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第13話 最悪

「お前知ってんのか。もしかしてファンだったりすんのか? まあ最近よくテレビとか出てるよなぁ。上本香奈だっけ。ちょっと伝手があってな、お前のために連れてきた」


 辰巳がちらりと傍らに視線を向ける。香奈ちゃんは所在なさげに僕と友永を交互に見比べる。

 ある種の諦観と、少しの絶望が、彼女の表情からは読み取れた。


「僕のために、ですか?」

「おお、こいつにピアノを教えてもらってよ。なんかいろんなコンクールで勝ってこいや。そんで箔つけて知名度上げてこい」


 すぐさま僕の頭によぎる。その言葉は無理の二文字だ。

 体が入れ替わる前ですら結果は出なかった。それなのに今の僕のこの状態でピアノを弾いて結果を出す。そんなことができるわけない。


 だけど反論はできない。有無を言わさない辰巳の威圧も原因の一つだ。しかしそれ以上に、僕は言ってしまった。


『ピアノです』


 ピアノで損失を取り戻さなければいけない。昨日それを自分で言ってから今まで、漠然とどうすればいいかを考えもしていなかった。実感がなかった。

 ただ明確に突きつけられるコンクールという試練。それは自分の発言を後悔させるにはこれ以上ないものだった。


 何も言えない僕はうつむくしかない。それを肯定ととらえたのか辰巳が目の前まできて顔を覗き込んでくる。


「コンクールで結果出してよ、そんで界隈で有名になったお前に利用価値があんだわ。それにすらなれねえってなると、どうなるかわかるよな?」


 すごんでいるわけではない。淡々と言葉を紡いでくる。

 それが余計に怖く、目の前の大柄な男の底知れなさを感じられた。


「お前も上本も、俺から逃げたらどうなるかはわかるだろ。友永ぁ、目光らせて、定期的に進捗よこせ」


 はいと友永の声が響く。音や声の聴こえ方が変わってしまった僕にも、恐怖の色が乗っていることはわかった。


 香奈ちゃんはそんな中でうつむいて何も言わない。一体何をして辰巳とつながってしまったのだろうか。その答えを聞くことなんかできず、僕たちは部屋を出た。


◇         ◇         ◇


 気が付けばタクシーに乗っていた。友永と香奈ちゃんがつきそい、辰巳とは別れた。

 車内では誰も何も言わなかった。友永を挟んで窓際に僕と香奈ちゃんが座る。マスクとサングラスで顔を隠した彼女の顔を度々見たけど、一度も目線は合わなかった。

 向かった先はピアノスタジオ。どの程度の実力があるか把握しておきたいと香奈ちゃんは言った。


「好きな曲でいいです。何か弾いてもらえますか」


 自分の顔を隠すための装飾をすべて外した彼女は、真剣な面持ちで僕を見た。その表情には不安が見て取れた。

 ただそんな表情、そして彼女の色が変わっても、その大きな瞳は美しいと、僕はそう感じた。


 黄色い白鍵に指を置く。弾こうとする曲は当然決まっている。


 彼女が弾く曲の中で一番好きだった。

 そして僕もその曲を弾くことが好きになった。

 

 五感が狂った中で奏でる、シューマンのトロイメライ。


 相も変わらず不協和音のような音が鳴る。

 それでも昨日弾いた時とはずいぶんと違った。

 集中ができている。彼女に最高の音を届けたいという欲求が、僕の指を滑らかに突き動かす。


 この状況をすべて吞み込めているわけじゃない。

 もしかしたら今傍らにいる香奈ちゃんは夢幻の存在なのかもしれない。


「ごめんなさい」


 最後の4小節を弾こうとする前に、演奏は声に遮られた。

 声の主は香奈ちゃん。その表情には明らかな困惑、そして絶望が読み取れた。言葉を選んでなんかいられない。焦りを原動力にしたように彼女は言葉を紡ぐ。


「えっと、ピアノ、いつまで弾いてましたか?」

「最近まで、音大に行ってましたので」

「どこですか?」


 僕は自分が通っていた音大を口にする。

 彼女の顔に困惑がさらに広がる。


「音大生なんですか? いや、にしては・・・」


 当然のことだった。普段ピアノを聴いていない辰巳や友永にはすごい演奏に映ったかもしれない。しかし今の相手はプロのピアニストだ。

 今までピアノなんか弾いたことがないであろう体、急に与えられた新しい五感の中で奏でた演奏など、彼女からしたら問題外としか言いようがないだろう。

 ならばと思った。ここで伝えるしかない。今の自分の現状を。こんな演奏しかできない理由を。


「香奈ちゃん、あの、成田です」


 彼女の困惑の色がさらに強まった。


「はい?」


 怖気づいてなんかはいられない。


「あの僕、成田です。小学校の時ピアノ教室で一緒だった。えっと、この体の人とぶつかって、入れ替わっちゃって。元の僕の体は死んで火葬されて、もう戻れなくて」


 堰を切ったかのように流れ出る言葉を止めることができなかった。まとまりのない言葉を彼女にぶつける。

 信じてもらえるわけはない。そんなことを考えることはできなかった。


 自分のことをたくさん話す。

 今がどういう状況で、僕自身がどうなってしまっているのか。

 目の前にいる女の子の反応なんか気にしない。僕をわかってもらうだけの訴えを浴びせていく。


「最悪」


 僕の必死の訴えは、彼女の無機質な言葉に遮られた。見る見るうちに端正な顔はゆがみ、喉の奥から嗚咽が漏れだす。

 やがて大きな目から涙があふれだすとともに、それを隠すように顔を手で塞いで静かに泣き出した。

 訴えることはやめた。その様子を、僕はただ黙ってみていることしかできなかった。



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