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フェリクスの結婚②

王都からアダルベルトまで新聞が届くには2〜3日かかる。

先程届いた二枚の新聞はどちらもトップページでアダルベルト侯爵と私の結婚を報じていた。


一枚目は貴族御用達のデッセル社の新聞。

アダルベルト家が告知したものだ。

“アダルベルト侯爵マルグリット、クレーベ伯爵家フェリクス。国王の名の下婚姻定まる”

とあり、教会式の日付がかかれ、異議あるものは申し出るように、と書かれている。

この告知はほぼ全ての貴族がすることで、いわゆる形式というものである。


二枚目はフィッシャー社の新聞。

こちらはゴシップで読者を喜ばせるような新聞だ。市民向けの内容で貴族には嫌われている。

結婚についてはデッセル社の告知を受けて急いで書き上げた記事のようだ。

アダルベルト侯爵と私の肖像画が落書きのようなタッチで描かれ、

“強欲のアダルベルト侯爵、結婚。その謎の相手”とある。

内容はというと、

“大都会アダルベルト領主であるアダルベルト侯爵が前触れなく結婚を表明した。

アダルベルト侯爵は皇太子妃としても期待されていた高貴なる姫。

そして相手は広い農耕地を持つクレーベ伯爵家の青年。

ふたつの家には大きな格差があり、家同士のつきあいはない。

二人はどこで出会って、どのような経緯で婚約に至ったのか。

…ちなみにクレーベ伯爵家の青年は大層な美貌の青年だという。“強欲の”アダルベルト侯爵が欲したものは何か?”

というような事がつらつらと書かれている。

この新聞社の記事では普通のことだが、低俗極まりない。

だがこの方が、現実を表しているのも確かだ。


“強欲の”はアダルベルト侯爵家を揶揄する時よく使われる、定番の文句。

元は小さな土地しか持たない伯爵家だったものが、王宮にのさばり、次から次に領地を拡大し、侯爵の爵位を得た。それはアダルベルト家が悪どい手を使う、強欲な一族だからだ、というわけだ。

その侯爵位を得た時の逸話は有名だ。

まだ伯爵であるにも関わらず、他者に自らを“侯爵”と呼ばせ、実績を作った上で王族に爵位を談判した。

「国中の者が私を侯爵と呼ぶのは、私が侯爵位に相応しい者だからです」

本当にそんな事を言ったのかは定かではないが、その時のアダルベルト侯爵はそういう事をいかにも言いそうな人物だったのだろう。


いや、昔の侯爵はどうでも良い。問題は現アダルベルト侯爵だ。

“皇太子妃としても期待されていた高貴なる姫”

世間の噂はこんな綺麗なものではない。さすがにフィッシャー社もアダルベルト侯爵家に遠慮したのだろうか。

傲慢で奔放。

王家相手にも暴言を振りまき、他家の令嬢を取り巻きと呼んで連れ回っているとか。

「何か?わたくしはアダルベルト侯爵令嬢ですのよ」が口癖であるとか。

幼い頃から見目の良い男子たちを侍らして喜んでいた、とか。


なぜ私がこんなにアダルベルトに詳しいかと言うと、アダルベルト領の寄宿学校に在席していた事があるからだ。

アダルベルトのお膝元で、領主一家に対する面白可笑しい噂は耐える事がなかった。

それはアダルベルトにおいて領主一家は雲の上の存在だったからだ。

何を言っても決して声が届くことはなく、一生出会うことはない、そんな存在。

私だってそう思っていた一人だ。


もう一度、ざっと二枚の新聞を斜め読みにして、床にバサッと捨てた。


私がクレーベを離れ、アダルベルトへ行かなければならない2ヶ月前の事だった。



※※※



見合いと称した公園で遠目には見たが、女が3人いて、どれがアダルベルト侯爵なのかわからなかった。

これかー、という気分である。


教会の待合室で、侯爵は真っ白なドレスに埋まるように座っていた。

黒髪のソバージュ、少し釣り上がった青い目はふてぶてしい猫を思わせた。

決して不器量ではないが、その美しさよりもまず、生意気そうなと形容したくなる。

折しも義母と同じ髪色。

嫌悪をぐっと飲み込む。


「アダルベルトのマルグリット、ですわ」

彼女は名乗った。

つんと鼻を高くし、自分が上位の人間であると示す様子は、とにかく偉そうだった。

これがアダルベルトの高貴なる姫かと、大いに納得した。

私はこれからの人生、この女に従い機嫌を取りながら生きていくのか。これまで義母にしていたように。

いや、それよりもなおおぞましい。

この女の肌に触れなければいけないと思うと、背中がぞわぞわして止まらない。


教会での誓いがまるで奴隷契約のように感じた。

教会を出てアダルベルト家に向かう馬車では、まるで屠殺場に連れて行かれる牛の気分だった。


おかしなものだ。

クレーベにいた時は、領地の事に比べれば我が身の事などどうでも良い、と思っていられたのに。今はこれほどにこれから起こる事に怯えている。


王都にあるアダルベルトの邸は流石に広大で、王都のクレーベ邸とは比べるべくもない立派な建物だった。

だが、想像していたほどには豪華でも派手でもなく、どちらかと言うと質実で使い込まれている印象だった。

礼儀正しく迎え入れられ、私の部屋に案内される。

私個人の応接室と私室の二部屋が2階の1番奥に用意されていた。

二部屋とも、青い壁紙とウォールナットの家具で揃えられていて、重厚感がある。

センスが少し年寄りじみているので、誰かが使ったままにしているのかとも思ったが、どこもかしこも新しくつやつやとして、部屋中に木の匂いがしていた。

クレーベ家から持ち込んだほんの少しの私物はわかりやすく仕舞われ、私のものと思われる衣装がハンガーにかけられている。

流行りの形のランプ、正確な時を刻む振り子時計。さり気なく飾られた柔らかい色彩の風景画。


過剰なほどの心配りを感じて、さすがに戸惑った。

部屋を見るだけで、その部屋の主の家での立場がわかるものだが、これは…



テラスには女王然とした彼女が待っていた。

部屋の礼を言うと、「当然ですわ」と高飛車に返される。

ああ、つまり私にアダルベルト家の権威を見せつけたかったのだろう。

金で買った者への見栄の為に、あれ程の支度をするとは。お金があることは羨ましいことである。


彼女はつんと顎を上げ、下々の者に命令を下すように言った。

「これから当主であるわたくしの夫として、この家で暮らし、努めを果たしてくださいますように」

努めとは、侯爵の夜の世話か。

苦い想いを噛み締めながら、私は「精進します」と答えた。

格下の伯爵家からこの家に入れてやったのだからせいぜい勉強しなさい、とこちらを嘲笑うような言葉にも従順に「努力します」と答えた。


彼女は満足そうに頷いて、私の前に書類を並べた。

ざっと見る限り、それは結婚に関する事務的な取り決めが記されたものと、国が発行する正式な書の数々のようだった。

彼女が内容を説明するのを口は出さず聞いた。

効率よく重要なところだけを掻い摘んでいく様子に、こういった説明をする事に慣れているなと感じた。

義母はそういう事が全く出来なかったが、さすがに侯爵ともなると違う、と失礼な事を思う。


書類自体もわかりやすくまとめられ、クレーベでは執務の全てを担っていた私には全ての内容が容易く理解できた。

しかしそれを私に渡す意図が理解できない。

この書類の全ては、言ってみれば私へ与えられた権利だった。

この家でお金を受け取る権利、人を使う権利、王宮にアダルベルト侯爵の夫として出入りする権利、上流貴族の一員として議会に出席する権利。

この書類の数だけ私に権利を与えると、彼女は言っている。


ここに来て始めて、聞いていた話との齟齬を感じた。

戸惑いながら、できる限り丁重に感謝を伝えた。

すると彼女はむっとした表情をした。

「その態度はどうかと思いますの」

感謝の態度がなってないと言いたいらしい。

ああ、義母だ。

何度「そんな態度でまさか感謝しているつもり?」と難癖をつけられてきた事か。

そんな理不尽には慣れている私は、ただ詫びた。

そんな私に何を感じたのか、彼女はニヤリと笑い、

「フェリクスさん、わたくしの事をマルゴと呼ぶ許可を差し上げますわ」

と言った。

マルゴとはマルグリットの愛称だ。しかし愛称というのは普通、よほど親しい関係でしか使わない。

家族か、もしくは寝台の上の睦言か…

彼女を抱き寄せ「マルゴ」と呼びかける自分を想像して、鳥肌がたった。

思わず「とんでもない」と拒絶の言葉が口から飛び出てしまった。

何という失態か。

当然、彼女は不機嫌になった。


「それは、あなたが田舎伯爵領出身だから、かしら?」

ゆっくり嫌味たらしく言って、じろりと私を見た。

顎をくいっと上げて、私に言葉を促す。

“お前は私に逆らえる身なのか。

さあ、自分の身の程を言ってみなさい”

彼女の目が私に答えることを強要した。


ぐっといろんな思いを飲み込んで、彼女の望む言葉を言うしかなかった。


「‥‥‥私が、侯爵様に、買っていただいた身だということです」


彼女の顔がおかしな風に歪んだ。

5話目の“初めての二人きり”と合わせて読んでもらうと楽しいかなと思います。

フェリクス視点、次まで続きます。

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