告白
わたくしの手首を押さえるフェリクスの手にキュッと力が入った。
痛くないけど、怖い。
「や、約束を破ったから、怒ってらっしゃるの?」
「…もうどこから怒っていいか、わからないほどです」
わたくしの顔を覗み込むようにして、フェリクスが言う。
「離婚、と聞いた気がしますが、聞き間違いでしょうか?」
薄茶色の目がギラギラと光っている、気がする。
視線に射すくめられて、身動きも取れない。
足がぷるぷると震えてきた。
「わ、わたくしはあなたを思って…」
「…私を思って?もう用済みだから離婚する、というのが?」
「用済み!?そ、そんなこと言ってません」
「そうですか?」
お願いだから、手を離して。
パンパンと手を叩く音が響いて、びくりと体が跳ねた。
「さあ、皆さん。微笑ましい夫婦喧嘩ですわ。お邪魔してはなりません。散りなさい」
レグの声が響いた。
見れば階段のところに使用人たちが連なり、興味と心配を半々にした顔でわたくしを見ていた。
二階廊下には、レグとエリー、そしてエドウィンまでが立っている。
いや、レグ。ちっとも微笑ましくないから!
捕まって動けないのよ、助けて?
そう視線で訴えるけども、誰ひとり応えない。
使用人たちが気まずそうな顔で、わたくしから視線を外し、ぞろぞろと階段を降りていく。
エドウィンも頭を掻き掻き付いていく。
最後にレグとエリーがわたくしに向って手をひらひら振りながら階下に降り、2階には誰もいなくなった。
見捨てられた…。
ショックを受けていると、わたくしの左手が壁からすっと下ろされた。
腕が疲れてきてたので、ほっとする。
けれど手首はフェリクスにしっかり掴まれたまま。逃さないとばかりに。
「あなたの部屋で、話をしましょうか、マルグリット?」
フェリクスのもう片方の手で、カチャリとわたくしの部屋のドアが開けられた。
にっこり微笑まれ、背に冷たい汗が流れる。
怒っているフェリクスと二人っきりになるのは怖い気がする。
「さあ」
「あ…」
けれども手を引かれると抵抗もできず、フェリクスと一緒に部屋に入ってしまった。
今は陽が長い季節なので、まだ部屋は明かりがなくても充分に明るかった。
部屋に入った途端、掴まれていた手はスルリと解けた。
解放されたことにほっとして、それからどんどん腹がたってきた。
窓の方へ進むフェリクスの背中を睨む。
「ひどいですわ。あんな風にわたくしの手を掴んで、皆の前で恥をかかせるなんて!」
くるりと振り返ったフェリクスの顔に微笑みは、もう無かった。
「あなたが逃げるのがいけないのです」
瞳には明らかな怒りがある。
ぎくりと一歩下がり、左手首を右手で守る。
「どれだけ逃げる気なんです?聞きたくない話から逃げて、人の顔を見て悲鳴あげて逃げて。あなたの気持ちに整理がつくまで待とう、と部屋に籠もれば、いつまでもあなたは来ない」
「あ…」
これってわたくし、今フェリクスに説教されてる?
「と思えば、部屋に飛び込んできて、助けてと言う。逃げた理由も聞かずに協力しましたね?1日夫婦アピールしながら過ごして、帰ってきた途端。もうすることはおしまいだから離婚しますと言われた、私の気持ちがわかりますか?」
「え、う」
聞いたことのない厳しい声で詰問され、すぐには言葉を返せない。
フェリクスの言い分だけ聞くと、自分がものすごい悪女のように思えてくる。
けれどわたくしにも言い分がある。
「わたくしだって、とっても悩んで答えを出したのですわ。あなたがクレーベに帰りたいと言うから!」
「‥‥‥クレーベに帰りたいなんて、言ったことはないはずですが?」
「え?」
ぽかんとしてフェリクスを見る。
言ったことがない?
あら?そうだった?
思い返してみれば確かに、クレーベに帰りたいとフェリクスの口から聞いたことはない気がする。
…けれど。
「だってあなたあの時この部屋で、“クレーベが恋しい〜”、“クレーベから離れたくなかった〜”、てべそべそ言ってたじゃありませんか」
「べそべそ…」
厳しい表情だったフェリクスの目元がほんのり赤くなった。
「あれを聞いて、あなたはクレーベに帰りたがってるのだな、と思いましたのよ?」
あれだけクレーベの話を聞かされれば、普通そう思うわよね?
フェリクスはわたくしからすいっと目を反らした。
「‥‥‥正直なところを申しますと。クレーベが恋しい、というのは嘘ではありませんが。あの日あなたに思いをぶちまけて、吹っ切れたといいますか…」
「‥‥‥」
思わず目が据わった。
思いをわたくしにぶつけたら、すっきりしたって?
わたくしはあの日からずっとずーっと悩んでいたのに?
「父がクレーベに帰るそうですし、私も結婚前に色々整理してきました。あとは新しく領主になる方に任せるしかないと。今更自分がクレーベの領主になるなんて、考えていません」
「…本当に?領主になりたくないんですの?」
なれるものなら、なりたいんじゃない?
そう尋ねると、フェリクスは胸に手を当てて断言する。
「私はもうアダルベルトの者ですので」
信じられない気持ちでフェリクスを見る。
「で、でも。わたくしとの結婚が処刑された方がマシなくらいに嫌だったのでしょう?」
「それは、結婚前の話です」
「本当の夫婦になる気もないのでしょう?」
「…本当の夫婦?」
わたくしはちらりと寝台を見た。
結婚式の日の夜はあんなに華やかだったのに、今はもう枕がひとつしかない、かわいそうな寝台。
「ああ…」
わたくしの視線から言いたいことがわかって、フェリクスは納得の声を上げる。
それから首を傾げた。
「この前、本当の夫になりたいという望みを言った時、聞かない振りしたのはマルグリットではありませんでしたか?」
「は!?この前?」
「‥‥‥まさかわかってなかったと?」
「え?え?」
この前?
夫として大事にされるのが幸せだの、言ってた時?
今以上に夫として扱われたい、とかなんとか。
「あーーー!」
思わず声が出た。
まさか、そういう意味だった!?
「…わかってなかったんですね」
フェリクスがため息をついた。
「だ、だって、てっきりクレーベに帰りたいって言い出すのかと…」
「なぜそんな…、ちゃんと逃げずに聞いて下されば」
フェリクスに呆れたように責められて、カッとなる。
「だってあなた、そういうこと嫌そうで、いつも逃げてましたわ」
「逃げた?いつ?」
「し、初夜のあとも…、この間お酒を飲んだ時も…」
「そもそも初夜に私を拒否したのはあなたですし…。珍しくお酒を飲んだ時にはあなたは酔っ払っていて。まさかあの状態で初めての経験を?」
それは確かにその通りだけど!
「え?え?じゃあ、全部わたくしが悪いと言うの?」
もうわけがわからなくなって、パニックになりそう。
ずっとフェリクスのことを思いやって悩んでいるつもりで、実はわたくしの問題だった?
いやいや、そんなはずは…。
フェリクスはふっと表情を和らげて、柔らかい声で言った。
「悪いなどととんでもありません。けれどあなたが当主。私の主人です。あなたの許しがなければ私はあなたに触れられないのです」
今度はわたくしの顔が熱くなった。きっと真っ赤になっている。
胸の前でギュッと両手を握る。
「で、ではフェリクスは、本当にわたくしの夫になるつもりですの?心偽りなく?」
「あなたが許してくだされば」
「本当にもうクレーベには帰らないと?」
「はい、帰りません」
「本当に、これからもアダルベルトにいてくれますの?死ぬまで?」
「もちろんです」
フェリクスは躊躇いなく言った。
極上の微笑みで。
1歩2歩と近づいてきて、わたくしに手を差し伸べる。
エスコートされる時と同じ仕草だったので、すっと手を載せると、彼の顔が耳元に近づいてきた。
目の前を光を溶かす髪が流れる。
「フェリクス…」
「あなたを散々困らせた自覚がありますが、あなたは私が夫でいいのですか?」
わたくしは目を閉じて、答えた。
「こう見えてわたくしはあなたを気に入っているのですわ。あなたが夫でわたくしは‥‥‥、嬉しいのです」
頬に、キスが落ちた。
そのまま優しく手を引かれたので、素直に足を進めると部屋の奥へ進んだ。
寝台の方向へ。
「え?い、今!?」
「ぜひ」
「いくらなんでも急過ぎでは?」
「そうですか?」
「ちょっと今日のフェリクスは、強引ではありません?」
「…あなたに関しては、逃げられない内に、少し強引に事を進めた方がいいと学びました」
「ええ!?」
そんなことを言っていたら、あっという間に寝台に膝が触れる位置。
「あ、あの…」
フェリクスの手がわたくしの頬に触れる。
「マルグリット、私はあなたを妻にしたい。お許しいただけますか?」
そんな至近距離で、そんな低い声で、なんてこと言うの!?
頭の中で悲鳴をあげながら、目を反らすこともできず、その神に与えられた美貌をみつめる。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ゆ、‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥い、‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あ、‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ゆ、許し、ま、す‥‥‥」
律儀にわたくしの返事をじっと待っていたフェリクスは、“よくできました”というようににっこり微笑んだ。
「あなたを一生大切にします」
ふわりと抱きしめられると、安心感にふーと体中の力が抜けていった。
「やっと…」
呟いたのはわたくしか、フェリクスか…
次回で完結です。




