第14話 怒り
5分ほど泣いた香奈ちゃんは、少し落ち着いたようだった。
落ち着いたのを見計らってなのか、友永が切り出す。
「今森さんちょっと事故で記憶がないんすよ。だから多分、ネットとか映画で見たやつを自分のことだと勘違いしてるだけです」
泣きはらした目を虚空にさまよわせながら、
「ごめんなさい。そうですよね」
と言葉を置くようにつぶやいた。
「もともとピアノとか弾いてた方なんですか?」
友永の方に問いかける。
僕に聞かないということは、話が通じない人間と判断されたのだろうか。
それになにより、さっきの僕の告白も、彼女には狂人の戯言のように映ってしまっていた。
受け入れられないことがこんなに苦しいのだと実感する。
無意識のうちに手が震えた。
「いやそんなことは聞いたことなかったですね」
そうして、僕の方に向き直り、
「楽譜は読めるみたいですね。だからそこは飛ばして。指の動きもよくしてほしいから、後で教えるストレッチとかを毎日欠かさずお願いします」
目も合わさずに、言葉を選んで僕に話す。
極力かかわりたくないのだろうな。そんな風に思った。
それでも僕にピアノを教えなければいけない何かがある。
過去の香奈ちゃんが少しずつ、僕の中で崩れていくことを感じた。
一体何をしてしまったのだろうと。
「それじゃあもう少しやりましょうか。トロイメライでいいです」
そうしてレッスンは再開した。
その日は一度も香奈ちゃんと目は合わなかった。
◇ ◇ ◇
「詳しくは聞けてないですけどクスリですよ」
帰り道、ガラガラの電車の車内で友永はつぶやくように言った。
「有名人らしいですからね。俺はあんま知らないですけど。うちの売人がいつか何かに使えるかもって辰巳さんに言ってたらしいです」
それを聞いて、何も言葉を発することができなかった。
どうして香奈ちゃんがこんなことに協力するのか。その答えを知ることができたこと。それ以上にショックの方が大きい。
涙をこらえるのに必死だった。気を紛らわせるために、もたれかかった仕切りを強く握りしめる。
「森さん、俺の家にも置いてるんで。もしほしかったら全然飲んでいいですよ。寝室のクローゼットの中にある棚の上から2番目っす」
「飲んでいいって?」
「バツ」
それが何を指しているのか直感で薬物だとわかる。
悲しみの感情に、吐き気と嫌悪感が押し寄せる。
香奈ちゃんを堕とした存在。
息が荒くなる。許せないと感じた。
大きく渦巻く負の感情が、少しずつ怒りを生む。右手の仕切りを掴む力が勝手に増していくのを感じる。
「気まぎれますよ」
こともなげに友永は言った。
それは僕を怒らせようとかそんなニュアンスは一切含んでいなかった。
単純な善意。
そうか僕は今森という人間の体にいるのか。
荒くなった息が収まっていく。
硬直した体がほぐれ、背もたれに深く腰を下ろす。
窓の外の景色は見ないように、天井を見上げる。
黄色い車内の中に、意味不明な色をした中づり広告がゆらゆらと揺れている。
横から大きなため息が聞こえた。
その真意はわからなかった。
「降りますよ」
立ち上がる友永。
しかしそこは、友永の家の最寄り駅ではない。
「ここは・・・」
「俺も仕事がありますから」
そういうと、強引に手を引かれる。
強い力に抵抗することなどできず、僕は立ち上がった。




