エドウィン
「すみません。お恥ずかしいところをお見せしましたわ…グスっ」
手の甲で涙を拭くと、エドウィンがハンカチを渡してくれた。
「遠慮なく使ってください」
「ありがとうございます…」
涙を拭う間、エドウィンは紳士らしく、少し目を反らして何も言わず待っててくれた。
涙が止まった後は、少しすっきりした気持ちになっていた。
※※※
エドウィンに絵をもらって、そのままわたくしが泣いてしまったせいで、二人でドアのところに立ちっぱなしだった。
そのことにやっと気がついて、エドウィンを部屋の中の椅子に招いた。
本当なら夫でも親でもない男性を私室には招かないものだけど…エドウィンは親って扱いでいいのかしら?
ベルを鳴らして、コーヒーの用意を使用人に言いつける。
「お義父様。わたくしったら失礼を」
「いえ、とんでもないことです」
エドウィンはプルプルと首と手を同時に振った。
「絵をお渡しするついでと言ってはなんですが、実はですね、ちょっとお願いがありまして…」
エドウィンが両手をもみ合わせながら、おずおずと言う。
あらあら。必要なものなら使用人に言えばいいのに、わたくしに直接言わなければいけないお願いってなにかしら。
不思議に思いながら促すと、彼は驚くようなことを言った。
「アダルベルト侯爵のお力で、私をもう一度クレーベの領主にしていただけないかと…」
「なんですって?」
まじまじとエドウィンの顔を見た。
「‥お義父様を領主に?」
フェリクスではなく、エドウィンを?
わたくしの啞然とした表情を見て、エドウィンは肩を落とした。
「やはり、無理ですよね…そうですよね。ええ、わかってました…」
「あー、待ってください。お義父様」
自己完結して席を立とうとするエドウィンを止めて、額に拳を当て考える。
エドウィンをクレーベ領主になんて、考えたこともない。
だって彼は領地を治める気力があるように見えない。
「…今、クレーベは以前の収穫量を取り戻すことを国から求められています。それができると思われる人物でなければ、領主には推せませんわ。お義父様はご自分にできると思います?」
少し厳しいことを言うと、案の定エドウィンは自信のなさそうな顔でうつむいた。
「できます、とはとても言えません…ただ私のせいで苦境に陥ったクレーベをもう一度背負いたいと思ったのです。別に領主の地位でなくてもいいんです。ただ、領地全体の力になれるような立場になれたらいいなと」
エドウィンは気弱な声で、けれど意外にしっかりと自分の気持ちを述べた。
けれど、私ならできます、と言えないのが彼の弱さだわね。
「なぜフェリクスがクレーベにいる頃に、そう思わなかったのです?」
クレーベを背負いたいのなら、いくらでもチャンスはあったはず。その時に立ち上がっていればどんなにフェリクスは助かったか。
「…その時は妻と養子をクレーベから引き離しておくことに一生懸命でして」
「引き離す?」
エドウィンは悲しそうに眉をへの字にした。
「二人とも最初っからクレーベをめちゃくちゃにする気はなかったんですがね。元平民の言うことなど聞くか、と親族たちにきつく当たられて、ムキになってやり返して。親族分家との闘争状態になりまして、領民や農地にまで被害が及んだわけです。それでもう二人はクレーベに置いておけんと考えまして」
「あらまあ」
クレーベが荒れたのはマルクたちだけのせいというわけではなかったのね。
そして二人を王都に連れていったのはエドウィンだった。
「そしたら二人は王都に来て、それまで知らなかった贅沢に溺れてしまったというか」
つまり田舎出身の平民が王都に来てはっちゃけてしまったと。
とんでもない額の借金をしたり、クレーベ伯爵の名で無茶苦茶したりそれは大変だったらしい。
エドウィンは二人の暴走をすんでで止めたり、後始末したりと王都で奮闘していたので、クレーベのフェリクスを助けるどころではなかったと。
「自分たちを受け入れなかったクレーベへの恨みとか、皆に期待された跡継ぎだったフェリクスへの恨みとか、そういうのもあったようなんですけど」
「なるほど、わからないではありませんけど」
まあ、身の丈に合わない地位を得ると人はこうなるという見本のような二人だわね。
爵位や資金源を無くしたマルクとその母親がこれからまともに生きていけるといいけれど。
…気がそれたわ。二人のことはどうでもいい。
「お義父様もご苦労があったのですね」
「苦労なんて。フェリクスに比べれば」
それは本当にそうだと思う。
「でもやっぱりお義父様が領主になるのは難しいと思いますわ。お義父様のこれまでの経歴から見ても、今のクレーベの状況から見ても」
「はい…そうですよね」
エドウィンはあからさまにしょぼんとした。
なんか罪悪感をかきたてられるわね。
けれどどう考えても難しい。
今のクレーベには、迷いなく的確な指示を出せて、領民たちを統制できる領主が必要だと思う。
フェリクスのような。
思ったことが自然と口から出た。
「フェリクスを領主にして、お義父様がそれを隣で助ける、というのはいかがですか?」
言ってしまって自分で驚く。
まだ決めてないことをこんな考えなしに口にしてしまうなんて。
「フェリクスを…領主に」
「ええ、それが誰にとっても幸せの道かと」
でも口にしてしまえば、それが正解だとはっきりわかった。
「フェリクスの優秀さはわたくしもよく存じてますもの。10年以上領地を管理していた実績もあります。彼ならきっと立派にクレーベを治めるでしょう」
もちろん言うほど簡単なことではないだろう。
けれど領地運営に行き詰まった時には、アダルベルトから資金援助したり、中央に話を通したりもできる。
クレーベは徐々に十数年前の姿に戻っていき、国の食糧不足は解消されていくかもしれない。
「そうなれば国中の者がクレーベの重要性を認知しますわ。クレーベ伯爵家は繁栄し、領主フェリクスの名は国中に知られることになるでしょう。素晴らしいことですわ」
「こ、侯爵。それはフェリクスを…アダルベルトから出すということで?」
エドウィンが信じられないという顔で言う。
わたくしは微笑んで頷いた。
「フェリクスの幸せはアダルベルトにはありませんもの」
クレーベ伯爵となったフェリクスからは時折、丁寧なお礼の手紙とクレーベ領の農産物なんかが届くに違いない。
わたくしはその手紙でフェリクスの無事と幸せを知り、かつての夫を懐かしく思い出す。
それでいい。
それがいい。
今みたいに同じ屋根の下で暮らしながら心は遠い夫婦でいるより、よっぽど幸せな関係に違いないわ。
なんだか想像してみたら、胸がぽかぽかしてきた。
わたくしの夢想を破るようにエドウィンが叫んだ。
「と、とんでもない!やめてください!」
「…え?」
「わ、私は親として二度とフェリクスをクレーベに入れないと決めてるんです!」
エドウィンは青ざめた顔でぷるぷると拳を震わせた。
「…は?」
思わず低い声が出た。
せっかく誰にとっても良い提案をしたのに。
「理由を聞いても?」
まさか自分が領主になりたいから、なんて言わないでしょうね?
エドウィンはきっぱり答えた。
「クレーベにいたら、あの子は間違いなく早死にするからです」
「…それは」
そうかもしれない。死因は過労死だ。
けれどそれもフェリクス自身が選ぶ道なら…
「そして自分が死んだことにも気が付かないんです!」
「ん?」
「ゾンビになって、夜な夜な畑を耕すに違いありません。侯爵はそんなフェリクスをお望みですか?」
青白い顔で、夜な夜な鍬を奮うフェリクス?
「‥‥‥そんなフェリクスは、嫌、ですけど」
いや、なんでゾンビ?
「冗談だと思われてますね?いいえ、クレーベは昔からよくゾンビが現れる土地柄でして。夜誰も外に出てないのに、朝になると耕された畑が…」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
コンコンとノックが鳴って、使用人に頼んだコーヒーがやっときた。
「どうぞ」
「これはどうも」
二人で同時にコーヒーを飲んだ。頭に酸味が回り、目が覚めた気がする。
カップを空にしてエドウィンは言った。
「まあ、死んだあとのことはいいとして。これ以上クレーベの為にあの子の何も犠牲にしたくない。この気持ちわかっていただけますか?」
わたくしはコクリと頷いた。
「良かった。そんな訳で、どうぞフェリクスをよろしくおねがいします」
エドウィンは座ったまま胸に手を当て、頭を下げた。
「‥‥‥クレーベの領主になりたいという話はもういいのですか?」
「私なんかで役に立てるならと思いましたが、無理なようなんで。あとは国王陛下と神様の思召しに従います」
そう言ってぽやぽやとエドウィンは笑った。
※※※
エドウィンは“言うこと言った”というような満足した表情で部屋を出ていった。
なんだったのかしら。
「ゾンビ?いやいやいやいや…」
義父はわたくしには理解できない人だわ。
テーブルに置いておいた油絵を壁に持っていった。
壁にはすでにいくつもの絵が飾ってある。その隙間に、エドウィンからもらった絵も置いてみた。
柔らかい色使いだからか、よく馴染む。
「いいじゃない。そういえばフェリクスの絵がなかったものね」
壁にあるのはほとんどが家族の肖像画だ。
レグにエリー。亡くなった父と母。レイビックとカタリナといとこたち。子どもの頃飼っていた犬。
わたくしが猫になってるというユニークな絵もある。
ここに結婚式の絵を置くのはなかなかバランスがいいわ。
後ろ姿でフェリクスの顔がわからないのが残念だけど。
フェリクスの後ろ頭をつんつんと突いてみた。
「ねえ、お父様はああ言うけど、あなたどうする?」
絵の具の感触がボコボコ指に当たる。
「‥‥‥‥クレーベに帰りたいわよね」
うん。フェリクスはクレーベに返そう。
それがフェリクスの幸せなら。
わたくしは夫の幸せを願う良い妻だもの。
フェリクスをアダルベルトから解放してクレーベに返してあげよう。
そうと決まれば、すぐにフェリクスの部屋に行って話を…
コンコンコン
ドアがノックされる音が響いた。
「王宮より当主様宛にお手紙が届いております」
家宰が1枚の封筒を渡してくる。
「この雨の中、届いたの?何かあったのかしら?」
急いで封筒に押された印章を確認する。
「ヨゼフィーネ王女殿下!?」
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親愛なるマルグリットへ
この間のお茶会は楽しかったわね♡
ラブラブ大作戦の準備が整ったの。
あなたと夫君の為の特別なプランを用意したわ。
みんなで頑張ったのよ!
別紙に書いてあるとおりに行動してちょうだいね♡
ヨゼフィーネより
p.s.もしこのとおりにしなければ、アダルベルト家の未来はないわよ☆
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「…っ!‥‥‥っ、‥‥‥っ、フェリクース!!」
わたくしは飛び上がって、フェリクスの部屋に突撃した。
部屋には彫刻刀を持ったまま啞然とわたくしを見るフェリクスがいた。
“ラブラブ大作戦”とか言わせちゃって後悔しています。書いてて恥ずかしい。




