裁判
「わたくしにどうしろって言うの、フェリクスの馬鹿」
本人に言えない愚痴を小さな声で呟いた。
※※※
受け取った宝石箱をチェストの上にそっと置く。
六角形の優美な宝石箱。
蓋と側面には、びっしり施された細かな植物文様の浮彫り彫刻。蓋をパカリと開けると蓋の裏にはアダルベルトの紋章が沈め彫りで入れられ、入れ物の内側には黒い革が丁寧に貼られている。
それはわたくしがこれまで見たどの宝石箱よりも、芸術的だった。
「実際問題、裁判というのは資金力と裁判の知識を持つ方が勝つのです。クレーベ伯爵やその母親などアダルベルト家の敵にもなりませんわ」
「はい」
フェリクスは落ち着いた様子で頷いた。
そう。アダルベルト家は裁判ではそうそう負けない。なにせ、敵が多い分裁判経験は豊富。
いつ訴えられても退けられる準備がある。
「どうとでも転がせますけど、フェリクスのお望みはどんなものですかしら?」
わたくしはフフフと笑って、宝石箱のなめらかな木の肌を撫でた。
「このような素晴らしい贈り物をいただいたのですもの。よほどの成果をお返ししなくてはいけませんわね」
フェリクスは麗しく微笑んだ。
※※※
王宮の政務室が並ぶ一角に、裁判用の部屋がある。本当に大きな議題は法院に持ち込まれるので、こちらの裁判室は貴族家と貴族家との争いのような小規模の裁判に使われることが多い。
と言っても広さとしては我が邸の広間くらい、せり出した2階部分まである。
赤いカーペットが一面に敷かれ、ズラリと布張りの椅子が並ぶ。数段ある段差の1番上から判事と警備兵たちが見下ろす。
窓がない密閉された空間はさぞ、これから審議される者たちに威圧感を与えるだろう。
このクレーベ伯爵家の裁判はそれほど人の関心を買うものでもなく、関係する者もごくわずかなので、傍聴する者は少ない。
2階の傍聴席にいるのは、官僚らしき男性、新聞記者と思われる男。あとは貴族家に仕える家人のような男たちが数名、以上だった。
そのガランとした傍聴席の1番前中央席にフェリクスと並んで座り、1階を見下ろすと裁判室の全体がよく見えた。
「あら、あちらに」
「ええ、父が来ましたね」
兵に連れて来られたフェリクスの父、エドウィンは1階の右手側の席に座らせられた。
背を丸め首を竦め、怯えて緊張しているのが一目でわかる。
けれど体調には問題なさそうだ。むしろ、教会式で会った時よりふっくらして見える。
お金を積んだ成果だ。
お金さえ払えば、牢での待遇はどこまでも良くなる。医師まで派遣したし。
エドウィンの横にはアダルベルト専属の弁護人がいて、宥めるようにポンと肩を叩いてやっていた。
そして左手側の席にいるのが、フェリクスの義兄にして現クレーベ伯爵のマルク。横にはその母と思われる小太りの女性が付き添っている。
マルクは怪我人アピールなのか杖を抱えていた。刺されたのは足じゃなくてお腹のはずだけど。
そしてどうしたことか、髪の毛はもつれてぼさぼさ、ウエストコートは着ていない。身につけたベストとシャツは離れたところから見てもよれよれだった。
ちょっとこれが伯爵だとは同じ国の貴族として認めたくない。
対してその横の夫人の方は黒髪を高く結い上げ、唇を紅で真っ赤にし、光沢あるえんじ色のドレスで体を締め、ばっちりと身なりを決めていた。
これから国王陛下主催の夜会なのかというほどだ。ここは裁判室なのだけど。
そんな対照的な身なりの親子は、同じような顔をしてエドウィンを指差し、何か文句を言っていた。
裁判の介助をする為に付いている官吏がうんざりした顔で首を横に振る。
「あら?裁判前から何か揉めていますわ」
「どうせ、碌でもないことですよ」
もう義母や義兄への嫌悪を隠す気がないフェリクスは辛辣に言った。
身を乗り出し、耳を済ます。
「だーかーら!そこの男はもう平民なんすよ!平民に弁護人なんてつくの、おかしいだろ!?」
「そうよ、そうよ!」
「ですから、後見であるアダルベルト侯爵家の計らいなんですって」
「アダルベルトとは縁を切ったと聞いてるけど!?」
「さあ、そこらへんの事情はわかりませんが」
「俺たちの裁判にアダルベルトは関係ないはずだ!追い出してくださいよっ」
「そうよ!」
「ですから!彼は正当な手続きでつけられた弁護人なんです」
聞こえてきたマルクと夫人の言い分に、むしろ感心した。
「こんな言いがかりを聞くのは初めてですわ」
裁判で相手に弁護人がいることに文句を言うとか、なかなか斬新だ。
逆にわたくしはマルク側に弁護人がいないことに驚いている。
別に弁護人が必ず必要とは決まってないけど、専門家に素人が立ち向かうのは簡単ではない。
つまりマルクは裁判がどういうものかをまるで知らない。
誰か周りに裁判の基本を教えてくれる者はいなかったのかしら。かわいそう。
いつまでも文句を聞いていても仕方ないと思ったのか、官吏がチリンチリンと鈴を鳴らし、裁判の開始を合図した。
裁判室にいる全員が起立し、判事が部屋中に響く声で
「今こそ神の御前に全ての真実を明らかにしよう、正義がなされんことを」
と裁判開始の宣言を述べる。
そして宣言が終わると裁判室の全員が静かに着席した。
この初めての者にはどっきりする儀式にマルクと夫人も口をつぐんだ。
「えー、この裁判はクレーベ伯爵マルクさんと元クレーベ伯爵で今は身分のないエドウィンさんの間に起こった殺傷事件について、事件時の状況を明らかにし、両者の罪を定める為のものです」
この判事の言葉の意味にマルクは気がつくかしら?…気づいてなさそう。
「えー、先にクレーベ伯爵から事件について話してください」
母親に頑張って、と肩を叩かれたマルクが元気よく席から立って、杖でどんと床をついた。
「この男、私の元義父ですが、私の腹をナイフで刺しました。2回も!私がこの男から伯爵位を継いだのが許せなかったんです。もうこの男が伯爵じゃなくなって15年たつのにいつまでも認められず、ずっと私の命を狙ってたんです!とんでもない殺人狂だ。もうクレーベ伯爵家から除名しましたからね、この男は平民です。平民がこの伯爵を刺したんです。当然死刑ですよね!」
どん、どん、と杖をつきながら、ペラペラとしゃべる。この厳粛な空気の中でこれだけ話せるのはなかなかだ。
しかし殺人狂の意味間違ってる。
続いてエドウィンの陳述。
「わ、私が彼を刺してしまったのは、た、確かなことですが、こうして彼はピンピンしてるわけで…そ、それにナイフと言ってもペーパーナイフが間違って刺さってしまっただけで…ちょっと死刑はやり過ぎじゃないかと思うわけです…」
小さな声でしどろもどろ言った。
うん、普通こんなものよね。彼は頑張ったわ。
「言い訳しないでちょうだい!」
夫人がマルクの横から叫んだ。
「あー、夫人は許可なく声をあげないように。えー、弁護人、述べることはありますか?」
判事に問われさっと立ち上がったのは、今年58歳のアダルベルト専属辣腕弁護人だ。
キランと光る銀ぶち眼鏡をくいっと上げて述べた。
「私は、貴族法にある『領地管理の義務』並びに『違法・不良言動の諌め、阻止』に基づきまして、エドウィンさんの無罪を要求。更にクレーベ伯爵を告発、廃位を要求します」
マルクが目をパチパチとさせたのが傍聴席からも見えた。
「クレーベ伯爵、言い分はありますか?」
判事がマルクに尋ねる。
マルクは肩を竦めた。
「弁護人さんが何言ってるのか、よくわかんないんですけど」
部屋のあちこちで失笑が起きた。
「何!?笑ったの誰!?馬鹿にしてるの?」
夫人が眉を釣り上げて裁判室を見回し、笑い声に噛みついた。
判事が大げさな成りで額を押さえて首を振った。
「エドウィンさんの弁護人、説明をお願いします」
「はい」
弁護人はくいっと眼鏡を上げると、体の向きを変えてマルクに向かって立った。
「領地管理の義務。非常に簡単に言いますと、領主は領地をきちんと管理しなさい、領地の問題は領主の責任です、ということです」
「は?」
「違法·不良言動の諌め、阻止。貴族が悪いことをしてると気づいたらやめさせましょう。特に身内には止める責任と義務がありますよ、ということです」
「…つまり、俺が悪いことしてるってこと?刺されたのは俺ですよ」
マルクはまたどんと杖をついた。
さっきまでせっかく貴族らしく私、と言っていたのに、俺に戻ってしまっている。
「あなたが刺されたのには理由があるのではないですか?と言っているのです」
弁護人が冷たい口調で言った。
夫人が席から立ち上がり、弁護人に指を突きつけた。
「失礼よ、あんた!」
「夫人、それ以上騒ぐならこの部屋から出ていただきます」
判事が低い声で警告を告げる。
弁護人の横で存在を忘れられたようなエドウィンが身を竦めた。
「こちらの主張を言います。クレーベ伯爵、あなたは領地をまともに治めていませんね。クレーベ領は生産量が激減し、国全体の食料高騰、食糧不足を招きました。それは領地を放り出しているあなたの責任です。これは伯爵位取り上げに相当する罪と考えます」
「はあ!?」
「そしてあなたの元義父、エドウィンさんはあなたの不良行動を諌める責任と義務がありました。エドウィンさんがあなたを諌めた結果が今回の刺傷事件です。当然無罪です」
「訳わかんないこと言うな!」
マルクが叫び、杖をドンドンと鳴らした。
実際、彼は訳がわからないでいるだろう。
一方的にエドウィンを責め立てるつもりでここに来たら、自分が罪を問われ爵位取り上げと言われているのだ。
なぜこうなったのか、混乱する頭で必死に考えているはずだ。
弁護人がマルクに質問を投げた。
「ではお聞きしますが。あなたが刺された時、エドウィンさんはあなたに何て言いましたか?」
「…覚えてません」
「あなたが領地を放り出していることを叱った…」
「嘘っぱちだ!」
「おや、覚えていらっしゃる?ではどのような口論があって刺されたのか教えてください」
弁護人は飄々とした口調で言った。
マルクは唇を噛んで答えた。
「…あの時俺は、アダルベルト邸にいるフェリクスのところへ行こうとしてたんですよ。義弟のところに行こうとしただけだ。なのにそいつが止めて来て」
あら、ここでフェリクスの名前が出るのね。
わたくしの横で、フェリクスがびくりとしたので、手を握ってあげた。
「おお、そうでしたか、なるほど」
弁護人が納得したというように大きく頷いた。
「そうなんですよ、ナイフまで持って…」
「何故エドウィンさんは義弟さんの元に行くのを止めたのでしょうね?」
「知りませんよ。これ以上フェリクスを犠牲にするなとか。ごちゃごちゃ」
「なるほど」
弁護人は判事を見た。
「ここにある資料を提出します。彼が領主になってからこれまでのクレーベ領の変化、彼がこの14年間何をしてきたかなどが書かれています。エドウィンさんが言ったという“義弟を犠牲にするな”の意味もわかっていただけると」
「うむ」
判事はそれを受け取り、パラリと捲る。
「待ってください!」
杖を振り上げ、マルクが叫ぶ。
「俺が刺されたんですよ?伯爵の俺が!すでに伯爵でも貴族でもないそいつに刺されたんです!その罪を問う裁判でしょうが。なんで俺が領主としてどうの言われなくちゃいけないんだ!?」
「そうよ!そいつを罰しなさいよ!おかしな理屈捏ねてないで」
さっきの警告を忘れたらしい夫人も一緒に叫んだ。
判事ははあ、とため息をついた。
「なるほど。この理解能力では、クレーベ程の領地を経営することなど無理と言うもの。貴族教育を受けていない平民を領主にしたのがそもそも間違いか。廃位は妥当でしょうな」
「なんですって!?」
「何だと!俺をおちょくってんのか?」
判事はやれやれと立ち上がった。
「では、ここで一度休憩とする」
作者の裁判のイメージが貧困過ぎました(泣)
しかし、これってざまぁ回ってやつ?なってない?
次回は裁判の後。




