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フェリクスの結婚③

ずいぶんと賑やかで家庭的な雰囲気だった夕食のあと。

寝支度を整えた私を当主の部屋へ、使用人が導いた。そしてもぬけの殻だった室内を見て、息を飲む。

「あ、あら。そんなはずは。当主様!マルグリット様!」

部屋のどこかに隠れているのかもしれない、と室内をぐるぐる回る使用人を慌てて止めた。

「侯爵様からは、今晩は自室にてよく休むように、と指示をいただいております」

そう伝えると、使用人はなんとも言えない表情になった。

初夜に逃げられた私への哀れみか、もしくはあの侯爵ならあり得ると考えたのか。

「当主様はきっと別棟においでかと。お呼びして参りましょう」

当主の意に逆らうような事を言う使用人に驚き、「そんな事はしなくて良い」と告げた。

心底申し訳無さそうに詫びる使用人に、なんでもない顔を見せて、私はさっさと私室に戻った。



私が気に入らないことを言った罰なのだろう。

「今夜はご自分のお部屋でゆっくり休んでちょうだいね」

つまり今日の初夜はしない、と言った彼女を馬鹿じゃないかと思った。

私が自ら今宵を望んでいると思っているなら、とんだ自意識過剰だ。

しかし実際、新妻に寝室を追い出された夫など、一生嘲笑の的にされるだろう。

まして婿入りした身。今日は礼儀正しかった使用人たちも明日にはガラリと態度を変えるに違いない。

確かに、これは罰なのだ。


「マルゴと呼ぶ許可を差し上げますわ」

そう言われ「とんでもない」と拒絶した。

それを後悔したのは夕食の時だった。

侯爵の二人の妹は、何の邪気もない様子で愛称を呼ぶことを私に求めてきた。

きっとこの家の姉妹は普段から愛称で呼び合っているのだろう。なので新しく家に入った私にもそうして欲しいと言ったのだ。

あれは、家族として仲良くして下さい、そういう意味だった。

もしや、侯爵が言ったのも同じだったのでは。そう考えざるを得なかった。

だとすれば、侯爵が差し出した手をはねつけた私はとんでもないひどい奴だ。


妙に柔らかい寝台の上で座り込んで、ガシガシと頭をかいた。

息を吐いて、天井を見上げる。

と、天幕の内側に何かが括られているのに気がついた。

なんだろうと思い、寝台の上に立ってそれに触れてみた。

リボンで結えられていただけのそれは容易く落ちてきた。ふわりと不思議な匂いが広がる。

「…ポプリ、か?」

手の平サイズの布袋にカサカサした何かが入っている。

そして布袋には何か刺繍されているのが手触りでわかった。

妙に気になって、その袋をランプの元へ持っていき、刺繍された文字を読んだ。


“良い夢を フェリクスに”


丁寧に一針一針縫われたであろうそれを見た瞬間、私はその場に崩れ落ちそうになった。


なんなのだ、この家は。あの侯爵は。

私を人形として買っておいて。

こんなまるで愛情深い母親が我が子にするようなことをして。

私をどうしたいんだ。


ふと、部屋の外から音が聞こえた気がした。

はっと扉を振り返る。

まさか彼女の気が変わって、私の元に…

ランプに照らされた薄闇の中、じっと扉を見て、耳を凝らした。

しかし、勘違いだったようだ。

しばらく待ってみても物音ひとつせず、人の気配はなかった。


「…何をしているのだろうな、私は」

独りごち、寝台に戻ってパタンと倒れた。

すると、寝台があまりにも柔らかく受け止めるので驚いた。クレーベ城の私のものとはどうも造りから違うようだ。

だらしなく寝転んだまま、ポプリを指でもてあそぶ。

「これから私はどうすれば良いのだろうな」

侯爵の好意を無にしてしまったこと。この家での立場。

きっと明日からは本当に、私に試練が降りかかってくるはず…

私のいなくなったクレーベ城は、今頃どのような様子だろう…


様々な想いに沈む度、ポプリの匂いが私にまとわりついた。



ふと、部屋の外から音がした気がした。

どうも神経が過敏になっているようだ。

また気のせいか。そう思ったが、今度は本当に音がする。

扉のところでサワサワと何かが擦れる音。

ドアノブがゆっくり回されていく音がして、身を起こした。

扉からのそりと姿を表した影、「ひゃ」と小さく聞こえた悲鳴は、まさかのアダルベルト侯爵だと思われた。

「侯爵様?」

私が声をかけると、手持ちランプを持った彼女はビクリと体を震わせ、それから

「良い朝ですこと」

と朝の挨拶を言った。

時刻はもうすぐ四時。まだ朝日も昇らないが、夜か朝かを言えば朝かもしれない。

彼女は寝間着に襟のある羽織を着込み、足元は室内履きという出で立ちだった。

私の姿を見て慌てたように、羽織を着ろ、と言う。

まるで、初めて男に間近に接した箱入り乙女のような。

私の脳裏にピンと閃くものがあった。


まさか、そんなはず…


感じた衝撃を隠して、言われたとおり羽織を肩にかけた。

そしてこの部屋に何をしに来たのかと尋ねる。

さすがにこの時間から、夫婦の営みをしに来たとは思えなかった。

「朝、使用人たちが来るまで、ここに置いていただこうと思いまして。よろしいかしら?」

彼女の言葉を聞いて、すぐにこれは私の為だと気がついた。

私を初夜に追い出された惨めな男にしない為に、彼女はここへ来てくれたのだ。


椅子に向かい合って座ると、彼女はさり気なく寝間着の裾を直し、下ろした髪をまとめるように後ろに流し、羽織の襟を引っ張った。

美しい座り姿勢で一度私を見て、淑やかに目を伏せる。

その振る舞いは誇り高い白百合のよう。

ますます、先程思いついた事が真実ではないかと感じた。


つまり、義母が言ったことは嘘だったのだ!

何がどこまで嘘だったのかは、冷静に考えてみなければわからないが、とにかく、嘘だったのだ!


彼女が何かを一生懸命話している。

「アダルベルト家は身内を大切にする一族ですわ」

そうなのかもしれない。

この部屋の愛情が溢れて見えるような支度は、この家では当たり前のことなのかもしれない。

「決して粗末な扱いは致しません。わたくしはあなたを大事にしますわ!」

驚愕するほどに、無垢で真摯な台詞。

私にそんなことを言ってもらえる資格はないのに。

こんなことを言わせてしまった自分を嫌悪する。


親に強制された、金で買われた、と諦めて諾々とこの家にやって来たのは私。

だが、本当に夫になる気はなかった。

ちゃんとした夫の扱いではないと聞いていたから、私もそのつもりだった。

深く考えることから逃げて、心の中で彼女を散々罵倒した。


けれど彼女は、夫になると決まった私がこの家で何不自由なく過ごせるよう、できる限りの支度をして、昨日という日を待っていたのだ。

そしておそらく、昨日の全ての事を自分の責任だと思い込み、彼女は私に誠意を見せようとしている。


何という罪悪感だろう。

時は戻せない。

もし時が戻せたなら、彼女の前に跪いて全てを懺悔し、婿になる資格がないと伝えるのに。

すでに結婚は成立してしまった。


ならば、私はせめて、私の意志で彼女の夫とならなければいけない。

誠心誠意、彼女を私の妻として扱わなければいけない。

今私が彼女に返すべき応えは…

「私からお願いさせてください。どうぞ私をあなたの夫にしてくださいますよう」

そう頼むと、彼女は花のように笑った。

昨日教会で見た高慢で生意気に見えた女はどこにもいなかった。

フェリクスくんは“全部義母が悪い”と思っているでしょう。罪悪感と義務感に縛られて、恋愛感情が芽生えるまでは時間がかかりそうです。

次回はマルグリット視点に戻ります。

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