↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
21/21

第21話「帰らない日の朝」


 朝、右手がなかった。


「……あれ」


 布団の上。


 右肩から先が、きれいにない。


 痛くない。


 血も出ていない。


 いつもの交換と同じ。


 ただし。


「外した覚えない」


 床を見る。


 机の下。


 枕の横。


 棚の上。


 ない。


 昨日まで透明だった右腕は、どこにもなかった。


 代わりに枕元へ、小さな紙が一枚置いてある。


 二行だけ。


『右腕 返却済』


『受領者 輪廻』


「……わたし?」


 左手で紙を持つ。


 裏返す。


 何もない。


 もう一度表。


 日付を見る。


 明日だった。



 厨房へ行くまでに、三回ぶつかった。


 右手があるつもりで扉を押した。


 トレーを両手で持とうとした。


 制服の袖を直そうとした。


 身体は、ない腕をまだ使おうとする。


「不便」


 つぶやいたところで、流焔ちゃんが振り返った。


「って、腕どうした!?」


「ない」


「見りゃわかる!」


「どっかいった」


「どっかいったで済ますなよ!」


 流焔ちゃんは持っていたトングを作業台へ置いた。


「取れたのか?」


「たぶん」


「お前の場合、その“たぶん”が怖えんだよ」


「わたしも最近そう思う」


「成長したな」


「うん」


「褒めてねえ」


 少し笑った。


 そのとき。


 ジュッ。


 鉄板の上で肉が焦げた。


「うわっ」


 流焔ちゃんが慌てて返す。


「輪廻ちゃんのせいで焼きすぎた!」


「わたし何もしてない」


「腕なくして出勤してくるやつが悪い!」


「それはそうかも」


「認めんな!」


 焦げた匂いが少しだけ厨房に残った。


 いつもの朝。


 それが、ちょっと嬉しかった。



「交換記録がありません」


 秩序ちゃんは端末を二度確認した。


「分離記録もありません。搬送記録もありません。保管記録もありません」


「じゃあ、消えた?」


「結論を急がないでください」


「はい」


 最近、この返事をすると秩序ちゃんが少しだけ安心する。


 たぶん。


「紙は?」


「これ」


 渡す。


 秩序ちゃんの指が止まった。


「……明日?」


「うん」


「昨日も未来日付の履歴が発生していますね」


「二日後、わたし帰らないってやつ」


「覚えていますか」


「うん」


「よかったです」


「何が?」


「そこまで欠損していたら、話が変わります」


「今も十分変じゃない?」


「比較の問題です」


「そっか」


 秩序ちゃんは紙を端末へ近づけた。


 読み取り音。


 短い電子音。


 画面に文字が出る。


『受領確認済』


「……」


「受け取ってるね」


「はい」


「わたしが」


「はい」


「でも腕ないね」


「はい」


 二人で肩の空白を見る。


 そこだけ制服の袖がぺたんと垂れている。


「秩序ちゃん」


「はい」


「わたし、明日これ受け取るの?」


「現時点では断定できません」


「じゃあ」


 紙を指す。


「この紙を書いた人は?」


 秩序ちゃんは少し黙った。


「少なくとも、輪廻さんが受領したと認識していた誰かです」


「誰か」


「あるいは」


 一拍。


「何かです」



 昼前。


 幽玄ちゃんに見せた。


 紙。


 肩。


 ない腕。


 幽玄ちゃんは紙より、わたしの右側を見ていた。


「……そこ」


「肩?」


「……もう少し右」


 何もない空間。


「いる?」


「……ある」


「何が?」


「……腕」


「見えるの?」


「……見える、とは違う」


 幽玄ちゃんが手を伸ばす。


 途中で止めた。


 わたしの肩から三十センチくらい離れた場所。


「……ここにある」


「触れる?」


「……触りたくない」


「なんで?」


「……輪廻ちゃんのじゃない」


 背中側で、冷蔵庫のコンプレッサーが止まった。


 急に静かになった。


「でも昨日まで、わたしの腕だったよ」


「……うん」


「じゃあ今は誰の?」


「……」


 幽玄ちゃんは答えず、一歩下がった。


「……こっち見た」


「腕が?」


「……うん」


「目ないよ」


「……ないから困る」


 ちょっと面白かった。


 笑おうとした。


 笑えなかった。



 午後。


 仕事はできる。


 左手だけでも、思ったよりなんとかなる。


 パンを押さえられない。


 箱を組むのが遅い。


 トレーが傾く。


 流焔ちゃんが横から勝手に押さえる。


「ほら」


「ありがとう」


「片手で無理すんなって」


「できそうだった」


「できてねえから持ってんだよ!」


「じゃあ、こっち押さえて」


「人使い荒くねえ?」


「腕がないから」


「強いな、その言い訳」


 二人で箱を閉じる。


 角が少しずれた。


「失敗」


「食えりゃ同じだろ」


「秩序ちゃんに言って」


「絶対言わねえ」


 そこで。


 右手が動いた。


 正確には、


 右手が動いた気がした。


 ないはずの指が、


 箱の角を押した。


 カチ。


 ずれていた爪が嵌まった。


「……」


「……」


 流焔ちゃんが箱を見る。


 わたしを見る。


 肩を見る。


「今」


「うん」


「何した?」


「何も」


「だよな」


「うん」


 箱はきれいに閉じている。


 わたしの右側には、


 何もない。



 それから増えた。


 扉が開く。


 皿が寄る。


 落ちかけたスプーンが戻る。


 右側だけ。


 最初は便利だった。


「これいいかも」


「よくありません」


 秩序ちゃんが即答した。


「便利だよ」


「所有者不明の不可視肢が輪廻さんの作業へ介入しています」


「言い方が怖い」


「事実です」


「でも助かってる」


 そう言って、


 紙コップを左手で持った。


 ストローを取ろうとする。


 見えない右手が先に取った。


「……」


 ストローが宙に浮く。


 わたしの口元へ来る。


「気が利く」


「輪廻さん」


「はい」


「使用しないでください」


「向こうから使われてる」


 秩序ちゃんが黙った。


「……それが問題です」


 ストローは、


 わたしが受け取るまで空中で待っていた。



 夕方。


 変化した。


 わたしが取ろうとしたものを、


 先に取る。


 わたしが開けようとした扉を、


 先に開ける。


 歩こうとすると、


 少し前の椅子が勝手に引かれる。


「先回りしてる」


 幽玄ちゃんが右側を見た。


「……うん」


「わたしの考えてることわかるのかな」


「……たぶん」


 右手を使おうと思う。


 ない。


 でも動く。


 箱を取ろうと思う。


 箱が来る。


「便利だけど」


 一歩止まった。


「ちょっと嫌」


 見えない腕も止まった。


「……聞いてる?」


 返事はない。


「じゃあ」


 わざと、


 右にあるトレーを取ろうと思った。


 見えない手が動く。


 トレーが浮いた。


 その瞬間、


「取らない」


 左へ向く。


 見えない手は、


 トレーを持ったまま止まった。


「……」


 待つ。


 三秒。


 四秒。


 トレーが、


 ゆっくり元へ戻った。


「言うこと聞いた」


「……違う」


 幽玄ちゃんが言った。


「何が?」


「……輪廻ちゃんが、違うことしたから止まった」


「同じじゃない?」


「……違う」


 幽玄ちゃんは、


 見えない右手のさらに向こうを見ていた。


「……あれ、輪廻ちゃんの次を知ってる」


「うん」


「……でも」


 少し間を置く。


「……輪廻ちゃんが、次を変えたら」


 そこで初めて、


 幽玄ちゃんがわたしを見た。


「……追いつけない」



 閉店前。


 紙が増えていた。


 今度はロッカーの中。


『右腕 返却済』


 同じ文字。


 その下。


『再装着 不要』


「……いらないって」


 秩序ちゃんが紙を奪うように取った。


「誰が判断したのですか」


「わたしじゃない」


「わかっています」


「怒ってる?」


「はい」


 短かった。


 ちょっと驚いた。


 秩序ちゃんは端末も見ず、その紙を机へ置く。


「輪廻さんの身体構成を、本人以外が確定している」


「うん」


「これは認められません」


 右側で、


 何かが動いた。


 紙が机から浮いた。


 秩序ちゃんの手から逃げるように。


「……」


 見えない手が、


 紙を破った。


 一度。


 二度。


 細かく。


 床へ落とす。


「怒った?」


 聞く。


 返事はない。


 でも。


 今度はわかった。


「これ」


 肩の右。


「未来のわたしじゃないね」


 空気が止まった。


「未来のわたしなら」


 一歩前へ出る。


「わたしが今、何を選ぶか全部わかるはずない」


 見えない腕は動かない。


「だって」


 もう一歩。


「わたし、変えられるから」


 右側を向く。


 何も見えない場所。


「誰?」


 その瞬間。


 透明だったはずの何かが、


 指先だけ現れた。


 白い手。


 Cを持っていた、


 あの手。


 小指が、


 少し浮いている。


 わたしと同じ癖。


「……」


 手が開く。


 掌に、


 一枚の紙。


 そこには日付も名前もなかった。


 たった一言。


『遅かった』


 白い手が、


 わたしのない右肩を掴んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。