第18話「わたしが選んだんだよね?」
昨日、Cの履歴は途中で途切れていた。
だから今日は、その続きを調べる。
そう決めた。
朝からずっと気になっていた。
昨日より少しだけ、気になることを放っておけなくなっている。
たぶん、いいこと。
たぶん。
第一章「途中のない履歴」
◆朝のキッチン
Cは作業台の上に置かれていた。
昨日と同じ。
透明な右腕で触れる。
線が見える。
調理。
保存。
移動。
途中で、
消える。
「……ここ」
指でなぞった。
「ここだけない」
秩序ちゃんが記録端末を持ってきた。
「昨日から調べていますが、やはり同じです」
「何もわからない?」
「何も、ではありません」
秩序ちゃんが画面を見せる。
「履歴が欠落していること自体は確認できます」
「じゃあ、何があったかは?」
「わかりません」
「どうして?」
「記録がないからです」
当たり前だった。
昨日なら、
わからない。
だから終わり。
だったかもしれない。
でも今日は違う。
「じゃあ、記録がないってことを調べればいい?」
「……はい?」
「なんで記録がないのか」
秩序ちゃんが少し考えた。
「それなら調査対象になります」
「じゃあ、それ」
Cを持ち上げた。
「調べよう」
「はい」
◆透明な腕
まず触れる。
線。
途中。
空白。
そして、その空白の直前に一つだけ妙なものがある。
黒い点。
「……昨日の黒いのと同じ?」
透明な右腕の中を見る。
黒い一滴が、
Cの空白に反応した。
少しだけ動く。
「……やっぱり」
黒い一滴が、
腕の中を進む。
空白の手前で止まった。
「ここに何かあるの?」
返事はない。
「幽玄ちゃん?」
少し離れた場所にいた幽玄ちゃんがこちらを見る。
「……ある」
「何が?」
「……わからない」
「また?」
「……うん」
幽玄ちゃんはCを見た。
「……でも、昨日より近い」
「何が?」
「……後ろ」
それだけ言った。
第二章「調べてみる」
Cを、昨日使った装置に入れた。
履歴の復元装置。
過去の使用記録を読み出すためのもの。
秩序ちゃんが設定する。
「復元を開始します」
機械が動いた。
線が浮かぶ。
Cが使われた場所。
誰かが持った。
焼いた。
冷やした。
運んだ。
そして、
空白。
「……ここ」
わたしは画面を見る。
「復元できない?」
「できません」
「じゃあ、ここだけ別の記録を探す」
「別の記録?」
「Cを使った人の記録」
「それなら、少し時間がかかります」
「待つ」
いつもなら、
ちょっと面倒。
まあ、いっか。
となるところだった。
でも今日は待った。
気になるから。
しばらくして、
記録が出た。
「ありました」
秩序ちゃんが言った。
「Cの使用者は、記録上では一名です」
「誰?」
「……不明です」
「名前は?」
「空欄です」
「顔は?」
「ありません」
「じゃあ、何が残ってるの?」
秩序ちゃんが画面を拡大する。
手だけ。
白い手。
Cを持っている。
それだけ。
そして、
空白。
「……これ、変じゃない?」
「はい」
秩序ちゃんも頷いた。
「使用者の存在情報だけが抜け落ちています」
「死んだの?」
「わかりません」
「じゃあ、誰?」
「わかりません」
また、
わからない。
でも今回は、
少し違った。
画面の端に、
小さな文字があった。
「……これ何?」
秩序ちゃんが見る。
「……記録日時ですね」
「日付がない」
「はい」
「時間もない」
「はい」
「じゃあ、これいつ?」
「……わかりません」
画面の下に、
一つだけ表示されていた。
使用順序:前
「……前?」
何の前なのか。
何より前なのか。
それだけは書かれていなかった。
第三章「誰かが触った」
昼。
Cを作業台に戻した。
「ちょっと休憩する」
キッチンを離れた。
五分くらい。
戻ってきた。
Cが、
少し動いていた。
「……あれ?」
作業台の中央に置いたはずだった。
今は端にある。
「誰か触った?」
秩序ちゃんが首を振る。
「私は触っていません」
幽玄ちゃんを見る。
「……触ってない」
万寿ちゃんも来た。
「私は触っていないわ」
じゃあ、
誰も触ってない。
でも、
Cは動いている。
「風?」
「……風ではないわね」
万寿ちゃんがCを見る。
「床も揺れていない」
わたしは透明な右腕でCに触れた。
線が見える。
昨日までとは違う。
空白だった場所に、
一つだけ新しい線ができている。
「……増えてる」
秩序ちゃんが確認する。
「本当ですね」
「誰かが使った?」
「使用記録はありません」
「じゃあ、なんで?」
幽玄ちゃんがCの後ろを見る。
「……輪廻」
「うん」
「……今、後ろに誰かいる」
振り返った。
誰もいない。
「誰?」
「……見えない」
「幽玄ちゃんにも?」
「……見えないんじゃない」
「じゃあ?」
「……見えてるけど、言わない」
少しだけ空気が止まった。
「なんで?」
「……まだ言わない方がいいと思う」
それだけだった。
第四章「わたしが選んだ」
Cを見る。
昨日、
わたしが選んだ。
Aではなく。
Bでもなく。
C。
履歴が少ないから。
わからないところがあるから。
調べたいから。
自分で決めた。
でも、
今はCが勝手に動いた。
履歴が増えた。
誰かが触ったかもしれない。
後ろに誰かいる。
「……これ」
少し考えた。
「わたしが選んだんだよね?」
誰も答えない。
秩序ちゃんが少し考えてから言った。
「最初にCを選択したのは、輪廻さんです」
「うん」
「そこは記録されています」
「じゃあ、今は?」
「……」
「今のCがここにあるのは?」
「移動記録がありません」
「じゃあ、誰かが動かした?」
「その可能性はあります」
「誰が?」
「わかりません」
また。
わからない。
でも今度は、
その「わからない」が少し怖かった。
昨日までの「わからない」は、
知らないだけだった。
今日の「わからない」は、
自分の選択の外側にある。
「……これ、わたしが選んだのかな」
幽玄ちゃんが答えた。
「……最初は」
「最初は?」
「……今は、わからない」
第五章「選び直す」
夕方。
Cを廃棄するかどうか、秩序ちゃんが確認に来た。
「現在のところ危険性は確認されていません。ただ、記録異常があるため、保管を推奨します」
「使わないの?」
「慎重に扱うべきです」
Cを見る。
昨日、
「調べる」
と決めた。
今日は、
「使わない」
という選択もできる。
少し考えた。
「……使う」
秩序ちゃんが少し驚く。
「使うのですか?」
「うん」
「理由を確認しても?」
「昨日、自分で選んだから」
「……」
「でも」
Cを見る。
「今日は、昨日と同じ理由では選ばない」
「では?」
「もう使ったから」
透明な右腕を見る。
「使ったことがあるものを、ちょっと知りたい」
幽玄ちゃんがこちらを見る。
「……それなら、輪廻が選んだ」
「うん」
「……今は」
「今は?」
「……まだ、輪廻が選んでる」
その言葉を聞いて、
少し安心した。
たぶん。
「じゃあ、使う」
第六章「一回だけ」
Cを調理した。
何も起きない。
普通に焼ける。
普通に香る。
普通に完成する。
「……普通」
わたしが言った。
「はい」
秩序ちゃんが答える。
「普通ですね」
万寿ちゃんが少し笑った。
「……こういう普通も、悪くないわ」
「万寿ちゃん、普通なもの好きなの?」
「……いいえ」
「じゃあ?」
「普通に見えるものの中に、普通ではないものがあるのが好きなの」
「なるほど」
「美しいわ」
Cを見る。
普通のバーガー。
でも、
履歴には空白がある。
その空白には、
誰かがいる。
あるいは、
何かがいる。
わからない。
でも、
今は食べられる。
「じゃあ、食べよう」
一口。
普通だった。
「……おいしい」
それだけ。
何も起きなかった。
でも、
透明な右腕の中で、
Cの履歴が一本だけ増えた。
今日。
わたしが食べた。
それだけ。
エピローグ「誰の選択?」
夜。
透明な右腕を見る。
今日の履歴。
Cを調べた。
誰かの手があった。
途中に空白があった。
Cが勝手に動いた。
そして、
わたしが使った。
全部が線になっている。
黒い一滴が動いた。
今度は、
Cの空白ではなく、
今日の線へ向かった。
そして、
今日わたしが選んだ場所で止まった。
「……ここ?」
返事はない。
後ろを見る。
誰もいない。
でも、
気配だけがある。
「……幽玄ちゃん」
「……うん」
「今日、わたしが選んだよね?」
幽玄ちゃんは少し黙った。
「……うん」
「ほんと?」
「……少なくとも、今日の最後は」
「最後?」
「……最初から最後まで全部が輪廻の選択だったかは、わからない」
少し考えた。
「そっか」
怖いような。
面白いような。
よくわからない。
でも、
今のところは、
わたしが選んだ。
それでいい。
「じゃあ、寝る」
「……うん」
布団に入った。
透明な右腕を見る。
後ろには、
今日の線がある。
昨日の線もある。
そのもっと後ろには、
自分が覚えていないものがある。
それでも、
今日は自分で選んだ。
たぶん。
前が広い。
ただ、
今日はその前に、
誰かの手が少しだけ伸びていた。
──────────────────
◇クルー視点モノローグ——秩序——記録
Cの履歴欠落について、調査は進展しました。
ただし、原因は判明していません。
使用者の存在情報が欠落している。
使用日時が存在しない。
移動記録が存在しないにもかかわらず、Cの位置が変化した。
これらは、通常の記録欠損とは性質が異なります。
さらに重要なのは、輪廻さんがCを使用するという判断を維持したことです。
昨日の時点では、
「わからないから調べる」
という判断でした。
今日は、
「一度選んだものだから、もう少し知りたい」
へ変化しています。
判断としては一貫しています。
ただし、Cが輪廻さんの判断へ影響した可能性については、現時点では判断できません。
記録上、輪廻さんが自分で選択したことは確かです。
しかし、
「選択に至る過程の全てが輪廻さん自身によるものだったか」
については、
確認不能です。
この点は保留します。
──────────────────
◇クルー視点モノローグ——幽玄——観察記録
……今日、
後ろのものがCを動かした。
たぶん。
でも、
「たぶん」としか言えない。
私は見た。
でも、見たものをそのまま言葉にすると、
輪廻の選択を奪ってしまう。
だから言わなかった。
……まだ言わない方がいいと思う。
輪廻は、
自分で選んだと思っている。
実際、
自分で選んでいる。
だから、
どこまでが輪廻で、
どこからが後ろなのか。
今はまだ、
境界を決めない方がいい。
ただ一つだけ。
今日、
後ろのものが、
初めて輪廻の前に手を伸ばした。
……少しだけ。
──────────────────
◇クルー視点モノローグ——万寿——記録
Cは美しいわ。
欠けているからではない。
欠けたまま残っているから。
輪廻ちゃんもそう。
記憶が欠ける。
パーツが変わる。
残留が消える。
それでも、
残ったものがある。
今日のCには、
途中に返せない部分があった。
輪廻ちゃんは、それを埋めようとした。
でも埋まらなかった。
それでも、
「わからない」を残した。
私はそれが好き。
全部わかってしまったら、
きっと美しくないもの。
そして今日、
Cに新しい履歴が増えた。
輪廻ちゃんが使った。
輪廻ちゃんが残した。
その線は、
今までの誰の線とも少し違う。
……美しいわ。
──────────────────
◇クルー視点モノローグ——輪廻——夜の記録
今日はCを調べた。
途中がなかった。
誰かが使ってた。
でも誰かわからなかった。
Cも勝手に動いた。
誰かが動かしたのかもしれない。
でも、
最後に使うって決めたのは、
わたし。
……たぶん。
ちょっとだけ怖い。
自分で選んだと思ってたものが、
本当に全部自分で選んだのか、
わからなくなるから。
でも、
じゃあ全部誰かに選ばされてるのかというと、
それも違う。
だから、
今は考えない。
……いや。
少しだけ考える。
明日もCを使うかどうかは、
明日決める。
今日はもう寝る。
前が広い。
でも、
後ろから手が伸びてくることも、
覚えておこう。




