↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
22/27

第22話「受け取るって言ってない」


 白い手が、わたしの右肩を掴んだ。


 痛くはなかった。


 冷たくもない。


 ただ、ないはずの指が急に戻ってきたみたいに、肩の奥がむずむずした。


「……あ」


 白い手の手首から先が、少しずつ見えてくる。


 手首。


 腕。


 肘の手前。


 わたしの肩の断面と、ぴったり同じ高さまで来た。


 近づく。


 身体の方が先に反応した。


 肩の縁に、細い線が浮かぶ。


 いつもパーツを替えるときに出る線。


「待って」


 半歩、下がった。


 白い腕が止まった。


「まだ、受け取るって言ってない」


 誰も動かなかった。


 白い手だけが、肩の前で開いたまま浮いていた。


◇


「現状を固定します。誰も触れないでください」


 秩序ちゃんが端末を持ち上げた。


「触んな。俺っちが先に見る」


 流焔ちゃんが横から手を出す。


「流焔さんもです」


「なんで俺っちだけ名指しなんだよ」


「触ろうとしているからです」


「まだ触ってねえ」


「その手を戻してください」


 流焔ちゃんが渋々引っ込めた。


「わたしは?」


「輪廻さんも触れないでください」


「わたしの腕かもしれないのに?」


「だからです」


「そっか」


 床には、昨日破られた紙の欠片がまだ透明袋に入れて残されている。


 新しい紙はない。


 でも、最初の紙の日付は今日だった。


『右腕 返却済』


『受領者 輪廻』


 返却済。


 受領者。


「返したのは、わかる」


 白い手を見る。


「でも、わたしまだもらってない」


 秩序ちゃんが端末へ入力する指を止めた。


「その認識を基準にします」


「うん」


「記録上の『受領済み』とは一致しません」


「じゃあ記録が間違ってる」


「現時点では、その可能性を除外しません」


「難しい言い方」


「輪廻さんが簡単すぎるのです」


 白い手の小指が、少しだけ浮いた。


 わたしと同じ。


◇


 昼まで、右腕なしで働いた。


 白い手は厨房の端にいた。


 何にもつながっていないのに落ちない。


 トレーの上へ置こうとしたら、そこから五センチくらい上で止まった。


「置けないんだ」


「……置かれてるんじゃない」


 幽玄ちゃんが少し離れたところから見ている。


「じゃあ何してるの?」


「……待ってる」


「何を?」


 幽玄ちゃんは答えなかった。


 白い手へ近づこうともしない。


 わたしは片手で箱を組んだ。


 昨日より速い。


 慣れた。


 最後の爪だけうまく入らない。


「ん」


 押す。


 外れる。


 もう一回。


 白い手が動いた。


 箱へ向かって。


「勝手にやらないで」


 止まった。


 指先が箱のすぐ横で止まる。


「……聞いてる」


 幽玄ちゃんが言った。


「そうみたい」


 わたしは左手で箱を押した。


 今度は閉じた。


「できた」


 白い手は動かなかった。


 少しだけ、かわいそうに見えた。


 気のせいかもしれない。


◇


 休憩に入る前、流焔ちゃんが白い手の前へしゃがんだ。


「なあ。お前、燃える?」


「試さないで」


「聞いただけだって」


「火、出そうとしてた」


「出してねえよ」


 指先に小さい炎がついていた。


「出てる」


「これは癖」


「便利な癖だね」


「輪廻ちゃんに言われたくねえ」


 白い手が、流焔ちゃんから少し離れた。


「逃げた」


「チッ。ちゃんと見えてんじゃねえか」


「何が?」


「危ねえやつ」


「流焔ちゃんのこと?」


「お前、片手でも口は元気だな」


 ちょっと笑った。


 白い手の指が、一度だけ曲がった。


 笑ったのかは、わからない。


◇


 夕方。


 白い手はまだ待っていた。


 何度か動いた。


 でも、わたしが「待って」と言うと止まった。


 昨日みたいに先回りもしない。


 わたしが落としたスプーンも拾わなかった。


 床に落ちて、カラン、と鳴った。


「拾ってくれてもよかったのに」


 白い手は動かない。


「……わがまま」


 幽玄ちゃんが言った。


「わたしが?」


「……うん」


「そうかも」


 スプーンを拾う。


 洗う。


 戻す。


 それから、白い手の前へ行った。


「戻りたい?」


 動かない。


「わたしの右腕に」


 小指が少し浮いた。


「それ、返事?」


 わからない。


 だから今度は、自分の方を考えた。


 右腕は欲しい。


 片手は不便。


 箱も遅い。


 扉も開けづらい。


 それに、この手は知っている。


 わたしと同じ持ち方。


 同じ癖。


 たぶん、知らないことも知っている。


 でも。


「昨日のわたしに返すんじゃなくて」


 肩の袖をまくった。


「今日のわたしが、もらう」


 白い手は動かない。


 待っている。


 わたしから肩を近づけた。


「受け取る」


 その瞬間だけ、厨房の音が遠くなった。


 肩の線が開く。


 白い腕が触れる。


 ぴたり。


 継ぎ目が閉じた。


 指先まで、一気に感覚が通った。


「……ある」


 右手を開く。


 閉じる。


 もう一度開く。


 今度は勝手に動かなかった。


 わたしが動かした分だけ動く。


 白かった皮膚の下へ、細い線が何本も浮かんだ。


 やがて腕全体が、前と同じように透けた。


 黒い一滴も戻っている。


「おかえり」


 言ってみた。


 右手は何も答えなかった。


 でも、それでよかった。


◇


 閉店後。


 秩序ちゃんが最初の紙を見せた。


『右腕 返却済』


『受領者 輪廻』


 下に、時刻が増えていた。


 わたしが「受け取る」と言った時刻。


「今になった」


「はい」


「じゃあ、これで合ったね」


「この記録については」


「ほかは?」


 秩序ちゃんが黙った。


 透明な右腕を見る。


 古い線。


 昨日の線。


 そして、今日の日付。


『輪廻 未帰還』


 まだ残っている。


「今日だね」


「はい」


「じゃあ帰る」


「……今ですか?」


「うん」


「その記録を否定するために?」


「それもある」


 上着を取る。


「あと、眠い」


◇


 部屋の扉を開けた。


 右手で。


 ちゃんと開いた。


 中へ入る。


 照明をつける。


 靴を脱ぐ。


 扉を閉める。


「ただいま」


 返事はない。


 壁の入退室端末が短く鳴った。


『入室 輪廻』


 透明な右腕を見る。


 今日の日付。


 その下の文字だけは、変わっていなかった。


『輪廻 未帰還』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。