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第19話「わたしより先に、わたしがいた」


 昨日、Cを食べた。


 最後に使うと決めたのは、わたし。


 たぶん。


 その「たぶん」が、朝になっても残っていた。


 透明な右腕を見る。


 昨日の線。


 Cを調べた。


 Cを使った。


 Cを食べた。


 ちゃんと残っている。


 だから昨日のわたしはいた。


 それはわかる。


 問題は、その後ろだった。


 Cの古い履歴。


 名前のない誰か。


 日時もない。


 顔もない。


 白い手だけが残っている。


 そして今朝。


 その手を見た瞬間。


 わたしは思った。


「……これ」


 透明な右手を持ち上げる。


「わたしの手に似てない?」


 昨日までは、気づかなかった。




第一章「同じ手」


◆朝のキッチン


「比較します」


 秩序ちゃんが記録端末を開いた。


 画面の左側。


 Cの古い履歴に残っていた、白い手。


 右側。


 わたしの右手。


 今は透明。


 中には、いろんな履歴の線が走っている。


「形状だけなら一致する部分があります」


「どれくらい?」


「指の長さ。関節位置。手掌の比率」


「じゃあ、わたし?」


「まだ判断できません」


「なんで?」


「輪廻さんの身体は交換されていますから」


「あ」


 そうだった。


 この右腕だって、最初からわたしのものじゃない。


 誰かのもの。


 どこかから来たもの。


 使っているうちに、わたしのものになった。


「じゃあ、この手が同じでも、わたしとは限らない?」


「はい」


「そっか」


 少し安心した。


 でも。


 秩序ちゃんは画面を閉じなかった。


「ただし」


「うん?」


「もう一つ、一致しています」


「何?」


「持ち方です」


 画面が拡大された。


 Cを持つ白い手。


 親指。


 人差し指。


 中指。


 少し変な持ち方をしている。


「輪廻さん」


「うん」


「Cを持ってください」


 持った。


 同じだった。


「……」


「……」


「これも偶然?」


「可能性はあります」


「可能性って便利だね」


「断定できない場合に必要な言葉です」


「じゃあ、わたしじゃない可能性もある?」


「あります」


「わたしの可能性も?」


「あります」


「半分?」


「数値化できません」


「そっか」


 Cを置いた。


 透明な右腕の黒い一滴が、


 少しだけ動いた。


 白い手の履歴へ向かって。




第二章「知らない癖」


 昼。


 Cを使った調理を始めた。


 今日は調査じゃない。


 普通の仕事。


 昨日、


 明日使うかどうかは明日決める。


 そう思った。


 だから今朝、決めた。


 使う。


 理由は簡単。


 昨日食べておいしかったから。


 それでいい。


「輪廻ちゃん」


 幽玄ちゃんが呼んだ。


「うん?」


「……今、何した?」


「何?」


「……C」


 見る。


 わたしはCを作業台の左端へ置いていた。


「置いた」


「……どうしてそこ?」


「使いやすいから」


「……昨日も?」


「昨日?」


「……昨日も、そこに置いてた?」


 考える。


「覚えてない」


 秩序ちゃんが記録を確認した。


「昨日は中央です」


「じゃあ今日は左」


「はい」


 幽玄ちゃんはCを見ている。


「どうしたの?」


「……昔も、そこ」


「昔?」


 嫌な感じがした。


 幽玄ちゃんが指差す。


 古い履歴を表示した画面。


 白い手。


 その手はCを持ったあと、


 作業台の左端へ置いていた。


「……同じだね」


「……うん」


「偶然?」


「……わからない」


「またそれ?」


「……今日は、わからない方がいい」


「なんで?」


 幽玄ちゃんは少し黙った。


「……輪廻が、自分で確かめた方がいいから」


 その言葉が、


 ちょっと嫌だった。


 自分で確かめる。


 つまり、


 確かめるものがある。




第三章「教わってない」


 午後。


 ハンバーガーを一つ作った。


 パティ。


 ソース。


 チーズ。


 野菜。


 バンズ。


 普通の工程。


 でも途中で、


 手が勝手に動いた。


「……あ」


 バンズを一度裏返した。


 焼き面ではない方を鉄板へ触れさせ、


 すぐ戻す。


 ほんの一秒。


 意味のない動作。


「何やってんだ?」


 流焔ちゃんが隣から覗いた。


「わかんない」


「焦がしたか?」


「焦げてない」


「ならいいんじゃねえ?」


「うん」


 そのまま続けようとした。


 でも。


「……いや」


 止まった。


 最近、これが増えた。


 まあ、いっか。


 で終わらない。


「今の、なんでやったんだろ」


「知らねえよ。俺っちに聞くなって」


「流焔ちゃん、やったことある?」


「ねえな」


「秩序ちゃんは?」


「推奨工程には存在しません」


「幽玄ちゃん」


「……知らない」


「万寿ちゃん」


「私も知らないわ」


 誰も知らない。


「じゃあ、わたし、どこで覚えたの?」


 誰も答えなかった。


 その瞬間。


 透明な右腕の線が一本、


 光った。


「……あ」


 古い。


 今の腕を使う前。


 もっと前。


 わたしが覚えていないところ。


 誰かが、


 バンズを裏返している。


 一秒だけ鉄板に触れさせる。


 戻す。


 同じだった。


「……いた」


「何がです?」


「これやった人」


 秩序ちゃんが近づく。


「誰です?」


「わからない」


 線を追う。


 腕の奥。


 ずっと奥。


 黒い一滴の向こう。


「でも、この人」


 続きを見た。


 その人はCを持っていた。




第四章「最初のわたし」


 記録室へ移動した。


 Cの履歴。


 透明な腕の履歴。


 二つを並べる。


 白い手。


 Cを左へ置く。


 バンズを一秒だけ裏返す。


 そして。


 もう一つ。


 完成したバーガーを持つとき、


 小指だけ少し浮く。


「……」


 自分の手を見る。


 バーガーを持つ。


 小指が浮いた。


「これ、癖?」


「そうですね」


 秩序ちゃんが答える。


「以前から確認されています」


「いつから?」


「少なくとも現在の身体構成になる以前からです」


「じゃあ、腕の癖じゃない?」


「その可能性が高いです」


「じゃあ誰の癖?」


 秩序ちゃんが答えない。


 万寿ちゃんが記録を眺めていた。


「面白いわね」


「何が?」


「身体が変わっても残る癖」


「わたしの癖?」


「そうかもしれない」


「でも」


 白い手を見る。


「この人も同じ」


「そうね」


「じゃあ、この人がわたし?」


「それはわからないわ」


「みんな今日そればっかり」


 ちょっと笑った。


 でも、


 笑いながら怖かった。


 記録日時がない。


 名前がない。


 顔がない。


 存在情報だけが抜け落ちている。


 なのに、


 わたしと同じ癖がある。


「秩序ちゃん」


「はい」


「この記録、いつの?」


「日時は欠損しています」


「わたしがぱんでむに来る前?」


「判断できません」


「来たあと?」


「判断できません」


「じゃあ」


 少し考える。


「わたしが生まれる前?」


 秩序ちゃんの手が止まった。


 部屋が静かになった。


「……その質問には」


 秩序ちゃんが慎重に言った。


「輪廻さんの『生まれた』を、どの時点と定義するかが必要です」


「難しいね」


「はい」


「じゃあ簡単にする」


 白い手を指差した。


「この人は、今のわたしより前にいた?」


「……はい」


 初めて、


 はっきりした答えが返ってきた。


「そっか」


 今のわたしより前。


 それだけ。


 でも十分だった。


「じゃあ」


 口から出た。


「わたしより先に、わたしがいたのかもしれないね」




第五章「返事」


 透明な右腕が熱くなった。


「……?」


 黒い一滴が動く。


 今までより速い。


 指先。


 手首。


 肘。


 肩。


 胸。


 止まらない。


「輪廻ちゃん」


 幽玄ちゃんが立ち上がった。


「……後ろ」


 コン。


 音。


 フライパン。


 コン。


 もう一度。


 コン。


 三回。


 昨日と同じ。


 でも今日は、


 そこで終わらなかった。


 コン。


 四回目。


「……増えた」


 後ろを見る。


 誰もいない。


 でも、


 床に黒い線がある。


 わたしの足元から、


 後ろへ伸びている。


 いつもなら消える。


 今日は消えない。


「……幽玄ちゃん」


「……うん」


「これ、どこまで続いてる?」


 幽玄ちゃんは見た。


 廊下の向こう。


 もっと向こう。


 壁。


 その先。


「……かなり遠い」


「どこまで?」


「……見えないところまで」


「じゃあ行こう」


「輪廻さん」


 秩序ちゃんが止めた。


「現在、安全性が確認できていません」


「うん」


「追跡する合理的理由もありません」


「うん」


「それでも行くのですか?」


 考えた。


 昨日なら、


 気になるから。


 だった。


 今日は違う。


「行かない」


 みんなが止まった。


「……行かないのですか?」


「うん」


 黒い線を見る。


「だって」


 後ろから来ている。


 誰かが、


 こっちへ来いと言っている。


 たぶん。


「昨日までなら、行ったと思う」


「はい」


「でも、それだと」


 透明な腕を見る。


「また、わたしが選んだのかわからなくなる」


 黒い一滴が、


 胸の中で強く揺れた。


「だから行かない」


 初めて、


 後ろのものと違う方を選んだ。


「今日はこっち」


 キッチンを指差した。


「仕事する」


 幽玄ちゃんが、


 ほんの少し笑った。


「……うん」


 黒い線は、


 まだ床に残っている。


 でも、


 わたしは反対方向へ歩いた。




第六章「ついてくる」


 夕方。


 普通に仕事をした。


 Cは使わなかった。


 別の食材を選んだ。


 バーガーを作った。


 食器を片づけた。


 途中で流焔ちゃんが火力を上げすぎた。


「熱い」


「悪い悪い!」


 秩序ちゃんが怒った。


「流焔さん、規定温度を守ってください!」


「細けえなあ!」


「細かくありません!」


 いつもの店。


 いつもの仕事。


 ちょっと安心した。


 だから帰るとき、


 床を見た。


「……あ」


 黒い線があった。


 後ろから伸びている。


 でも、


 さっきとは違う。


 わたしは追いかけなかった。


 なのに。


 線の方が、


 わたしについてきていた。


 一歩歩く。


 黒い線も伸びる。


 もう一歩。


 また伸びる。


「幽玄ちゃん」


「……うん」


「これ」


「……うん」


「わたしが行かなくても来るんだ」


「……みたい」


 少し考えた。


「ずるいね」


「……何が?」


「選ばなくても、ついてくる」


 幽玄ちゃんは答えなかった。


 わたしは歩く。


 黒い線も来る。


 後ろから。


 ずっと。




エピローグ「おかえり」


 夜。


 部屋。


 透明な右腕を見る。


 今日の線が増えている。


 Cの古い履歴を見た。


 白い手を見た。


 知らない癖を知った。


 黒い線を追わなかった。


 自分で反対を選んだ。


「……今日は、わたしが選んだ」


 言ってみる。


 黒い一滴は動かない。


「たぶん、じゃない」


 もう一度。


「今日は、わたし」


 コン。


 後ろから音がした。


「……」


 振り返らない。


 コン。


 二回。


 コン。


 三回。


 コン。


 四回。


「今日は行かないよ」


 言った。


 静かになった。


「明日も、わたしが決める」


 布団に入る。


 目を閉じる。


 しばらくして、


 眠りかけたとき。


 耳元で、


 声がした。


「おかえり」


 目を開けた。


 誰もいない。


「……?」


 おかえり。


 どうして?


 わたしは、


 どこにも帰っていない。


 今日もずっと、


 ぱんでむにいた。


 なのに。


 透明な右腕の、


 一番古い線。


 今まで空白だった場所に、


 文字が一つだけ増えていた。


帰還


「……わたし」


 見つめる。


「どこから帰ってきたの?」


 答えはない。


 ただ、


 黒い一滴が、


 初めて胸の奥から離れた。


 そして、


 わたしの頭の方へ、


 ゆっくり昇っていった。


 前が広い。


 ずっとそう思っていた。


 でも。


 もし、


 前に進んだ先が、


 昔いた場所だったら。


 それは、


 前なのかな。


 後ろなのかな。


 今日はわからない。


 だから寝る。


 明日決める。


 それだけは、


 まだ、


 わたしが決められる。




◇クルー視点モノローグ 幽玄 観察記録


 今日、


 輪廻は後ろについていかなかった。


 これは初めて。


 後ろのものは、


 今まで輪廻に何かを見せていた。


 残留。


 記憶。


 幻覚。


 履歴。


 輪廻はそれを受け取っていた。


 でも今日は、


「行かない」


 と言った。


 それでも後ろは消えなかった。


 輪廻についてきた。


 ……たぶん、


 最初からそうだった。


 輪廻が後ろを持って歩いているのではない。


 後ろの方が、


 輪廻を追っている。


 そして、


 今日見えた白い手。


 私は、


 誰の手なのか、


 少しだけわかった。


 でも、


 まだ言わない。


 輪廻が自分で選んだ今日を、


 その答えで塗り替えたくない。




◇クルー視点モノローグ 秩序 正式記録


 本日の輪廻さんには、重要な判断変化が確認されました。


 これまで、


 未知のものを選ぶ。


 履歴を参考にする。


 空白を調べる。


 自分の選択を疑う。


 という段階を経ています。


 本日は、


「外部から誘導されている可能性を認識した上で、その誘導と異なる選択を行う」


 という行動が確認されました。


 重要なのは、


 黒い線の正体ではありません。


 輪廻さんが、


「追いたい」


 という興味より、


「自分で選んだと確認できること」


 を優先した点です。


 ただし、


 その後も黒い線は輪廻さんを追跡しました。


 つまり、


 選択によって影響そのものを排除できるわけではありません。


 これは今後の観察が必要です。


 また、古い履歴に存在する白い手と輪廻さんの行動習慣には複数の一致があります。


 同一人物であるとは断定できません。


 しかし、


 偶然として処理するには一致項目が増えています。


 記録を継続します。




◇クルー視点モノローグ 万寿 記録


 今日の輪廻ちゃんは、


 死ななかった。


 身体も交換しなかった。


 何も失わなかった。


 それなのに、


 少しだけ別の輪廻ちゃんになった。


 面白いわ。


 以前の私は、


 輪廻ちゃんを作るのは、


 死と交換だと思っていた。


 でも違う。


 選択も、


 輪廻ちゃんを作る。


 今日、


 輪廻ちゃんは後ろへ行かなかった。


 その一回が、


 新しい履歴になった。


 つまり、


 過去からできた輪廻ちゃんが、


 今度は自分で過去を作り始めている。


 とても綺麗。


 ただ。


 古い白い手については、


 少し気になる。


 もしあれが、


 昔の輪廻ちゃんだったなら。


 今の輪廻ちゃんは、


 初めて生きているのではない。


 戻ってきている。


 何度も。


 何度も。


 本人だけが、


 それを知らないまま。




◇クルー視点モノローグ 輪廻 夜の記録


 今日は、


 昔の手を見た。


 わたしと同じ持ち方。


 わたしと同じ置き方。


 わたしと同じ変な癖。


 でも、


 わたしかどうかはわからない。


 それでいい。


 今日は、


 黒い線についていかなかった。


 行きたいと思った。


 気になった。


 でも行かなかった。


 だから、


 あれはわたしが選んだ。


 たぶんじゃない。


 ……たぶん。


 いや。


 今日は、


 わたし。


 それでいい。


 でも最後に、


「おかえり」


 って言われた。


 変なの。


 わたし、


 帰ってきた覚えないのに。


 もし、


 前にもここにいたなら。


 そのときのわたしも、


 わたしだったのかな。


 わからない。


 明日考える。


 前が広い。


 でも、


 前のどこかに、


 昔のわたしが立っている気がする。

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