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約束

レグの言ったこと。わたくしが言ったことやしたこと。

いろんなことをぐるぐる思い返し、怒ったり反省したり頭を抱えたりしながら朝を待っていた。


そして、夜空の縁がほんの少し白んできた。

…ような気がするので、レグを起こさないようそぉっと部屋を抜け出した。

廊下は真っ暗で明かりがなければ歩けない。

内履きがぺたんぺたんと音を立てた。

まず向かったのはわたくしの部屋。フェリクスがそこで待ち続けていたらどうしようと思ったのだ。

けど杞憂だった。わたくしの私室は昨晩飛び出してきたまま何も変わっていないように見えた。


良かった。フェリクスは来なかったみたい。


すると、とうとうフェリクスの部屋に忍んでいかなければいけない。

もちろん自分がどれほどはしたないことをしているかは自覚している。万が一使用人にでもかち合ったら、どれだけ恥ずかしいことか。

だけど、これは仕方ないこと。

わたくしとフェリクスは夫婦なんだから、別に悪いことってわけじゃない。そう、夫婦!

フェリクスの部屋はわたくしの私室から数部屋離れたところ、同じフロアにある。

ドクドクと煩い鼓動を押さえるようにして、廊下を進みフェリクスの部屋の前に立った。


慎重にドアを開け、すっと身を滑りこませ、そっとドアを閉める、つもりが思ったより大きな音が鳴った。

ひゃ、と小さく息を呑んだ時、部屋の中からフェリクスの声がした。

「…侯爵様?」

「…っ」

わたくしは飛び上がった。

えっ起きてる?こんなまだ鳥も鳴かない時間に、どうして。

寝台の影にでも身を隠して、朝使用人が来るのを待とうと思っていたのに。


慌てたわたくしは間抜けな挨拶をした。

「ああ、フェリクスさん。良い朝ですこと」

まだ朝という時間でもないというのに。

明りを手に部屋の中へ進むと、衣擦れの音がしてフェリクスが寝台から降りてきた。

そのフェリクスの姿に、ぎょっとした。

降ろされまっすぐ胸辺りまで流れている髪。

男性の寝間着の喉元は大きく開いていて、下は足首がばっちり見える。

どこもまっすぐ見てはいけない気がして、わたくしを急いで目を反らした。

「な、何か羽織るとよろしいのではありません?」

「‥‥‥はい」

不思議そうな声の返事があり、ゴソゴソと何かを羽織った気配がした。


わたくしはそっと視線を彼に戻し、その表情を確認する。

わたくしを見る目には嫌悪がないか…。

或いは、こんな時間に現れたわたくしに呆れ果てていないか…。


けれど、明かりに浮かぶフェリクスの表情は、ただ不思議そうだった。

「もうすぐ空も白む時間だと思いますが、どのようなご用件でここへ?」

当然の質問をされた。

仕方なく、正直に答えることにする。

「朝、使用人たちが来るまで、ここに置いていただこうと思いまして。よろしいかしら?」

「…ええ、もちろんです」

フェリクスはそう言って、すっと手を差し出した。

そしてわたくしの手を取って、部屋に置かれた椅子に誘導した。

わたくしが座って肘掛けにもたれると、フェリクスももう一つの椅子に座る。

そして柔らかい小さな声で言った。

「もしかすると、私の名誉の為にお越し下さったのですか?」

「‥‥‥っ」

そのとおりだけど、本人に指摘されるとなんだかとても恥ずかしい。

「あなたの為だけではありません。わたくしの名誉の為でもありますわ!」

熱くなってきた頬を手で隠して、返した。

ふっとフェリクスが笑った気配がした。

「…ありがとうございます」

空気に染みていくような優しい声が言う。

胸がほんのり温かくなった。

あら、昨日のテラスよりもよっぽど良い雰囲気だわ。


向かい合って座って、今、何を彼に言うべきなのかを考えた。

わたくしは婿をお金で買ったつもりはない?

違う。そんな言い訳は今大事なことではない。

フェリクスがこの結婚を納得してもいいと思うようなことを。

「あー、フェリクスさん、わたくしはちゃんとあなたを夫として遇するつもりですのよ?」

「…はい」

「だからあなたはわたくしの夫としていろんな事を望んで良いのです」

「はい」

フェリクスは素直に頷いた。ちゃんと伝わっているかしら。

「あー。遠くからいらして少し大変なことはあるかもしれませんけど…アダルベルト家は身内を大切にする一族ですわ」

「はい」

フェリクスはわかりますよ、というようにゆっくり首を上下に頷かせる。

わたくしは勢いこみ、拳を握って宣言した。

「決して粗末な扱いは致しません。わたくしはあなたを大事にしますわ!」


フェリクスの切れ長な目が丸くなった。

それから眉を寄せて顔をくしゃっとさせた。

今にも吹き出しそうな、けれども泣きだしてしまいそうにも見えるよくわからない表情。

これは良い反応?悪い反応?

わたくしはフェリクスをじっと伺った。


「…はい、侯爵様。お気持ちよくわかりました」

少しの間が開いてフェリクスは答えた。

そして椅子からすっと立ち上がって手を胸に当て、腰を折る。

髪の毛がさらりと顔を流れた。薄暗い中で茶色の瞳が明かりを映して光っている。

わたくしがその光をみつめると、目がちょっと細まった。

「私からお願いさせてください。どうぞ私をあなたの夫にしてくださいますよう」


ほぉー

フェリクスの言葉に、胸にあった重い空気が抜けていった。

わたくしはにっこりとフェリクスを見上げた。

「ええ、歓迎致しますわ。フェリクスさん。ですけどせめて、わたくしのことはマルグリットとお呼びなさいませ」

そう申し入れて、手の甲を差し出す。

フェリクスはすぐに応じてくれた。

「はい、マルグリット」

フェリクスの少し肉厚な手がわたくしの手を下からすくい取って、ゆっくりと唇が寄せられた。

「私のこともフェリクス、と」

「ええ、フェリクス」



※※※



「明るくなってきたようですね」

カーテンの隙間から白い光が溢れるのを見て、フェリクスが言った。

わたくしは、あふ、と小さくあくびをもらしてしまった。結局今晩は一睡もしていない。

「まだ使用人たちがこの部屋に来るまでは時間があるでしょう。少し休まれませんか?」

フェリクスが寝台を見るから、わたくしはブンブン首を振った。

「まさか、あなたが休んでいたところに入れとおっしゃるの?」

それはひどくはしたないことのように思える。

フェリクスは首を傾げた。

「私たちは夫婦になったのでしょう?何の問題がありますか」

「それは、」

本当は昨夜、フェリクスと共に寝台に入るはずだったのだ。それを思えば、フェリクスが抜けた後の寝台に入ることは大した事ではない気もする。

「それよりもマルグリットが今日1日眠気に襲われる方が問題かと」

少し強引な言い方をしたフェリクスは、わたくしの手を優しく引いて寝台へ連れていった。

わたくしは逆らわずに大人しく掛布の中へ入る。

フェリクスが先程までここにいた証拠のように、敷布は柔らかいシワができていた。

「どうぞゆっくりお休みください」

フェリクスが天幕を下げる。

明るくなり始めていた視界がまた暗くなる。

まだ何か、フェリクスに話したい事がある気がするのだけど…

わたくしは呆気ないほど簡単に眠りに落ちてしまった。

次回からしばらくフェリクス視点になる予定です

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