」
「先輩」
「でも、私たちはもう王国を信じてない。それだけは本当」
玲奈の声も震えていたが、嘘ではなかった。
「もし王国が本気で先輩を捕まえるなら、私……もうあっちには戻りたくない」
その言葉に、俺は一瞬だけ目を細めた。
「簡単に言うなよ」
「簡単じゃないです」
「分かってる。でも、“戻りたくない”と“戻れない”は違う」
玲奈は言葉を失う。
たぶん自分でも分かっているのだろう。王国を離れるということは、ただ感情で済む話じゃない。
その時だった。
ルナの耳がぴくりと動いた。
「……来る」
「何が」
「外、増えた。気配」
俺も遅れて違和感に気づく。
店の外の空気が変わった。人の流れが妙に偏っている。
美咲さんの顔が強張る。
「まさか……」
「つけられてたのか?」
「分からない。でも、あり得る」
玲奈が青ざめる。
「神崎先輩……」
やっぱり、そう簡単には終わらない。




