第17話 深紅の魔人
翌朝、俺とルナは林のさらに奥へ入った。
村人たちには、危なくなったらすぐ戻ると伝えてある。だが正直、危ないことになる予感しかなかった。
林を抜けると、地形は少しずつ荒れていった。土は踏み固められ、ところどころに荷車の轍が残っている。村人が使うには不自然な太さだった。
「人、多い」
ルナが低く言う。
「何人くらい分かる?」
「いっぱい。昨日より多い」
俺は木陰に身を寄せ、気配を探る。
まだ曖昧だが、確かに複数の人の存在を感じる。しかも、そのうちいくつかは規則正しく配置されている。
兵士の陣形。
そんな単語が頭をよぎった時だった。
「止まれ」
鋭い声。
次の瞬間、木々の間から数人の武装した影が現れた。
人間じゃない。
肌の色はやや褐色がかり、角を持つ者もいる。装備は黒と赤を基調とした軍装。目つきは鋭く、明らかに戦場慣れしている。
「……魔人?」
思わず呟く。
王都で断片的に聞いた知識が蘇る。
人間国家群と対立する、亜人国家の一角――魔人皇国。
その先頭に立っていた女が、一歩前へ出た。
深紅の長髪。
黒い軍装の上からでも分かる引き締まった体。
冷たい美貌に、黄金の瞳だけが強く光っていた。
「貴様ら、何者だ」
声もまた冷たかった。
「俺たちは冒険者です。ラドスから調査依頼で」
「嘘をつけ」
即答だった。
「その先にある痕跡を辿ってここへ来た時点で、ただの田舎冒険者では済まぬ」
鋭すぎる観察眼に、思わず息を呑む。
ルナが俺の前に半歩出る。
女の視線がルナへ向いた。
「獣人か」
「……」
「人間側の走狗ではないようだが、だからといって信用はできん」
周囲の魔人兵たちも武器を構えている。
完全にこちらを敵性と見ている空気だ。
「待ってください」
俺は両手を見せる。
「俺たちは村の魔物異常を調べていただけです。そっちこそ何をしてるんですか」
「答える義理はない」
女は一切揺れない。
そして次の瞬間、彼女の周囲に赤い光が集まった。
「――っ、来る!」
ルナが叫ぶ。
炎だった。
紅い魔力が槍のように収束し、一直線にこちらへ走る。
咄嗟に飛び退く。地面が爆ぜ、熱風が頬を打った。
「話し合う気ないのか!」
「王国の犬と話すことなどない」
深紅の女――将軍格らしきその魔人は、さらに一歩踏み込んだ。
魔力の圧が違う。今まで相手にしてきた盗賊や魔物とは格が違った。
「ルナ、下がるなよ!」
「うん!」
来る。
女は剣を抜いた。
刀身に紅い魔力が絡みついている。
初撃。
速い。見えたと思った瞬間、もう目の前だった。
盗賊の回避感覚、ルナの踏み込み、ガレスの重心意識。全部を無理やり繋いで、紙一重で逸らす。だが余波だけで腕が痺れた。
「ちっ……!」
「ほう」
女の目がわずかに細まる。
「今のを避けるか」
余裕だ。
こっちは避けるだけで精一杯なのに、向こうはまだ観察している。
ルナが横から飛び込む。
鋭い蹴り。だが女は半歩ずれてかわし、逆に肘でルナの軌道を崩した。
「ぐっ」
「獣人の動きとしては悪くない」
褒めてる場合かよ。
俺は短槍を投げ捨て、近距離へ踏み込む。触れれば何か取れる。そう思った。
だが女も甘くない。剣を振り上げると見せて、柄でこちらの肋を打ち抜いてきた。
「がっ……!?」
息が詰まる。
それでも倒れず、腕にしがみつくように触れた。
瞬間、流れ込む。
膨大な熱。
軍として鍛えられた剣技。
魔力操作。
指揮官としての戦場感覚。
「――っ、ああぁ!?」
重すぎる。
今までの断片とは比較にならない情報量に、頭が割れそうになる。
膝が折れかけた。
「コーイチ!」
ルナが叫ぶ。
女の目が、初めて明確な驚きを帯びた。
「貴様……」
その一瞬の隙に、俺は距離を取る。
呼吸が乱れる。視界がぶれる。
強すぎる相手の力は、写せても扱いきれない。
でも、断片だけでもヤバいと分かる。
女は剣を下げず、じっとこちらを見た。
「何の職業だ」
「……答える義理、ないだろ」
強がって返すと、女の口元がわずかに歪んだ。
笑ったのか、それとも呆れたのか分からない。
「面白い」
その一言と共に、再び魔力が膨れ上がる。
次は本気だ。
そう直感した時、林の向こうから別の声が飛んできた。
「将軍閣下! 東側で人間側の痕跡を発見しました!」
「……ちっ」
女が舌打ちする。
黄金の瞳が一度だけこちらを射抜いた。
「今は見逃す。だが次に会えば、敵として斬る」
「こっちだって、好きで会いたくない」
「なら国境に近づくな」
そう言い捨て、彼女は踵を返した。
魔人兵たちも素早く撤収していく。
その背を見送りながら、俺はその場に膝をついた。
「はぁ……っ、はぁ……」
「だいじょうぶ!?」
ルナが駆け寄る。
「死ぬかと思った」
「ルナも」
本気でそうだった。
しばらくして呼吸を整え、俺は立ち上がる。
「今のやつ、将軍って呼ばれてたな」
「つよかった」
「ああ……別格だ」
それでも収穫はあった。
あの女は、俺たちを王国側の工作員だと思った。つまりこの周辺で、王国と魔人皇国が何かしら水面下で動いているのは間違いない。
「戻るか」
「うん」
「これ以上は今の俺たちじゃ危険すぎる」
そう言いながらも、頭の奥にはさっき写した断片がまだ熱を残していた。
深紅の魔力。
軍人としての剣。
圧倒的な格の違い。
もしあれを少しでも扱えるようになれば――いや、今は考えるな。下手をすれば飲まれる。
村へ戻る道すがら、俺は一つだけ確信していた。
この異常は、単なる地方の魔物騒ぎじゃない。
国家同士の火種が、もうここまで伸びてきている。




