第13話 無職への嘲笑
討伐依頼を一つ終えただけで、世界が変わるわけじゃない。
それを実感したのは、ギルドへ戻ってからだった。
「おい、無職」
昼過ぎ、依頼掲示板の前で声をかけられる。
振り向くと、革鎧姿の若い男が二人立っていた。
以前からラドス支部にいる冒険者らしい。俺より少し年上か、同じくらいか。腕組みをして、こちらを見下ろす目に露骨な嘲りがある。
「何か」
「何か、じゃねえよ。最近ちょっと調子に乗ってるらしいな」
「牙犬を狩ったくらいで一人前気取りか?」
「別にそんなつもりはないですけど」
正直にそう返すと、二人は顔を見合わせて鼻で笑った。
「無職のくせに偉そうだな」
「つーか、あの獣人のガキのおかげだろ?」
「お前、自分は強いと思ってんのか?」
思っていない。
だがわざわざ否定してやる義理もない。
黙っていると、それが気に入らなかったのか、一人が肩を小突いてきた。
「聞いてんだよ」
「やめてください」
「なんだよ、怒った?」
「無職が怒ってるぞ」
周囲で何人かが苦笑する。
止める者はいない。
ギルドはこういう場所だ。
強い者、古株、声の大きい者の方が通りやすい。
ルナは今、町外れの廃屋で待っている。
連れてこなくてよかった、とまず思った。ここで彼女まで嫌な目に遭わせたくない。
「無職って、ほんとに職業ねえの?」
一人が面白がるように顔を寄せる。
「それでよく生きてんな。見世物小屋でも入るか?」
「……」
「おい、何とか言えよ」
また肩を押された。
腹の奥が熱くなる。
でもここで殴り返したら、面倒になるのはこっちだ。
俺は一歩引いて距離を取った。
「依頼を見る邪魔なんで、どいてもらえますか」
「は?」
「邪魔です」
一瞬、空気が止まる。
相手は露骨に顔色を変えた。
たぶん、言い返してくると思っていなかったのだろう。
「お前……」
「格好つけてんじゃねえぞ」
次に来る。
そう思った瞬間、自然と身体が備えていた。
右の男が胸ぐらを掴みに来る。
盗賊崩れから写した荒っぽい動きなら、その癖は読める。
半歩ずれて腕を流す。
相手の手首を軽く払うだけで、体勢が崩れた。
「なっ!?」
驚いた声。
倒しはしない。
ただ距離を作る。
もう一人がカッとなって踏み込んできたところで、低い声が飛んだ。
「そこまでにしとけ、阿呆ども」
ガレスだった。
酒場の奥の席から立ち上がり、面倒くさそうにこちらへ歩いてくる。
それだけで、絡んできた二人の顔が少し引きつった。
「ガレス……」
「ギルドで喧嘩すんなっつっただろ。脳みそ牙犬か」
「こいつが生意気で……」
「生意気なら何だ。お前らの方が仕事できんのか?」
痛烈だった。
二人は何か言い返そうとしたが、結局できずに舌打ちする。
「ちっ……行くぞ」
「覚えとけよ、無職」
ありがちな捨て台詞を残して去っていく。
正直、少しだけ助かった。
「ありがとうございます」
「礼を言う前に、もう少し上手く流せ」
「無理です」
「だろうな」
ガレスは鼻で笑い、近くの椅子を顎で示した。
「座れ」
促されるまま腰を下ろす。
ガレスは向かいに座り、酒ではなく薄い茶みたいなものを二つ頼んだ。
「苛立つのは分かる」
「……顔に出てましたか」
「出る。お前はまだ分かりやすい」
返す言葉もない。
「だがな」
ガレスは湯気の立つ茶を一口飲む。
「力があるかどうかと、認められるかどうかは別だ。特に冒険者なんざ、自分の物差しでしか相手を見ねえ」
「実感してます」
「だったらなおさら、無駄にぶつかるな」
正しい。
頭では分かっている。
「でも、言われっぱなしも癪なんですよ」
「若いな」
「二十五です」
「十分若えよ」
そう言われると微妙に納得できないが、ガレスにとってはそうなのだろう。
しばらくして、ガレスがじっとこちらを見た。
「さっきの手首の流し方」
「はい」
「誰のだ」
「……たぶん、前に触れた盗賊崩れの」
「やっぱりか」
ガレスは小さく息を吐いた。
「お前、本当に妙な力だな」
「自分でもそう思います」
「気味悪がられるのも分かる」
「そこはフォローしてくださいよ」
思わずそう返すと、ガレスは珍しく少しだけ口元を緩めた。
「だが悪くねえ。少なくとも、生き残る力にはなる」
「それなら十分です」
ガレスは頷き、椅子の背に寄りかかる。
「一つ教えとく。力を積むだけじゃ、強くはならねえ」
「……と言いますと」
「お前のそれは、誰かの欠片を拾う力だ。だが土台がなきゃ、いずれ身体も頭もついてこなくなる」
その言葉は、ここ数日の戦いで何となく感じていたことと一致していた。
ルナの身体運用を写しても、俺の筋力や柔軟性は彼女と同じじゃない。ガレスの野営知識を得ても、経験値そのものが一瞬で増えるわけじゃない。
「じゃあ、どうすれば」
「鍛えるしかねえ」
あまりにも当たり前の答えだった。
「走れ。素振りしろ。体幹を作れ。呼吸を整えろ。冒険者はそこをサボって死ぬ」
「地味ですね」
「地味なもんが一番裏切らねえ」
その一言に、不思議と説得力があった。
ギルドを出た後、俺は廃屋へ戻る前に少しだけ市場で安い食料を買った。
パンのようなもの、干し肉少し、安い果物。銀貨が減るたび胃が痛むが、食わなければ動けない。
廃屋に戻ると、ルナがすぐこちらへ寄ってきた。
「遅い」
「すまん。少し絡まれてた」
「……人?」
「人」
「めんどくさい」
「ほんとにな」
食べ物を分けながら、ギルドでのことを話す。
ルナは途中から露骨に不機嫌になった。
「その人たち、ルナが蹴ればいい?」
「だめ」
「なんで」
「余計面倒になる」
「もう面倒なってる」
「それはそうなんだけど」
言い返せなかった。
ルナはパンを齧りながら、むすっと言う。
「コーイチ、見た目よわそう」
「知ってる」
「でも中身も、まだわりとよわい」
「容赦ないな」
「だから鍛える」
それはガレスと同じ結論だった。
「……よし」
俺は干し肉を飲み込み、立ち上がる。
「明日からじゃなくて、今日からやるか」
「いま?」
「いま」
ルナの耳がぴくりと立つ。
少しだけ楽しそうだった。
無職と笑われる。舐められる。絡まれる。
それはきっと、しばらく続く。
だったらせめて、笑われたままでは終わらないようにしよう。
その夜から、廃屋の裏手での訓練が始まった。




