第7話 「うるさくて、しずかな日」
今日は音に殺された。
正確に言うと、「第91世界線残滓バーガー」の仕込み中に、そのバーガーから音が漏れた。
第91世界線は音が物質として存在する世界線だった。音圧で建物を建てたり、音の振動で鉱石を溶かしたりする文明だったらしい。バーガーに圧縮されてるはずなんだけど、今日は封じ込めが甘かったやつが一個あって、パティを成形しようとしたときに爆音が漏れた。
鼓膜というか、頭部全体が共鳴して、そのまま死んだ。
痛くはなかった。音が体の中に入ってきて、揺れて、崩れた感じだった。
培養槽から出て、棚を開けた。
頭部の再生はできたが、耳のパーツが損傷してた。スペアを探した。
「音吸収遮断型耳パーツ(防音仕様・感度低下あり)」があった。
感度低下あり。
まあ、いっか。
第一章 「しずかすぎる」
◆ 朝のキッチン
翌朝、キッチンに入った。
しずかだった。
キッチンはいつもうるさい。油がはねる音、包丁の音、鍋が台にあたる音、幽玄ちゃんが何かをつぶやく声、万寿ちゃんがうっとりする気配の音——全部がある場所だ。
今日は全部、遠かった。
音吸収遮断型の耳は、音をある程度カットしてしまう。防音仕様だから。包丁の音が聞こえない。油のはねる音が聞こえない。フライパンがジュッとなる音が、ジュッとなってない。
なんか変な感じだ。
万寿ちゃんが何か言った。
「……ごめん、聞こえにくい」てわたしは言った。
万寿ちゃんが近づいてきた。口を動かした。
「……ごめん、もうすこし大きい声で」
万寿ちゃんが耳の近くで言った。「……今日の耳、防音?」と聞こえた。
「そう。音で死んだから」
「……なるほどね」
◆ 音がないと何かが変わる
仕込みを始めた。
今日の担当は「第3世界線残滓バーガー」だ。第3世界線は水の世界線で、においは湿った土と、魚のにおい。割とおだやかなパティになる。成形は難しくない。
ただ——音がないと、感触に頼る部分が増える。
素材を触る。柔らかさがわかる。水分量がわかる。包丁で切るとき、刃がどのくらい素材に入ってるかが、指先でわかる。
音で確認してた部分を、感触で確認してる。
悪くない。でもいつもと違う。
昼前、幽玄ちゃんが来た。
「……輪廻」
少し遠く聞こえた。
「うん」
「……今日、音が届いてる?」
「ぼんやり届いてる。でも遠い」
「……そう」と幽玄ちゃんが言った。「わたしには、輪廻がいつもより静かに見える。動いてるけど、静かに見える」
「音がないから?」
「……たぶん。でも——なんか、落ち着いてる感じがする。輪廻がいつもより落ち着いてる」
そうかな。
確かに、今日はキッチンがうるさくない。いつもは音がにぎやかで、それはそれでいいんだけど、今日は静かで、それもいい。
「……まあ、料理はできてるから」
◆ 憂起ちゃんが来た
午後、廊下で憂起ちゃんとすれ違った。
正確には、廊下の壁から憂起ちゃんの下半身だけ出てきた。上半身はまだ壁の中だった。
「……輪廻」とくぐもった声がした。壁越しだから少し変な声だ。
「うん」
「……今日、いつもより静かだぞ」
「耳が防音になったから」
憂起ちゃんの上半身が壁から出てきた。「……防音?」
「音で死んで、スペアが防音仕様だった」
「……そっか」と憂起ちゃんが言った。少し考えてる顔をした。「……わたし、音がよくわからないんだ。実体がないから、音の振動が体に届かなくて」
「そうなんだ」
「……だから輪廻が今日どう聞こえてるのか、わからないんだけど——なんか今日の輪廻、ここにいる感じがする」
「いつもはいない感じがするの?」
「……いつもも輪廻はいる。でも今日は、もっとここに集まってる感じ」
集まってる。
音がないから、他の感覚が集まってるのかもしれない。
まあ、よくわかんないけど。
「ここにいるよ」てわたしは言った。
「……わかってる」て憂起ちゃんが言った。「でも言いたくなった」
第二章 「第91世界線の残りの仕込み」
◆ 午後のキッチン
午後の担当は、今日の死因になった「第91世界線残滓バーガー」の残り仕込みだった。
封じ込めが甘かったやつは廃棄したが、残りはちゃんと封じ込められてる。今日はそっちを仕込む。
ただ、少し緊張した。
同じ世界線のバーガーで死んでる。また音が漏れたら、防音耳があるとはいえ、今度は別のとこがやられるかもしれない。
万寿ちゃんに言った。「今日、第91世界線の仕込みがある。また音が漏れたら危ないかな」
「……防音耳をつけてるから、ある程度は大丈夫なんじゃないかしら」と万寿ちゃんが言った。「でも念のため、一個ずつ確認してから仕込んだ方がいいわ」
「どうやって確認する?」
「……においを確認する。第91世界線のパティは、封じ込めがちゃんとできてるときはにおいが安定してる。封じ込めが甘いと、においが揺れる感じがするはず」
においを確認する。
わたしはパティを一個取り出した。においを嗅いだ。
金属のにおい。振動のにおい——音が物質だった世界線のにおいは、すこし電気のにおいに似てる。あと、響くような感触のにおい。
安定してた。
「……これは大丈夫そう」
「……次も確認して」
一個ずつ確認した。全部で八個。七個は安定してた。一個、においが揺れてる感じがした。
「この一個、においが変」
「……廃棄して」と万寿ちゃんが言った。
廃棄した。
残り七個を仕込んだ。問題なかった。
◆ 幽玄ちゃんの話
仕込みが終わって、幽玄ちゃんと少し話した。
「……第91世界線のパティ、においで確認したんだね」
「万寿ちゃんに教えてもらった」
「……音の世界線なのに、においで確認した」
「音はわかんないから」
「……それが面白かった」と幽玄ちゃんが言った。「音で存在してた世界線を、においで確認した。その世界線の住人が聞いたら、どう思うかな」
わかんない。
でも、確認できた。においは嘘をつかなかった。
「……音がなくても、わかることはある」てわたしは言った。
「……そう思う」と幽玄ちゃんが言った。
第三章 「静かな夜に聞こえるもの」
◆ 夜のキッチン
仕込みが全部終わって、キッチンを片付けてた。
音がない夜のキッチンは、いつもと違って見えた。
フライパンが台に置いてある。鍋が棚に並んでる。包丁がケースに入ってる。全部、静かだ。音を出すものが、音を出してない。
いつもはうるさい場所が、静かになると、形がよく見える。
鍋の大きさとか、包丁の刃の具合とか、フライパンの底の焦げ跡とか。
音がないから、目に来てるのかもしれない。
幽玄ちゃんがまだいた。
「……今日一日、どうだった?」
「変な感じだった。でも、悪くなかった」
「……何が悪くなかった?」
「音がないと、他のことがよく見える。においとか、感触とか。そっちがはっきりする」
「……そう」と幽玄ちゃんが言った。「輪廻は、毎回何かが変わるたびに、別の何かがはっきりするね」
「そう?」
「……熱感知がなくなったらにおいが出てきた。感触が遮断されたらにおいが出てきた。今日は音がなくなって、においと感触と目が出てきた」
「毎回そう?」
「……見てる限りは、そう見える」
わたしは特に意識してたわけじゃないけど、言われてみるとそうかもしれない。
「……なんで?」てわたしは聞いた。
「……わからない」と幽玄ちゃんが言った。「でも——輪廻はパーツが変わっても輪廻のまま戻ってくる。それと同じことなのかもしれない」
「どういうこと?」
「……何かが変わっても、できることを探す。それが輪廻の帰り方なんじゃないかな、と思った」
帰り方。
また出てきた。
まあ、よくわかんないけど。
「……そっか」てわたしは言った。「なんか今日の幽玄ちゃん、いっぱいしゃべった」
幽玄ちゃんがすこし止まった。
「……そうかな」
「うん。いつもより多かった」
「……音がなくて、しゃべりやすかったのかもしれない」
「なんで?」
「……うるさいとこより、静かなとこの方が、わたしは話せる」
幽玄ちゃんは音が苦手なのかもしれない。幽霊だから、音が違う感じに届くとか。
「……明日も静かにしてあげようか?」
「……輪廻の耳が治ったら、普通の方がいい」と幽玄ちゃんが言った。「今日だから良かった」
エピローグ 「翌朝、音が戻った」
翌朝、耳を普通のパーツに換えた。
キッチンに入った。
うるさかった。
万寿ちゃんが何かに話しかけてる声。幽玄ちゃんが小さく「……視えるわ」と言ってる声。油がはねる音。鍋が動く音。
全部、来た。
いつものキッチンだ。
昨日は静かで、それもよかった。今日はうるさくて、それもいい。
フライパンを火にかけた。ジュッと音がした。
聞こえる。
においも確認した。今日の素材は第44世界線だ。湿った土と魚のにおい。前に仕込んだことある世界線だ。
音があっても、においはちゃんとわかる。
どっちもある。
前が広い。
それはたぶん、今日も変わらない。
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◇ クルー視点モノローグ —— 幽玄 —— 観察記録
今日は輪廻とよくしゃべった。
音がなかったから。
わたしは音が苦手だ。うるさい場所では、何かを言おうとしても音に混ざってしまう気がして、あまりしゃべれない。
今日のキッチンは静かだった。だからしゃべれた。
輪廻が「なんか今日の幽玄ちゃん、いっぱいしゃべった」と言った。
そうかもしれない。
音がないと、見えるものが増える気がした。
輪廻が素材に触れる感触。においを確認する動き。パティの成形の仕方。
いつも音に混じって見えにくかったものが、今日はよく見えた。
輪廻は毎回、何かが変わると別の感覚が出てくる。
それが何度も続いている。
意識してないのに、毎回そうなる。
……後ろ、気をつけて。
今日も少し、輪廻の後ろがにぎやかになった。
静かな日に、後ろだけがにぎやかになっていく。
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◇ クルー視点モノローグ —— 万寿 —— 記録・不定期
今日は第91世界線の仕込みを輪廻と一緒に確認した。
においで封じ込めを確認する、と教えたら、輪廻がちゃんとできた。
音の世界線を、においで確認した。
少し面白いと思った。
音が存在の基盤だった世界線が、においによって「生きていた証拠」を残している。
輪廻はその証拠を、鼻で受け取った。
死んだものが残すものを、輪廻はよく受け取る。
残留も、においも、感触も。
輪廻は受け取るのが得意なのかもしれない。
本人は気づいていないようだけれど。
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◇ クルー視点モノローグ —— 憂起 —— 断片
今日の輪廻は、ここにいる感じがした。
音がなかったから、集まってた感じ。
わたしは音がわからない。振動が届かない。
だから今日の輪廻と、少し同じ状態だったかもしれない。
音がなくても、ここにいた。
輪廻が「ここにいるよ」と言った。
わたしが言わせた。
でも——輪廻もたぶん、確認したかったと思う。
音がなくてもここにいる、ということを。
わかってるはずなのに、言いたくなることがある。
それはわたしも同じだ。
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