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第38話 優しい心と恋色の時間

 それからシェリアは、商人や宿屋でにぎわっている区画の人々の悩みを解決し続けていた。時にはその場で、時にはそれぞれの悩みを繋げて。様々な形で悩みを解決し続けていくと、農民区画に映る前に日が暮れてしまっていた。


「そろそろ帰ろうか。フィルももう限界だし」

「うん、そうだね」


 アリスは自分の背中で穏やかな寝息を立てているフィルを見ながら、そう答えた。『闇蜂』と戦う前にギルドで休んでから、3人は眠ることなく走り続けていた。シェリアとアリスは『原初の魔』として世界に存在しているため、睡眠や食事無しでも活動を続けることができるのだが——


「私がフィルを弟子にした理由はね、もちろん適性や才能の面が大きいけど、1つは私たちが人間の感覚を忘れないようにするためっていうのがあるんだ」

「思えば、森にいた時も人間の頃と同じように睡眠も休息も食事も摂ってたもんね。すごく納得」

「でもそれはあくまで副次的な要素だよ。それは私のこともフィルのこともよく知ってるアリスが、一番よくわかってるでしょ?」

「……うん、そうだね」


 そんな話をしていることに気づかないまま、アリスの背中でフィルは穏やかな寝息を立てて眠っていた。その様子を2人で優しく眺めながら、ゆっくりと歩いてフィルの家に帰った。フィルの家に着くまでの間、2人は一切話さなかった。それでもお互いが何を考えているのかはなんとなくわかった。魔力の繫がりではなく、心の繫がりで。

 家に着いた3人を、シュリーとグスタフが笑顔で出迎えた。シュリーは食事を作ろうかと提案したが、シェリアが眠っているフィルの背中をさすりながら「2人とも疲れてるし、何よりフィルに悪いから」と話して断っていた。その後は3人でフィルの部屋に行き、明日の準備をすることにした。

 眠っているフィルの隣で、机に地図と悩みの書かれた紙を広げながら、シェリアとアリスは今日解決した内容を確認しながら明日のことについて話していた。とはいえ、それも最終確認のような感じで、10分ほどで終わった。その後はアリスとシェリアも一緒になって眠ることにした。


 食べる時に食べ、眠るときに寝る——それが心の疲労を溜めない一番の方法だから。





・・・





 朝シェリアが目覚めたのは、外で小鳥が鳴く声が聞こえた時だった。

 体を起こして伸びをしたシェリアは、隣で眠っているアリスを起こさないように布団から抜けて1階に降りた。1階ではシュリーが朝ごはんを作っており、机の上には5人分の料理が並べられ始めていた。


「おはよう、シュリー。今日も早いね」

「あ、シェリアちゃんおはよう。シェリアちゃんこそ、やり切って疲れてないの?」

「私は大丈夫。もう、染まりすぎちゃってるからさ」

「ふ~ん……ねぇ、せっかく早起きしてきたんだし、ご飯の準備手伝ってくれないかしら?ほら、こうやって2人だけの時間も初めてだし」


 少しうらやましそうな、それでいて寂しそうな——そんな表情をするシェリアに、シュリーは優しくそんなことを提案した。


「そうだね、そうするよ。何からすればいいかな」

「そうね~。まずは、この料理を運んでくれるかしら」

「わかった」


 そうして、シェリアとシュリーの朝の準備の時間が始まった。最初はお互い最低限の会話だけで準備を進めていたが、途中からシュリーが頼もうとしたことを先回りしてやり始めたシェリアを見て、驚きを通り越して呆れた表情でシュリーがシェリアに話しかけた。


「あなた、いつもそうやってたの?」

「いつも?う~ん……」


 シェリアは準備の手を止め、シュリーの言葉を噛み砕きながらこれまでのことを思い返していた。沈黙の時間は数十秒。それだけ考えてもなお、シェリアは否定する言葉を見つけられなかった。


「そうかもしれないね。先回りする癖を指摘されたのはこれで2回目だよ」

「やっぱり。でも、これまでに指摘されたことがあったのね。それは誰?」

「古き良き親友。それでいて、人生をかけても負けたくない好敵手から。彼は、本当によく私のことを知っていたからさ」

「原初の魔女であるシェリアちゃんにも、そんな相手がいたのね。ねぇ、その相手のこともっと教えてくれるかしら?私、そういう話大好きなの」

「いいよ。それじゃあ、シュリーもグスタフとの話を色々聞かせてほしいな。私も好きだし」

「ふふっ、もちろんいいわよ。私たち、気が合いそうね」


 それから2人は、昔話に花を咲かせながら準備を進めていた。昔話以外に会話はない。それでも、2人の動きはさっき以上に効率よく準備を進めていた。ありきたりだった朝が恋色で染まった、そんな2人だけの楽しい時間。2人の表情は少女のように無邪気で、母親のように柔らかかった。途中から意味のある動きはなくなっていて、ただ体を動かしながら話し続けているだけになっていた。

 そんな時間が1時間ほど続いた時、あくびを噛み殺したグスタフが階段を下りてきていた。だが、2人のそんな雰囲気を察してか、2人に気づかれないようにゆっくりと自室に戻っていた。

 そして無駄な動きを続けることにも飽きてきた2人は、顔を見合わせて笑い合ってから紅茶を入れて椅子に座った。それからも恋の昔話は続いていたが、途中からシェリアが話す時間に変わっていた。シェリアの、過去の弟子たちやアリスですら知らないまだ人間に染まっていた頃の昔話。規模は信じられないほど壮大なのに、恋の憧憬は人間以上に人間らしかった。そしてそれを話すシェリアの表情も——

 そして、グスタフが起きた時間からさらに1時間とその半分の時間が経ったころ、アリスとフィルが和気あいあいと話しながら下りてきた。そして恋色の雰囲気の中で柔らかく笑い合っている2人の姿を見て、ただ一言。


「……何してんの?」

「ん?聞きたい?」

「ふふっ。これはね——」


 シェリアとシュリーは顔を見合わせ、無邪気に笑いながら同じ言葉を口にした。


「大人だけの、秘密のお話だよ」






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